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 朝の対局室は少々騒がしい。人がうごめき、シャッター音が鳴り続ける。
 上座の豊島将之七段は小気味よく駒を並べ終え、コンピュータソフト「YSS」側の駒を配置していくロボットアーム「電王手」の動きを不思議そうに見つめていた。
 その姿からは気負いや緊張は感じられず、むしろ余裕すら感じるほどだった。
 戦いの場は地上259メートルにあるホテルの一室。窓からは地上をはるかに見下ろす絶景が広がっている。唯一人、主役の豊島だけは窓を背にしており、その景色を望むことができない。
 
 対局が始まると、豊島は水を一口飲んでから、さっと▲7六歩。YSSも間をおかず△8四歩を表示し、電王手がスムーズな動きで着手する。
 それを見て早くも豊島は上着を脱ぐ。その仕草はまるで△8四歩できましたか、そう呟いているように見えた。
 YSSの貸し出しを受けてから、豊島は1000局近くという気の遠くなる数の練習対局を指しており、その経験では2手目△3四歩の方が多かったそうだ。△3四歩に対して用意していた作戦も面白く、個人的にはそちらも見てみたかった。
 彼には事前に色々と作戦の話を聞かせてもらったが、YSSと指した将棋を説明する時の彼はいつも笑顔でとても楽しそうだった。私も最初はにこやかに相槌を入れながら聞くのだが、彼の話は笑顔とは裏腹にあまりに深く難解で、しまいに私は何度も聞き返してしまうのだ。

 角換わり模様から横歩取りへと、少し珍しい出だしとなったが、豊島にとっては作戦、YSSにとっては定跡の範疇で、指し手は早く15手目まではすらすらと進んだ。ここで豊島が席を外したのを見て、YSS開発者の山下さんは本局は厳しい戦いになるかもしれないと思ったそうだ。
 YSSは15手目までは定跡をランダムに選択し、16手目からは自力で考える設定になっていた。豊島は事前の研究で相手がここから考え始めることはもちろん知っており、ここで初めて席を外した。
 YSSは定跡から外れると基本的に8分31秒考慮する設定になっていたそうで、ここからは短考を繰り返していく。
 傍目からは非常に落ち着いて見えた豊島だったが、この辺りはどのような戦型になるのか、ドキドキしながら相手の指し手を待っていたそうだ。
 例えば、本局では16手目に△3三角と上がり横歩取りで最もポピュラーな形になったが、練習では1局だけ△3三桂も指されたことがあるそうで、そうなればすぐに経験のない展開になっていたかもしれない。
 YSSは幸か不幸か最も自然な手を選び続け、第1図を迎えた。

 ここでは△5二玉や△4一玉が数多く指されており、棋士が指すとほぼその二択と言える局面だ。
 だがYSSは△6二玉、序盤早々プロの公式戦では指されたことのない新手が飛び出した。と言っても控室ではあまり驚きはなく、むしろこう指すのではと言われていた。
 棋士は指さないが、ソフトは好んで指すという手は結構あるもので、この手はまさにその典型だといえる。狙いは分かりやすく先手が何もしなければ△7二銀~△7一玉と美濃囲いの堅陣に組もうとしている。
 控室が驚かない手に豊島が驚くはずもなく、すぐに角交換から▲2一角と打ち込み第2図となった。

 第2図を豊島は事前に研究しており、出現率は5%くらいと予想していた。それでも10数局の練習をし、若手棋士とも研究したというのだから準備の深さには本当に恐れ入る。
 ここは後手にとっては岐路の局面で、△4四角や△2五歩、そして本譜の△3一銀と候補手が多く人間であればかなりの長考になる局面である。
 練習でのYSSはほとんど△4四角を選び以下▲3二角成△2六角▲2二馬△2七飛といった進行になることが多かったようで、この変化には豊島も入念な準備があった。
 難しい局面だが、YSSはここでも長考することはなく、いつも通りの短考で△3一銀を選んだ。この手は竜を作らせるため、人間には考えにくく、豊島もほとんどノーマークだったそうだ。
 これほどの準備をしていても、26手目の段階で未知に近い局面になってしまうのだから、将棋は奥深く、難しいゲームである。

 研究から外れたことを示すかのように△1四角に対して初めて豊島の手が止まった。竜を作ったが一気に攻め込むのは難しく一度▲4八銀と自陣に手を入れ第3図。

 局後、豊島に不安だったところはどこでしたかと聞くと、この局面を真っ先に挙げた。
 本譜の△4四角に代えて、△4五桂を恐れていたそうで、以下▲1一竜△2四飛▲1三竜△2九飛成▲1四竜△3八角と進むことが予想される。この変化は先手も怖く大変な勝負だった。YSSがこの順を逃したため、形勢の針は豊島の方に傾いていった。
 第1図からの△6二玉が敗着との声もあるが、そんなことはないと私は確信をもって言える。豊島が▲2一角と打ち込んでからもYSSには多くの選択肢があり、その選択の中で少しずつ差がついていったと見るのが正しい見解だと思う。

 昼食休憩の局面で、控室の棋士たちは豊島が指しやすいと言いながらも、コンピュータが力を出してくるのはここからで、まだまだ大変という見解だった。
 だが当の豊島は自信を持っていた。形勢が良いことはもちろんだが、それ以上に豊島が対局前に描いていた勝ちパターンの展開になっていることが大きかった。
 豊島の勝ちパターン、それは序盤から激しく戦い、一気に終盤に持ち込む展開。本局はまさにその展開になった。

 休憩再開後も早いペースで対局は進み、まだ日が高い時間に本局最後の勝負所を迎えた。それが第4図。

 直前に指された△1三歩は好位置の竜に行き場を打診する好手。人間であれば待望の△8九歩成を急ぐあまり、打ち損ねてしまいそうな一着だ。ソフトはこういった細かいところが本当に上手い。
 控室でも嫌な手を指されたとの評判で検討も盛んに行われていた。
 豊島は素直に▲同竜と取り、△8九歩成に対して▲6八銀と受けにまわるか、▲1五竜と引き、△8九歩成に対して手を抜き攻め合うかで悩んだそうだ。そして本局一の長考の末▲1五竜から攻め合う順を選んだ。
 これが好判断の踏み込みで、大げさに言えばここで勝負は決まった。
 ソフトは非常に粘り強い、しかし粘りを重視するあまりに、踏み込みに対して下がり続けジリ貧になってしまうことも多い。ソフトに対して優勢になった時は恐れずに踏み込むことが大事なのだ。
 とはいえ練習ならいざ知らず、本番で強く踏み込むには自分の読みに自信がないとできない。▲1五竜は豊島の実力を示した一手だった。この踏み込みがYSSの水平線効果を誘発する遠因となり、△1四金というソフトらしい悪手を指すことにつながったのだと思う。

 △1四金を見て、早い終局もありえると思い私は対局室に向かった。部屋に入ると昼の対局室はとても静寂で、不思議な感じを味わった。
 それはまるでSF映画の世界に入り込んだかのような感覚だった。豊島の体はあまりにも華奢で、私には少年のように見え、街の喧騒とは無縁の天空で少年とロボットが対峙しているかのように思えた。
 劇画の世界では天才という二文字で完結されてしまうであろう少年の勝利は、現実世界では豊島の想像を絶するほどの準備と棋士としての日々の積み重ねから生まれようとしている。
 
 差がついてからも豊島は緩みなくYSSを追い込み続けた。▲4三同竜左と指してから上着を身に着けたのを見て、万が一にも逆転はなく彼もあとは投了を待っている気がした。
 それからしばらくの後▲5四桂をみて開発者の山下さんが投了を告げた。
 一局を通して豊島にミスはなく完璧な指しまわしだった。ソフトの評価値が一度もプラスにならなかったことからもそれが見て取れる。今後の対コンピュータ戦略の教科書となりえる一局だった。
 対局後の会見はお互いをたたえ合う素晴らしいものだった。同じ年に生を受けた、豊島将之とYSSの今後更なる飛躍を期待したい。
 かくしてあべのハルカスで行われた電王戦第3局はハルカスの由来通り人々を晴れ晴れとした気持ちにさせ幕を閉じた。

 夜、豊島は気の置けない仲間たちと光り輝く夜景を見ていた。その顔には大仕事を成し遂げたものだけに許される素晴らしい笑顔が浮かんでいた。

◇関連サイト
・[ニコニコ生放送]第3回 将棋電王戦 第3局 豊島将之七段 vs YSS
http://live.nicovideo.jp/watch/lv161974585?po=news&ref=news
・[ニコニコ静画]第3局 豊島将之 七段 vs YSS
http://seiga.nicovideo.jp/watch/mg86172

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