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 株式会社よしもとクリエイティブエージェンシーは2011年8月23日22時ごろ、東京都内で記者会見を開き、同社所属のタレント・島田紳助さんが同日をもって芸能活動を引退すると発表した。同社の調査によると、島田さんは2005年6月頃から2007年6月頃まで、暴力団関係者とのあいだに「一定の親密さをうかがわせる」携帯メールのやりとりを行っていたという。同社が厳しい処分を検討するなか、島田さんより「引退」の申し出があったため、これを受け入れた。

 以下、島田紳助さんの芸能活動引退会見を、全文書き起こして紹介する。

・[ニコニコ生放送]島田紳助 緊急記者会見 ノーカット放送 - 会員登録が必要
http://live.nicovideo.jp/watch/lv61239637?po=news&ref=news#00:00

 島田氏は多数の報道陣が待ち構えるなか、同社の水谷暢宏代表取締役社長と原田裕弁護士に付き添われるかたちで姿を現した。

■「今日をもって芸能界を引退することにしました島田紳助です」

水谷暢宏代表取締役社長(以下、水谷社長): 本日は急なご案内にもかかわらず、お集まりを賜り、大変恐縮に存じます。株式会社よしもとクリエイティブエージェンシーの社長を務めております、水谷と申します。この度、島田紳助につきまして、本日限りで芸能活動から引退することになりましたので、ここにご報告を申し上げます。

 これまで調査をいたしましたところによりますと、島田紳助について、平成17年6月頃から平成19年6月頃までの間に、暴力団関係者との間に一定の親密さを伺わせる携帯メールのやりとりを行っている等の交流関係を持っていたことが判明いたしました。係る事実につきましては、本年8月中旬ごろに外部からの情報を口頭で入手し、その後当該情報の信頼性、確実性を調査・検証しておりました。結果として、信頼の高い、という判断に至りましたので、直ちに本人と面談を行いまして事実を確認いたしました。ここにおります、本人にございましては、素直に事実を認め、なんら弁解することなく深く反省をしております。

 次に、問題となっている行為のうち確認された部分についてのご説明をいたします。メールのやりとりを行っていた人物の個人名・団体名などはこの場で伏せさせていただきますが、島田紳助とは数十年来の友人関係にありました。その後、残念なことにその友人は暴力団関係者となってしまいましたが、友人関係を保っておりました。そのような折、本人が移動中にたまたま声をかけられた人物が暴力団関係者であり、かつ、先ほど説明いたしました島田紳助の友人と親しい間柄にあるということで、その後、友人を介してその関係者からも連絡を受けるようになり、その関係者との交流を開始されたものであります。

 その後、友人とはメールや電話で励ましあったりする関係でありました。また、別の関係者とは友人を介して、言葉をかけたり、まれに電話をしたり、また当該関係者が、島田紳助が個人で営業する飲食店に来店する、という関係となりました。しかしながら、特に頻繁に会ったりするようなことはなく、もちろん本人において、違法行為に関わったり、暴力団の活動に協力したりするようなこともなく、経済的な利害関係が認められるということもございませんでした。

 今回判明した行為は、ただ今説明させていただいたとおりでございますが、このような行為は社会的影響力の高いテレビ等のメディアに出演しているタレントとしましては、その理由の如何を問わず、許されないものと考えております。特に島田紳助は長年にわたり、多数のテレビ番組等にメインの司会者として出演しており、高いモラルが要求されるべき立場にあります。弊社といたしましては、今回の件に関して、厳格な態度で臨むべきであると判断にいたりました。このような事実を踏まえ、本人に対しマネージメント契約の解除を視野に入れた厳しい処分を検討しておりましたが、本人からは自ら「引退」と言う、タレントとしては最も重い決断の申し出があったため、弊社といたしましては、これを慎重に検討いたしまして、受け入れることといたしました。

 弊社では、各タレントに対するコンプライアンス研修を毎年実施しており、その一環として暴力団を含む反社会勢力との関係遮断についても啓発に努めてまいりました。このような中で、本件が発覚したと言うことは誠に残念ではありますが、今後ともこれまでの取り組みを一層強化し、再びこのような事態が生じないよう全力を挙げたいと思っております。この場を借りまして、島田紳助のファンの皆様をはじめとして、関係各位の信頼を裏切り、多大なるご心配とご迷惑をおかけしましたことを深くお詫び申し上げます。この度は大変、申し訳ございませんでした。

島田紳助さん(以下、島田): 今日をもって芸能界を引退することにしました島田紳助です。もう別に芸能界をやめるわけですから、守るべきものも何もありませんから、吉本興業にも全て正直に喋りましたし、今日も全て正直に喋ろうと全然思っております。ただし吉本興業からの、個人名等を出すと個人のプライバシーがかかることがたくさんあるのだから、個人名や他の方に迷惑がかかるような動きだけは、個人名を出したりしないように、という風に言われましたので、僕の言える範囲のなかで全て正直に話したいと思います。

■「10数年前にも芸能界を去ろうと思っていた」

島田: まず一番最初ですけれども、十数年前なのですけども、僕的に非常に解決できない自分の悩み、トラブルありまして、誰もどうしようもないことが起こったので、自分自身もう本当にやめようと思いまして、芸能界を去ろうと決意しました。そのときに、昔からの友人であるAさんなんですけども、Aさんともひっきりなしに会っているわけでは全然なくて数年に一回会うペースだったんですけども、僕が非常に悩んでいるという話を聞いてAさんが自宅に電話してくれまして、どうしたんだということで。そしてAさんに話したら、Aさんはその、ヤクザ組織のBさんにその話をして、それでクリアにしていただきまして、僕の悩みを解決していただいたということがあったんです。そこで僕は正直言いまして、単に人として恩を感じました。

 でも、そのBさんは「お前は芸能界の人間である、我々はこういう組織の人間である。そういう人間が会うことはいけないし、会うと君にはマイナスだ。だから君が今後テレビの世界で頑張ることが一番の恩返しになるのだから、会わずに頑張ってくれ」と、そういう言葉をいただきまして僕は組織の方関係なく人間として、正直言ってありがたい言葉だと思いました。「会うとマイナスだから心と心でつながっていればいいんだ、人とはそういうもんだ」ということを言われまして、それは心に深く本当に感謝した言葉でした。

 ですから、個人的にその方と直接メールすることもなかったです。でも僕は人として、やっぱりありがたいなと言う気持ちをずっと持ち続けていましたし、感謝の気持ちがありました。芸能界で、テレビで頑張ってこられたのも、あのとき辞めなかったおかげだという思いがずっとありました。ですから、Aさんにありがとうございましたと、今年も一年無事終わりましたと、本当に心から感謝していますというのを、よろしくお伝えください、とAさんを介して、Aさんにメールを送って、伝言をお願いしたこともあります。だから、直接付き合ってはいけないことはわかっていましたので、僕は直接電話することもありませんでしたし、絶えずAさんを通じて、そんなときのお願いを伝言して頂いてました。

 そして十数年間のお付き合いの中で、一回も会っていないかというのは、そうではありません。会った回数は自分の記憶の中で約4、5回だと思われます。そして最後にお会いしたのは今から4年半前に、バーをオープンしまして、そのときに私はお寿司屋にいたんですけども、来られて、会員制で入れなかったので、私を、お名前を出されてバーの人間から電話かかってきて僕、すぐ行ったんですけど、そのときにお越しになって、お祝いなんでしょうか、良い酒を飲まれ、多めにお金を置いて帰られました。

 4年半にお会いしたのが、最後にお会いした事実です。それまでに大阪ミナミで食事をしているときに、近くにすぐ隣におられることを聞いて、週刊誌なんかを読んで非常に大変だというのを僕なりに読んで大変な時期なんだなと思いまして、僕もあの時元気をもらったので、近くにおられるというのもあって僕は個人的にお会いしに行って、顔を見て元気そうですね、ていう顔を見て帰ったこともあります。そしてまたそのことをAさんにメールをして、今日顔見ましたと、非常に元気そうでほっとしましたと、そういうメールもAさんに送りました。

 そして6年前、僕がトラブルを起こしたときに、僕が非常にへこんで、自宅謹慎していまして、食事も喉を通らず、本当にもう自分はどうしていいか分からないときがありました。まあ、いろんな方々から励ましの言葉をいただいたり、励ましの電話をいただきました。芸能界の先輩から電話をいただいたときも、メールをいただいたときも、やはり同じように「ありがとうございます」と。「あなたの励ましの言葉で頑張れます」「あなたが居てくれるから心強いです」と。芸能界の先輩方にもそういう言葉を返したり、そういうメールを返したように、Aさんから「Bさんがそうおっしゃってるよ」という電話をいただいたので、Aさんに対して「ありがとうございます」と。「お2人がついてくれているから、僕は心強いです」と、そういうメールを送りました。

 でもそれは、お2人だけに送ったのではなく、6年前自分がへこんでたとき、あったかい言葉、励ましの言葉(をいただいたとき)、数々の先輩、びっくりするような大先輩、まさかという先輩までも「大丈夫だ」と、「僕は信じてるから」「僕がついてるから」という言葉をいただいたときに、同じような電話、同じようなメールを皆さんに返しましたので、僕的には特別に、お2人に何かを守ってもらってるという意識はありませんでした。正直いって、僕の中では十分、芸能人と、そういう業界の方が付き合ってはいけないことは理解していましたし、十分わかっていましたし、あちらの方もそれを十分理解されてましたから、絶対、普段会うようなことを向こうも求められませんでしたし、向こうも「会ってはいけないんだ」とおっしゃってましたし、僕も会ってはいけないと思ってました。

■「芸能界のルールとして『問題ない』と認識していた」

島田: ですから、Aさんを通じてメールを送ったり、そういう、何かあったときのお言葉をいただいたりとか、そういうことを繰り返していました。そして、私のお店にも何度か来られたことはあるようですが、僕は報告として、店の人間からのちに聞いたこともありますし、聞いてないこともあると思います。でも、頻繁に来られていたとは思えませんし、僕自身は頻繁に会うどころか、十数年の中に、本当に数回です。だから僕の中で正直いいまして、悪いことをしてるとか、これはいけないんだと、いう意識はなかったです。芸能人と組織の人が付き合ってはいけないというルールは百も承知でしたから、この付き合いは、芸能界のルールとして、問題ない、違反じゃないんだという認識でおりました。日曜日の夜まで。

 そして、日曜日。24時間テレビが終わった後、吉本興業に来るように言われ、そのメールを見せられて、「覚えてるか」と。「これ送りましたか」と聞かれて、「まさに送りました」と。だからその部分だけを抜粋してみると、「お2人が居てくれるから心強いです」と送ってますけども、そりゃ普段送ってたらおかしいでしょうけど、僕は6年前の本当にへこんでるときにいろんな方からいただいて、皆さんに返した言葉です。そして、お会いしてませんと。本当に、十数年間で、偶然お会いしたことと、意図的にお会いしたことと、5回くらいですと。そのことを吉本興業にすべて正直に語りました。出会った経緯から全て語りました。でもそれは、駄目なんだと。「紳助くん、それは業界のルールとして違反や」と。「法的には何もせえへんけど、芸能界のモラルとして、それはやってはいけないことなんだ」と言われ、正直、自分の認識の甘さを知りました。

 本当に、いい年して馬鹿かもしれませんけども、僕なりの、芸能界の、そういう業界の方との付き合いのルールは、大丈夫なんだと思ってました。少年時代に友達やった人が、そういう業界に行った人から連絡があっても、「ごめんなさい。芸能界のルールで、友達でも会うことはできないんです」と、今までも断ったこともあります。だから自分の中では、これはセーフだと思ってたんですが、おととい、日曜日の夜に吉本興業側から『それは駄目だ、アウトなんだ」という風に説明されました。

 そして、そう言われたら、僕は本当に間違ってたし、僕はルールをいまいち分かってなかったんだと、心から反省し、自ら日曜日の夜、その場で「僕はじゃあ、責任をもって引退します」と会社にお伝えしました。そして先ほど、今から2時間ぐらい前ですか、吉本興業から、僕の引退を受け入れるというお返事をいただきました。なぜ引退かというと、僕も若いタレントじゃなく、吉本興業でも相当ベテランになり、僕より後輩はこの会社には700人ぐらいいます。そんな彼らが、僕がいい加減な処分を申し出たりすると、示しがつきませんし、僕が、やっぱり若い奴に普段から厳しい事を言っている僕が、そんな曖昧なことではいかん、だから自ら自分が一番厳しい「引退」という言葉を使って、引退すれば、今後若い人たちも、そういう過ちを犯さないんじゃないかと思い、そういう決断をさせてもらいました。

 そして、言っちゃいかんといわれることもたくさんあるんですけども、僕的には、ここ数年間、わけのわからん記事をいっぱい書かれました。本当に悔しかったです。「やくざを使って競売物件を買ってる」って、そんな事実なんか絶対命をかけてありません。「カジノに出入りしてる」って、命をかけてありません。僕はもしそんな事をしたら、ほんま皆さんの前で腹を切ります。そんなことはないのに週刊誌に書かれたりして、我慢してきました。だから僕は明日から一般人ですから、本当に、嘘のことを書かれたときには告訴するような気持ちでおります。そして明日からは、タレントじゃなく、普通の人に戻って、本当に静かに暮らしていきたいと思っております。

 弁解ではなく、僕のルールの考え方が間違っていました。本当に申し訳ないと思ってます。そして後輩たちには、二度と僕のような甘い考えで接しないでもらいたいと思います。以上、僕の状況と思いです。本当、週刊誌に書かれました、いろいろ。今しゃべったことは全て事実です。必要以上の接触もないし、週刊誌を読んだら、しょっちゅう電話をしてたり、しょっちゅう食事をしてるみたいに書かれましたけども、本当にそんなことはない。全くありませんし、最後にお会いしたのは4年半前です。それも20分くらいですよ。お店にこられてすぐ帰られました。それが最後にお会いしたときのことです。

 ですから、4年半ぐらい前から6年ぐらい前のメールも本当に事実は事実ですけども。そういう方々に対して、そういう、Aさんを介してメールしたことは事実です。はい。でも本当に、正直まあ、弁解みたいですけども、付き合いがないから、Aさんを介してメールをしてたのであって、僕は本当に、その方と付き合いがあるなら僕は人を介してする必要もないし、直接電話やらをしたでしょうし、直接連絡をしたでしょうし、そのような関係を保っていました。だから僕の中ではセーフだと思っていましたが、おとといアウトと知り、引退することになりました。一番重い処罰を自分で与えましたので、お許し願いたいと思います。どうもすいませんでした。

 まあ、皆さんに謝ることか分からないですけど、テレビ局の関係者の方々、そしてスポンサーの関係者の方々、そして、ほんの少しはいるでしょう、ファンの皆さん、そしてコマーシャルをやらせてもらった三浦工業の奥さんや皆さん方には本当に迷惑をかけてしまいました。それだけは、申し訳ないのと、残念な気持ちでいっぱいです。自分勝手な引退と申しまして、本当にすいませんでした。

■吉本興業「外部の方から情報の提供があった」

司会: それでは質疑応答に入らせていただきます。なお個人の名前を特定するご質問に関しましてはお答えを控えさせていただきます。

――会見をうかがっていますと、引退自体に関して納得しているのかと。

島田: 納得というより、「引退しろ」と言われたわけではないですし、おそらく、こんなこと言ったらなんですけども、僕が何も言わなかったら謹慎処分やったと思います。でも、謹慎処分では若い後輩たちに僕自身が「示しがつかん」と思いました。まあ、残った若い奴らになんかメッセージ与えなあかんし、僕も厳しく言ってきたので、一番重い処罰は、引退だと思いましたので、引退することになりました。

――平成17年6月頃から19年6月頃のメールということなんですが、かなり前のメールですよね。それは吉本興業のほうから写真とか、いわゆる内容は何か提示されたということですか。

島田: おとといの夜に「このメール、見覚えがありますか?」と、メールの文章を見せられました。「間違いありません、僕が送ったものです。Aさんに送ったものです」と。ただ、この部分だけ見ると、さっきみたいに「お2人がいてくれるから心強いです」というメールは、その時期を見てもらうと僕が謹慎してるときなんですけども、そしてそれは本当に僕の先輩が、いろんな方々、先輩が電話いただいて、メールされたときも、僕は同じ、まあもちろん謹慎してパニクってる状態なわけですから、失礼ですけども同じメールを返してました。「あなたが居てくれるから、僕は心の支えになってます」とか、「ありがとうございます、感謝してます。その言葉を胸に生きていけます」とか、あの時はそういう言葉を皆さんに、本当に心のそこから感謝したんで、いただいた方全員に、そんなメールを返させていただきました。ですから僕の中では、特別ではなく、本当に感謝の気持ちで6年前は、そうやって返させていただきました。ですから僕のなかでは、特別ではなく本当に感謝の気持ちで、6年前はそうやって返させていただきました。はい。

――なぜ今になってそのメールが、吉本興業側に情報として入り、提示されたか、理由は聞きましたか?

島田: いや、まったく聞いていないですけど、「こういうものがあるんだけど知っているか」といきなり言われたので、事実なので僕も別に隠す必要もありませんから。すいません、僕の中ではさっき言ったようにね、セーフだと(思っていた)。Aさんという方は、「ご自身が、あなたは暴力団ですか、やくざですか」と聞いても、「絶対に違うんだ」と、「グレーだと言われるけど、僕は違うんだ」と(答えた)。もともと真っ白な方でしたから。僕は真っ白な状態から、その方と20代前半から知り合いでしたから。その方がそうなっていっている状態も知りませんでしたし。

 近年そういうことが噂されたときも、僕は確認したんですけど、「そんなふうに言われるんだ」と言われると、僕は「そうなんだ」と(思った)。僕自身もはっきり言いまして、付き合いがないのにそんなふうに言われたり、わけのわからない記事を書かれている自分自身にとって、その方の気持ちもわかりますから。僕は「そうじゃないんだ」と思って、その方を介してメールをしました。

――社長にもおうかがいしたいんですけど、そのメールは、随分前のものであるということは、写真か何かで撮ってあった可能性があるということですか?

水谷社長: メールにつきましては、写真等はございませんでした、メールでしたので。文章を確認しました。

――メールで送られてきたものを見せて確認したということですね?

水谷社長: はい。冒頭申し上げましたように、8月中旬頃、外部の方から情報の提供がありまして、その後、信頼性等確認しまして、本件に至っております。

――社長にもう一回お尋ねしたいのですけど、通常、携帯電話のメールというのは、自動的に時間が経つと消去されて、見えなくなるわけなんですよね。それが、この古いものが今見えたというとこは、何かの意図をもって、吉本さん側に持ち込まれたというふうに考えられるのですが、そこら辺の事情はいかがなのでしょうか。

水谷社長: 意図をもって持ち込まれたかどうかは、この場ではお答えかねます。

――持ち込んできた人物が何者かということも、(答えるのは)難しいですか?

水谷社長: 情報提供者にご迷惑がかかりますので、恐れ入りますが、この場での公表を控えさせて頂きます。

■「明日からは遠慮せんと、嘘を書かれたら告訴できるなと」

――あと、紳助さんにお尋ねしたいのですが、ご自身から引退ということを言われたというのですが、それに至る課程でご自身の中で迷いというか、そういうものはなかったのでしょうか。

島田: 一昨日、そう(=引退を)言いまして、うちの仲間や芸能関係者の仲間には伝えました。全員が一生懸命引き止めてくれましたし、家まで来て引き止めてくれる人もいましたし、目の前で涙を流して引き止めてくれる人もいましたけども、僕のなかでは揺れることなく、自分が決めた道をちゃんと進もうと思いました。

 それは、はっきり言いますけど、さっき言ったようにいけないことです。いけないことも充分承知で、だから引退をするんですけど、やっぱお世話になった方、自分が「助かった」と思った方に対して、僕は「会ったらいかん」と言われていますし、向こうの方も「会ったらいけないんだ」と、「君は会うな」と言われました。だから僕は、会いませんでした。でも心のなかで感謝する気持ちまで消したらいかんと思いました。だからその方が一番最初に、そのときに「会う必要は無いんだ」と「会ってはいけないんだ」と(言って)、「人というのは、その思いが心でつながっていたら会う必要は無いんだ」と、「心でつながっていたら、心がひとつなんだ」と言われたんです。

 僕の人生の中でもその言葉は重く残りました。ですから何かあったとき、やっぱ自分が弱ったときに、その頃に、そのトラブルを起こしたころに、その方にAさんを介して「心がひとつですよね」と送りました。ただそれは「仲間です」という意味ではなく、「組織と付き合っている」という意味ではなくて、そのときにおっしゃったことが、「会うことはないけども、交流もない、遊ぶこともないけども、心はひとつですよね」って。だから、そういう意味で送ったメールです。

 だから、本当に頻繁にお会いすることもありませんでしたし、本当に十数年間に、本当に偶然合わせで、偶然と言っても道で会ったんじゃないですけど、僕がご飯食べてたら、隣の店におられると聞いて一回行ったり、うちのバーのオープンのときに20分だけ顔を出されたという、それは偶然です。僕は近くにいたもんで。それを合わせて5回程度です。

 だから、長い時間交流を持ったりとか、そういうことは自分ではなかったので。十数年間で5回、偶然含めですから、僕は、これは僕自身のなかでは、交際やとか交流やとかいう認識はなかったです。自分ではさっき言った通り、セーフだと思っていました。その間、週刊誌にいろんなこと書かれて、あることないこといっぱい書かれて、本当に悔しかったので、明日からは遠慮せんと、嘘書かれたら告訴できるなと、ちょっとホッとした気もあります。

――価値観の違いとか、認識の甘さと言ってしまえば、それまでなのかもしれませんけど、こんな形で引退をするということに関して、紳助さんの中では後悔はないのですか。

島田: いや、芸能界の一員として、芸能界のルールはこれなんだと言われれば、明らかに芸能界のルールを間違っているし、間違っていることを気がつかなかったし。自分で生意気ですけど、ぺーぺーのタレントじゃない。吉本にとっては、だいぶ先輩格になってきた僕が、そんな曖昧な判断をしたら、本当に僕より・・・1000人の吉本のタレントの中に800人の後輩がいます。800人の後輩たちに、本当に示しがつかんと思います。だから僕は自分が最後にできることは、こうして示しをつけることやなと思いました。

 だからもちろん、今後後輩たちとの約束です。その方とメールもしないし、お会いすることもありません。でももし、道で会ったら、僕は遠くから頭を下げます。それは人として、感謝の気持ちは、あの時の感謝の気持ちは今でも持っているというのは、僕のなかでは誇りとして優先したいです。

■「芸能界を終わるときも『まずはあいつに』」

――明日からも収録があったと思いますし、6つのレギュラー番組がありますよね。それの共演者の皆さんですとか、番組関係者の皆さんには、もう紳助さんのほうからお話はしたんですか?

島田: いや、吉本興業からプロデューサー、ディレクターに話をしてもらいまして、その方々からは熱いメールをいただき、家に来ていただいて、なんとか引退だけは撤回してもらえないかと言われまして。それには・・・ちょっと本当に、今日泣いたら後悔していると思われそうですけど、後悔じゃないですよ。皆さんの熱い思いが嬉しかったです。でも、ルール違反はルール違反ですから。ここでなんか、軽い処分や謹慎というのはやっぱりよくないなと思いますので、悪いことをした僕ですから、自ら一番重い罪を自分に着せようと思いました。

――(励ましの)メールをくれたのはどなたでしょうか?

島田: もう、たくさんの方にいっぱいいただきました。そして、ギリギリまで言えなかったのもあったんで、今日6時半の段階で、吉本の全タレントに吉本側から通達したので、吉本の後輩から、さっきも電話やメールをたくさんいただきました。前もって教えていたのはダウンタウンの松本だけです。

――松本さんからは何と?

島田: やっぱり「やめないで下さい」と(言われた)。漫才を20・・・18(歳)で吉本に入りまして、21(歳)でデビューして、29(歳)で漫才を辞める時に、僕に辞めるきっかけをつくったのは松本ですから。ダウンタウンの漫才を見て、「紳竜の漫才はもう終わりだな」と思って、僕の漫才を終わらせたのはあいつですから。芸能界を終わるときも、「まずはあいつに伝えとかないかん」と思いまして、やつだけには伝えました。

――「やめないでください」というメールに紳助さんはなんて答えたのですか。

島田: 「やめないで下さい」と電話で言ってくれましたけども、「最後は自分のわがままを通させてほしい」と、僕は僕らしく。いかんことして辞めるから、めっちゃめちゃかっこ悪い話ですわ。めちゃめちゃ無様な芸能界の終わり方ですわ。最低の終わり方です。でもその中で、「ほんの少しだけ自分の美学を通させて下さい」とお願いしました。

――紳助さん、日曜日の会社と話し合いで、(今回の話を)頂いてから即答で引退という決断になったのでしょうか。少し考える時間があったのでしょうか。

島田: いや、日曜日にお話したのですけど、すぐには受けてはいただけなかったんですけど、「気持ちはわかりました」と、「預からせてもらいます」と言われたんですけども、私は今日まで全く気持ちは揺れることなく、逆に言ったら「引退したほうがいいよね」と誰も言ってくれず、いろんな人が聞いて、そうやって思いと留まらそうと思って、非常に真剣に怒ってくれた人もいましたし。「本当にそれだけはやめろ」と、この人、こんなに熱く言ってくれるんだと、そういうのに今ちょっと感動して、思い出して涙を流してしまったから。別にこれは引退に対して自分がブレたり、後悔して泣いているんじゃなくて、その優しさを思い出して涙を流しているだけで、僕の気持ちのなかで3日間まったくブレませんでした。

 逆に言ったら「引退したほうがよいよね」とは誰も言ってくれず、皆が、いろんな人が聞いて、そうやってバランスを取ろうと思って。やっぱり真剣に怒ってくれる人もいましたし。「本当にそれだけはやめろ」と。この人はこんなに熱く言ってくれるなと感動して涙を流してしまったから、別にこれ(涙)は引退に対してブレたり後悔して泣いているのではなくて、その優しさを思い出して涙を流しているだけで。僕の気持ちのなかで3日間まったくブレませんでした。

――日曜の夜から月曜日、そして今にいたるまでですけども、奥様、ご家族、身近な方はなんておっしゃってましたか?

島田: 嫁は「自分のやりたいようにやったらいいよ」「自分の思うように生きてください」と。長女は「本当に後悔しないのか。でもあなたは強運の持ち主やから、またなにかを考えるよね」と、そういう風に言ってくれました。

■上岡龍太郎さんと「同い年で引退というのに運命を感じます」

――長い芸能生活を振り返っていま、紳助さんにとっての芸能界、芸能生活はどういうものだったのでしょうか。

島田: やっぱり素晴らしい人にいっぱい巡りあえたし、素晴らしい人ばっかりでした。そして自分が、勝手にですけども「心の師」と仰いでいる上岡龍太郎さんが引退されたのが55歳なんですよね。だから今自分が55歳で、「絶対、君は引退したらあかんぞ」「どんなことがあっても引退したらあかんぞ」と上岡さんに何年も前から言われてたんですけども、なんかこういう結果になって、同い年で引退というのになんか運命を感じます。そして、僕がこの地位に上がれるまで力を貸してくださった和田アキ子さんにも、メールでなく電話で報告しようと思ったんですけども、電話にお出にならなかったので報告はできませんでした。

――今まで芸能界で長い活動があっていろいろ思い出があると思うんですけども、今一番思い出されるもの、思い出されるシーンなどはございますでしょうか。

島田: やっぱり6年くらい前にトラブルを起こして、自分でもうダメだろうなと思ったときに、皆に暖かく迎え入れていただいて、そして、もういっぺんなくなった命だから、やりたいことをやろうとやらせていただいたときに「ヘキサゴン」という番組があたって、子供たちのような人たちがたくさんスターになっていってくれて。それがうれしいです。昨日も上地雄輔がうちに来て泣いてたんですよ。「父ちゃん、父ちゃん」って言いながらね。みんな僕の子供たちですから。「父ちゃんが引退しても、子供たちの成長はこれからも見守るから」と。そんな話でした。

――みなさん涙なみだの時間だったわけですか。

島田: そうですね。でも奴らはしっかりしてますよね。上地は昔から言うとるんですけども「一生お父ちゃんを守るからね」と。

――この長い芸能生活のなかで、本当にこの世界で一番良かったと思われることはなんでしょうか。

島田: やっぱりいろんな方とお会いできたことが、自分のなかで一番の財産ですね。普通の人やったら会えなかった人とたくさん会えましたし。本当に。例えば孫(正義)さんと食事をさせてもらったときなんかは、本当に歴史上の偉人と食事をしているような時間でしたし。帰って感動しましたし。なんかいろんなことを教えられましたわ。自分が成長できました。孫さんと食事して、2時間の予定が4時間になって。わかってるかわかってへんかわからん僕に、一生懸命しゃべってくれてるときは、本当に幕末の偉人としゃべっているようでした。

 そして次の日、お礼のメールを送ろうと思いましたが、僕の携帯はドコモだったんで「これはいかんな」と思ってソフトバンク(の端末を)買いに行って、「ありがとうございました」と1回だけ打って、また契約解除してドコモの新しいのにしました。そんなときに「ソフトバンクから送らなあかんな」と思わせることも、孫さんでしたし、そんな偉い方とたくさんお会いできたのが僕にとって一番の財産だと思います。

 そんな方々には本当に感謝していますし、そして僕みたいにわがままなので本当に少ししかいないんですけども、そんな方々から手紙とかをいただいて、「人生が変わった」とかいろんな熱い手紙をいただいたことが僕にとって、「人の役に立てることもあるんだ」と思いまして。人気者でもなんでもない僕に対してそういう手紙をいただいたりすることが、「やっててよかったなぁ」とほんまに思いました。

 先日、なんのギャグもない偉そうな『紳助の100の教え』みたいな本を出させていただいて。あの本が僕の芸能生活のなかで一番売れた本になったときに僕は一番嬉しかったです。お笑いだけやなくて、こんなことも求めてくれる方がいるんだなぁと思いまして。本当に申しわけなかったです。だから『100の教え』を買ってくれた30万人の方に心から感謝をするのと同時に、今日は101個目(の教え)ですわ。アホなことのようですけども、毅然とした態度で、自分で一番重い処分を与えなさい。

――10数年前にトラブルの解決を暴力団の方に頼んだことが、今回のきっかけになったかと思うのですけども、暴力団の方にAさんを介して頼んだことについて、いま後悔はしてないのでしょうか。

島田: 僕がAさんに暴力団の方を頼んだのではなくて、Aさんが話を聞いて電話してこられるわけですよ。「どうしたんだ」とおっしゃった。そのときAさんはまったくの堅気の方ですから、「こういう問題なんだ」と。心配して電話してきた方には、その方だけじゃなく何人かにしゃべりました。そしたら「そうなんや」と言って、僕が知らないあいだにAさんがその方にお願いして解決してくださったんです。

――ただBさんという暴力団の方に「こういうかたちで解決してもらったんだよ」と聞いて、ご自身はどう思われたのでしょうか。

島田: はい。僕はそれを聞いて本当に(芸能界を)やめるつもりでおりましたから、解決できるということに一番ホッとしました。ただBさんに解決してもらって、「これはあんまりよくないことが起こったな」というのは認識がありました。だから「どうしよう」と。この世界の方とその世界の方が接してはいけないと思いました。

 で、僕は(Bさんに)会いに行きました。そしてそのことを伝えました。「僕たちの世界の人間は、そういう方に接することはできない」と伝えました。するとその方は「会う必要もないし、TVでがんばればいいんだ」と。「それが一番の恩返しとちがうか」と。僕は「接触することは良くないから」と教わりましたし、「君が僕に恩を一切感じる、そういう必要もない」と。「僕はAに頼まれて、これは不条理だなと思って解決しただけだから、君は何も思う必要はない」とおっしゃられて。

 それでも僕はなんか違和感があったので、はっきり言うて「お金かなんか渡さなあかんのかな」と正直思いました。(すると)「馬鹿なことを言うな」と。「そんなことはあり得ない」と。「君が(感謝しているという)そういう思いを持っているのなら、僕もそういう思いでいる」「本当に心と心でつながったら会う必要もない。いつか俺が死んだら手を合わせてくれ。遠くから」とおっしゃったんです。そのとき自分が一番困ってるから、ヤンキーあがりの僕には一番その言葉が響きました。だから僕は心のなかではそういう思いで、そのときは退出しました。だからさっきも言ったみたいに、直接メールすることもなかった。

■「問題ないんだという認識でいたのが、一番大きな問題」

島田: 「問題ないんだ」という認識でいたのが一番の大きな問題で、本日に至ってます。だからと言って、正直言って後悔はしていません。「あの人と付き合わなければよかった」とか、「心のなかでそんな風に思わなければよかった」とか、もし僕が思ったら、僕は僕を嫌いになっちゃいます。だから、心の中でそう思い続けました。それは芸能界としてはズレていたことだったと思います。だから僕は今後、付き合いませんし、もちろんメールもしません。言葉にもしません。でも僕の心のなかでは感謝はずっと持っていたいと思います。それは芸能人関係なく、人としての感情なんです。

――2つ、うかがいたいのですが、まずは芸能界でやり残した、未練のあることを教えてください。

島田: まったく未練はないんですけども。本当にこのあいだも生放送で言ったんですが、テレビで武田鉄也さんが語っていた言葉が重いなと思いました。「山はてっぺんまで上ったら、ゆっくりうまく降りなければならない。それで初めて登山成功だ」と。「上で終わったらそれは遭難だぞ」とテレビでおっしゃっていまして。鉄也さんにも若い頃かわいがってもらって。その言葉を胸に下山しようと思ったんですけども、あまりにも山のてっぺんから向こうが崖で、転げ落ちてしまいましたけども。それも僕らしいかなと思っています。

 だからはっきり言いまして、一回は、一瞬てっぺんに、半年くらい立ったんで悔いはありません。僕がてっぺんに乗った半年間を、親友の(明石家)さんまが確認してくれましたんで。そのときも。だから自分のなかで一瞬てっぺんに立ったという自覚だけは持っています。

――あともう1つは、今まで数々のトラブルで引退を考えられることがあったと思いますが、今回は引退を決めたのはどういう思いからですか?

島田: 数々のトラブル? 無いと思うんですけど、そんなに・・・。

(会場から笑いが起こる)。

――失礼しました。

島田: そんなにありましたかね?

――まあ数回。

島田: 数回・・・えー、若いときに、お客さんをどついたことがありました。そして6年前に、あの、まあこれ裁判をまだされてるんで、あんまり言えないんですけど、まあ本当は「どうやねん」という自分の思いもあるんですけども、その中でも僕が本当に髪の毛持ってツバかけたことも事実ですから、まあいかんこと。だから、はなから、いかんことって分かってやってましたから、ハッキリ言って「引退」という言葉は思わなかったです。やっぱり言われる、吉本興業に言われる、罪を、弁明せずに受け止めたらいいんだと思ってました。

 ただ今回が違うのは、僕の中では、さっき言ったみたいに、付き合ってないじゃないか。週刊誌にいろんなことをいっぱい書かれる、でも本当に、事実無根ばかりでした。本当に、僕カジノなんか、生まれて一回も、そんな不法なカジノとか行ったことがありませんし、本当に。もうそのときは一回、BさんからAさんを介して連絡ありました。「そんなとこ行ってんのか?』と言われまして。僕、命をかけて行ったこともありませんし、行ったけども払わんかったという、そんな曖昧なこともないと、そんなとこ行くような馬鹿な僕じゃないですと、いうメールというか、電話をAさんに返したこともあります。

 だからそんなことは絶対ないし、競売物件を暴力団と組んで入札したなんて書かれたこともありますけど、そんなこと命をかけてありません。もしそんなことがあったら、皆さんの前で、腹切ります。はい。だから、今回は、セーフだと思ってたことが大きな問題です。さっき言ったみたいに、後輩たちも、セーフだと思ってたらアウトがある。だから今回は、完全に僕のミスです。僕が間違ってました。

――社長に伺いたい。8月中旬に外部から情報を入手してから、吉本としては具体的にどのような調査をされたんでしょうか」

水谷社長: 8月中旬に情報を外部の方から入手いたしまして、まあわれわれの方といたしましては、8月21日にその情報に基づきまして、島田紳助にヒアリングを行いました。その後、本日にいたるまで2日間ではありますが、社内の調整と調査を行いまして、本日に至っております。

■「十分に反省した結果、ブレることなく引退します」

――最初に、水谷社長の説明と紳助さんの説明にすこし矛盾があるようでしたので確認したいんですけど、社長は「長年来の友人が、残念ながら暴力団の関係のところに行ってしまった』という風に話されたかと思うんですけども、それは紳助さんの説明にあるAさんとBさんのどちらにあたるのか。

島田: Aさんです。Bさんは元々ですよ。Aさんは、僕が若いときから一般の方の友達だったんです。そして、まあ、社長とか、これも今なんか曖昧な感じで、その方が、いま組織の方と認識する方と、そうじゃないんだと認識する方がいるんです。どこが事実か分からないので、僕は、そのいつからなられたのかも知りませんでした。そのことを僕は本人に、「そういう噂がありますけど、そうなんですか」と何度か聞いたことがあります。「そうじゃないんだ」と。「僕は、一般のカタギの人間だけど、そんな風に言われるんだ」とおっしゃったら、僕は「そうですか」と言わなくてはいけなかったし、そのことも、何回も聞きました。

 その方が、もしそうだったら、僕はわざわざAさんを介してBさんにメールを送り、伝言を頼む必要はないわけです。だから僕は、Aさんはそうじゃないという認識で、Aさんに「伝えといてください」というメールを送ったのであって、だから、そこに矛盾点は無いんですよ。

 だから水谷社長は、その方が途中から、そういう組織の人になったという認識なんですけども。どうなんですかと確認をしたら「そうじゃない。そう言われるだけだ」と。「週刊誌はいろんなことを、嘘ばっかりを書きよんねや」と言われると、僕のなかでも本当(いろんなことを)いっぱい書かれてきたんで、「そうなんだ」という認識でおりました。だから一見、聞くと認識の違いで矛盾があるようですけども、実はまったく認識の違いはない。僕は3回くらい確認しています。その方に。

――島田紳助さんにおうかがいしたいんですけども、昨今の週刊誌で、メールの件は今回出ましたけども、暴力団関係の方に手紙を送ったとか、写真に写ってたとか(書かれています)。そういった事実は?

島田: 「悔しい」と言ったのは、それなんですよ。そういう手紙を送ったとか。一緒の写真があるだとか。最近もありましたが、前も書いているんですよ。写真があるとか。それは僕の耳にも入るんですよ。僕はAさんにも「僕とBさんの写真を一生懸命探してるらしいですよ」というメールをしたことがあります。探しているから困ったという話ではなくて、やっぱり本人の耳にも入りますから。僕の知ってるところ、関係者のところに行って探しまわったんでしょうね。あるわけないですから。それも数年前ですわね。「探しまわってるらしいですわ」というメールを送りました。

――今回、紳助さんほどのタレントの方が暴力団との関係でおやめになるということで、芸能界と暴力団の関係というのがあるんじゃないかと、世間的にも見られてしまう可能性あるかと思うのですが。この辺についてどうお考えですか。

島田: だからね、はっきり言いまして。軽い言い方で申しわけないですけども、僕のなかでは「この程度」なんです。(暴力団関係者と)頻繁に密着しているわけではないと。だから「この程度」で引退しなければいけないんです。芸能人の方々は、十分注意してこのようなことが二度とないようにしていただきたいと思います。だから本当、ちょっとは信用してください。引退しようと思っている人間が、今さら言い訳しようとか、自分をよく思われようなどというような気持ちは本当にないです。

 それよりも、「なんでこんなことばっかり書かれるのかな」と。本当それで(芸能界を)やめたいなという気持ちもありました。なんでこんな嘘ばっかり書かれるのかなと。でもタレントである以上、そこで告訴するとまたそれをネタに書かれる。だから我慢しなさいみたいな風潮がありますから。これで明日から一般人ですから、(訴訟を)できるのかなって思ったりしています。

 だから明日からは、すいませんが一般人なんで、静かに暮らさせたってください。恩返しでなんか、若い人たちの役に立つような人になっていきたいと思いますし、若い人たちが夢を見られるようなことを、これから協力していきたいなと思います。皆にもっと夢を与えていきたいなと思います。一緒に汗を流して。

司会: では最後になりますが、改めて弊社社長・水谷のほうよりご挨拶をさせていただきたいと思います。

水谷社長: 本日はお忙しいところ・・・。

――あの、今後「何かをやりたい」という風にいま聞こえたんですが、どういうことをやりたいと今、考えてらっしゃるのでしょうか。

島田: 今日現在、おととい引退すると決めて、今日まで引退すると決めてたので、何にも考えてません。残念ながら55歳なので、まだまだ生きるなと。だから自分のなかで、自分をこういう立場にさせてもらった人に感謝の気持ちもありますから、自分なりにやっぱり何か役に立てることをしたいなと。これは最近思っただけじゃなく、ずっと思っていますから。自分なりにもそうやってしてきたつもりですし。

 沖縄のサンゴがなくなったからなんとかしようと、そんなことも一緒に協力させてもらったり、そんな活動もしていましたから。何か役に立てたらいいなと思いますんで。そういう気持ちを持ち続けていきたいと思います。

司会: ありがとうございました。それでは改めまして弊社社長・水谷のほうよりご挨拶申し上げます。

水谷社長: 本日は夜分にも関わらずお集まりを賜りまして誠にありがとうございました。本日引退します島田紳助は、当社にとりまして多大なる功労者であります。そして、多くの若手のタレントを育て、本当に後輩の育成にも力を注がれた方でした。類まれなる才能に恵まれた人材をこういうかたちで失うのは大変に残念なことでありますが、皆様ご理解を賜りまして何卒よろしくお願いしたいと思います。本日はどうも、ありがとうございました。

島田: 皆さんこんな時間にお集まりいただきまして、島田紳助の最後の「切腹の介錯」をしていただきまして、本当にありがとうございました。悔いはありません。多くの方に出会えて、感謝の気持ちでいっぱいです。そして自分の認識の甘さ。この3日間、十分に反省した結果、ブレることなく引退します。どうもありがとうございました。

司会: 以上を持ちまして本日の会見を終了させていただきます。本日はお忙しいところおいでいただきまして、ありがとうございました。

(亀松太郎、橋爪雅治、土井大輔、松井尚哉、丹羽一臣、写真・小川裕夫)

◇関連サイト
・[ニコニコ生放送]島田紳助 芸能活動引退の記者会見を視聴する - 会員登録が必要
http://live.nicovideo.jp/watch/lv61239637?po=news&ref=news#00:00

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