先日、フジテレビの『ニュースな晩餐会』という番組で吉川美代子VS田中みな実というTBSの元女子アナ対決がマッチメイクされて、ボクも「女子アナウオッチャー」というの肩書でゲストとしてなぜか番組に呼ばれたんですけど、せっかくの機会なので女子アナ歴史について調べてみました。

 徳光和夫さんく「女子アナという言葉は露木茂が作ったんだよ!」とのことで、いまに至るアイドル的な女子アナ像を作ったのはフジテレビであり、その原点は86年にシングルときめLonely Night』をリリースした寺理恵子アナだと思われるんですが、当時のフジテレビセクハラだらけの会社だったっぽいことも判明。

 まず、表寺田理恵センター時代の『アナ本』(87年/フジテレビ出版)情報によると、岩瀬恵子アナ(86年入社)は入社々「一種のカルチャーショック」でフジを「やめよう」と思ったとのこと。その理由は「みんな下品」だから。

「カルチャーショックは、新歓(新入社員歓迎会)の時に、既に味わった。『ただ"イツだァ~?""イツだァ~?"って、それだけ。答えるまでずーっと聞いてる』。イツ? の質問内容の詳細は想像にお任せする。けれど女子大出の汚れなき岩瀬恵子にとっては、ひどくショックな質問であったことは確かだ」

「番組のスタッフもね、ADさんも初めみんな、Sから始まる3文字のことばかり。あの言葉とあの言葉にまつわる話を、からずーっと。あきもせず、しつこく。全然関係ないフツーの話をしていても、どんどん落っこちていって、イヤらしいんです」(岩瀬

「もう、ヤダ、ヤダ、ヤダって、万回くらい言ったんじゃないかしら」(岩瀬

 そして、表八木亜希子&河野子&有賀さつきの3人になった『アナ本2 私たちがアナウンサーだったころ』(91年/フジテレビ出版)情報によると、この3人がアナウンス部に配属される前日、局側から与えられた初仕事は「フジテレビ30周年ゴルフコンペのプレゼンター」。

「なんと、制作サイドからバニーガール衣装で、という注文つき。これにはさすがの3人も、真剣に悩んでしまった。バニーガールカッコなんて、絶対にしたくない。でも、初仕事を断って、『新人のくせに生意気だ!』なんて言われたらどうしよう。3人で話しあったり、女子アナ先輩に相談したり、散々悩んだ末に出た結論は、"どうしても足を見せるなら、テニススコートまで"という、条件つきのOK。『私たちはホステスじゃありません』と言いつつ、テニススコートまでは妥協するワケのわからない折衷案も、新人ならではの心配り」

 結局、ゴネた甲斐あってゴルフウェアでプレゼンターをやることになったそうなんですが、おそらく当時のフジがこんな体質だったのも、おそらく上がこんな人だったからだと思います。

アナウンス部で、え、この人こんな人だったのって思ったのは、Tさん」(八木

「最初はすごく怖い印だったのよね。『おはようございます』って言っても返事もしてくれないし。それがいつの間にか『おはよう』って肩を抱き寄せちゃったりして」(有賀

「見えないよね、そういうことするようには」(八木

「ちょっぴりエッチなんだけど、嫌味がないの」(有賀

 ......このTさんって、もちろん露木茂さんですよね!

Written by 吉田豪

Photo by アナ本2 私たちがアナウンサーだったころ

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