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 「レズビアンを『百合』と表現したのは僕」。日本初の同性愛専門誌『薔薇族』の初代編集長・伊藤文学氏は東京・自宅で取材に応じ、そう語った。伊藤氏は現在79歳。自身はいわゆる"ノンケ"でありながら1971年に『薔薇族』を創刊。休刊・復刊をくり返しながらも30年以上、編集長を務めた。「ギリシャ神話か何かで『薔薇の下で男同士が契りを結ぶ』という話がある」とゲイを「薔薇族」と呼び、のちに「百合はナルシシズムの象徴だから」とレズビアンを「百合族」と名付けた。

 2011年10月28日、一周年を迎えたニコニコニュースは「号外! ニコニコニュース10月号」を生放送。伊藤氏の現在を追ったドキュメントが放送された。ここでは、映像収録時に行った伊藤氏へのインタビューをより詳しくお伝えする。伊藤氏は、昔ほど同性愛者に対する偏見がなくなってきたと語る一方で、「いま一番気にかかっているのは少年愛の人たちのこと」と、少年を愛する人たちが社会でどう生きていくべきか考えていると語った。

■きっかけは『ひとりぼっちの性生活』

――雑誌『薔薇族』を発行していた第二書房は、伊藤さんの父親が作った出版社だと聞きました。

 親父はいわゆる文学青年で、短歌だとか俳句を作っていました。だから僕に「文学」なんて名前を付けた。「伊藤文学」というのは本名です。

 その親父が第二書房を作ったのですが、仕事がだんだん僕任せになっていった。出版社で働こうなんて気持ちはなかったけど、大学を出た頃は不況もいいところで仕事がない。だから、やったわけです。

――そこからどのようにして『薔薇族』が生まれたのでしょうか?

 親父はかたい内容の本ばかりを出版していましたが、僕は小さな出版社が生き残るにはエロ本しかないと考えた。そこで週刊誌に連載されていた無名に近い作家たちの(エロ)小説をまとめて単行本にしました。「ナイトブックス」と名付けたこのシリーズは売れました。なかでも清水正二郎という作家の本は人気があったんですが、この人はのちの(直木賞作家)胡桃沢耕史です。

――それらは異性愛者に向けた、いわゆる普通の官能小説ですね。

 そう。そんなある日、秋山さんという全身緑色の服を着た変わった人が、原稿を持って訪ねてきた。うちに来るくらいだから、あちこちの出版社で断られたんでしょう。話を聞くと「マスターベーションのやり方を書いた本だ」というんです。そこでパッとひらめいた。当時は「マスターベーションは健康に悪い」という説もあったから、若い人たちは不安を抱いていた。だから「これを出せば、気持ちの晴れる人もいるだろう」と。その原稿を『ひとりぼっちの性生活』として出版しました。

 すると意外だったのが、読者からの手紙のなかに「男のことを考えながらマスターベーションをしています」という男性の感想が結構あった。そこでまたひらめいて、同性愛者に向けた本を作ろうと思った。だけど当時、同性愛なんてのはタブー。「世間の人は同性愛なんて異常だ変態だ」と思っていたし、ご本人たちもたぶんそう思っていた。そこでまず『レズテクニック』という本を作った。これは男性にも売れるわけです。その後、『ホモテクニック』という本を出しました。

――同性愛者向けの市場が少しずつ開拓されていった、と。

 その後、何冊か同性愛の本を出すうちに、ゲイの人たちの悩みや苦しみがわかるようになってきた。一番の悩みは友達を見つけられないこと。地方にいたらなおさら。だから文通欄を設けた雑誌を作りたいと考え、単行本の後書きに「今度、雑誌を出したい」と呼びかけた。すると間宮浩、藤田竜という2人の作家が声をかけてくれ、彼らが中心となって1971年、『薔薇族』が創刊されました。

■「百合族という言葉を作ったのは僕」

――『薔薇族』というネーミングはどこからきたのですか?

 本当は『薔薇』としたかった。ところがその名前ですでに登録している人がいた。園芸雑誌か何かじゃないかな。ギリシャ神話か何かで「薔薇の下で男同士が契りを結ぶ」というのがあるらしい。レズビアンの人たちのことを「百合族」というのは、僕が考えました。百合はほら、ナルシシズムの象徴だから。

――創刊当初の売れ行きはどうでしたか。

 取次(書籍の卸問屋)に持っていったら「こんなもの誰が買うんだ」と言わたけれど、そこを交渉して扱ってもらえるようにしたのが僕の功績といえば功績かも知れない。そのおかげで全国の書店に『薔薇族』が並んで、皆さんに買ってもらえましたね。

 でも当時、読者が『薔薇族』を買うのにどれだけ苦労したか。自分の暮らす街では買いにくい。だから皆、他の街に行って買う。新幹線に乗って、東京まで買いに来た人もいるしね。こちらでも定価を500円とか1000円にして、買う人がお釣りをもらう時間を省略できるよう工夫していました。

■「本音で交際したい」人気を博した文通欄

 「友達を見つけられない」と悩む同性愛者のために作られた『薔薇族』の文通欄「薔薇通信」は人気コーナーとなった。ここには次のような読者から読者への呼びかけが掲載されている。

「仕事に燃えている俺。真っ黒に日焼けしている俺。胸毛のある俺。やさしさと外見では絶対君をガッカリさせない自信あり。思いきってアタックしてくれ。返事確実」(1985年8月号)
「気楽に呼び合い、無理せず本音で交際したい。寂しいとき甘えたいときは俺の腕枕で眠れよ。俺が辛いとき、君の優しさ下さい。どんなときでもお互い力になりあえる仲、作り上げよう」(1988年11月号)

――「薔薇通信」には読者からの呼びかけがたくさん並んでいますね。

 多いときは1号に1000人分くらい載せていましたね。郵便局の人が毎日、大きな袋でずっしりと手紙を持ってきて。この欄は限られたスペースのなかで自分をよく見せるために読者は工夫するわけですから、ある有名な作家は「薔薇通信を読むのが一番面白い」と言ってくれました。海外からの投稿もあったしね。

――『薔薇族』が最盛期を迎えたのはいつ頃ですか?

 日本テレビで『同窓会』という(同性愛をあつかった)ドラマがあった。ちょうどその頃(1993年ごろ)だと思う。『薔薇族』が100号を迎えたときには、雑誌『週刊文春』が取りあげてくれました。ところがだんだんインターネットなんかに押されていって、印刷屋さんから「今月号を出したら(未払い金が)なおも増えるから、終わりにしてくれ」と引導を渡されてしまった。だから雑誌で「やめます」ということを言わずにやめてしまったんです。一時期は数万部売れていたけど、その頃は3000部くらいまで落ちていたかな。

■「少年愛の人たちは自分から声をあげられない」

――伊藤さんは、いまの社会をどのように見ていますか?

 いま一番気にかかっているのは少年愛の人たちの苦しみです。同性愛者のなかでも、少年愛の人たちは自分から声をあげられず、ひっそりと暮らしていると思う。大多数の人は(その感情を)理性で抑えているけれども、それができないで犯罪を起こしてしまう人もいる。

――同性愛者は仲間を見つけやすくなりましたが、少年愛の人は実際に行動することができない難しさがあるということですね。

 いま厚生労働大臣になった小宮山(洋子)さんが副大臣だった頃、あるシンポジウムにいらっしゃったので、児童ポルノ規制に関する質問をしたんです。すると「ネットに子供の写真が載ると二度と消せないから、人権問題になる」と返ってきた。

 でも、こういうことを言うと怒られるかも知れないけれど、そうした写真を「見たい」と思う人たちのことを考えていない。少年愛の人たちは何も好き好んでなったわけではなく、持って生まれたものだから。

 それにやっぱり見るものがないと。昔、ある地方で塾を経営している方で、少年の写真を綺麗に撮る人がいた。その写真がポルノショップで大量に売られていた時代があるんだけど、少年愛の人たちのなかには、その写真に慰められた人も多いんじゃないかな。小宮山さんにはぜひ、(少年愛を描いた)映画『ベニスに死す』を観てもらいたいものです。

◇関連サイト
・[ニコニコ生放送] 『薔薇族』伊藤文学氏を追ったドキュメントから視聴 - 会員登録が必要
http://live.nicovideo.jp/watch/lv67963126?po=news&ref=news#41:05

(土井大輔)

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