ウレぴあ総研

4月に小学生になる年長さんは就学時検診の時期ですね。小学校へ入学するための健康診断です。

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でも、もし、「発達障害の疑いがあります。特別支援学級への入学をお薦めします」と言われたら、どうしたらよいのでしょうか。

『1人でできる子が育つ テキトー母さんのすすめ』の著者の立石美津子が自身の経験も含めてお話ししたいと思います。

幼稚園・保育園時代からトラブル続き

数分間のことなのにじっとしていられない。
部屋から脱走。
集団行動がとれない。
躾はきちんとしていたつもりなのにお友達と同じように出来ない我が子。

家で「どうしてみんなと同じようにできないの!」「何度言ったらわかるの!」と、叱っても改善はしない我が子。
でも「ちょっと個性的なだけ、元気が良すぎるだけ」と自らを納得させ、やり過ごしてきた幼児期、不安は持ちながらも「小学校へ入学すれば環境も変わるし何とかなるかも…」と我が子の問題行動を見て見ぬ振りをしてきたママでした。

そして、就学時検診の日を迎えたのでした。

「就学時検診」での突然の宣告。発達障害とは

「発達障害の疑いがありますから、更に細かい検査を受けてください。入学先は特別支援学級をお薦めします」と言われました。

発達障害とは。
1.学習障害(LD)
2.注意欠如/多動性障害(AD/HD)
3.高機能自閉症
4.アスペルガー症候群

まるで癌検診を受けた後、何となく「そうかな、でも良性に違いない」と思っていたところ「残念ですが、悪性腫瘍でした」と宣告をされたような感じです。

その場で泣き崩れる人もいます。「いえ、いえ、うちでは普通です!」「うちの子をバカ扱いして!」と反論し行政側を訴える親も実際います。

ママ友に泣きついても、人間関係を悪くしたくないので「担当の人、酷いこと言うね。個性の一つなのにね」としか言ってくれません。もしかしたら、あなたもそう思い込もうとするかもしれません。
けれども、本当のことを愛を持って進言してくれる人に耳を傾けてみませんか?

受け入れられない親、子どもの「幸せ」って?

ショックを受けない親は皆無です。
個性的なだけと思って育ててきた6年間。小学校入学前に急に「障害の疑いあり」だなんて言われたら、誰しもそう簡単には受け入れられないのは当たり前です。

でも、どんな子だって“かけがえのない我が子”です。「出来損ないだったら認めない、出来がよかったら受け入れるんでしょうか」そうではなくただ悲しいだけ。

「こんな風に生んでしまってごめんね」と自分を責める人、「妊娠中にビールを飲んだのがいけなかったのかな?」「いつまでも仕事していたからいけなかったのかな?」とあれこれ思いを巡らせてしまいます。

子どもが生まれる時「五体満足で生まれて来てほしい。指は5本ずつあるかな。1本多くないかな」「目は見えているかしら」「耳は聞こえているかしら」と確かめたことを思い出し涙が出てきます。

でも、子どもの適性、能力にあった学校、学級に進むことが子どもの幸せにつながります。

発達障害児の「小学校の選択肢」と選び方

発達障害児のための小学校の種類と選択肢

「特別支援学校」
……盲・聾・知的障害児のための独立した学校

「特別支援学級」
……学校の中に併設された配慮の必要な子どものためのクラス

「通級」  
……普通学級に籍を置きながら特別なクラスに何日か通う形式

「普通学級」 
……通常の健常児のクラス

普通学級に進級した場合に待ち受ける、厳しい環境

知的に遅れがない場合は特別支援学級では物足りません。でも、普通学級に進級できたからと言って安心してはなりません。
普通学級は定型発達児が90%以上いる中での一斉指導が基本です。ですから、健常児クラスにいても特別な配慮をしてもらう必要があります。

もし、親が障害を認めず先生にそれを伝えなければ「ごく普通の子」として扱われます。

幼稚園時代と異なり小学校では友達関係も複雑になり陰湿な苛めもあります。勉強も日を追うごとに難しくなっていきます。その子の特性にあった対応をされなかったことによって負った傷はその後の人生に大きな影響を落とします。

普通学級に進む場合の4つのポイント

(1)担任に伝えておく……抽象的に「自閉症です」とか「パニック、こだわりがあります」では不十分。どんなことにこだわりがあり、パニックはどんな時に起こるのかなど具体的に伝えましょう。

(2)クラスメイトに伝えておく……「あの子だけどうして離席を許されるの?特別扱いされてずるい。えこひいきされている」と思われ苛めの原因になることも。だからクラスメイトにも担任から話をしてもらいましょう。

(3)ママ友に伝えておく……「あの子のせいで集中できない」「家庭の躾がなっちゃない」とクレームを言われないために保護者会でカミングアウトしましょう。

(4)本人にも「あなたには生まれ持った特性がある、努力不足でもなく、あなたが悪いのでもない」と告知しましょう。

防げるはずの「二次障害」で苦しまないために

二次障害で苦しまないために

もし、特別な配慮をされなかった場合、小学校6年間、理解されず適切な支援を受けられなかったツケは大きいです。
思春期以降、鬱、リストカット、他害、精神疾患と言った元々起こっていなかった二つ目の障害“二次障害”で親子とも苦しむことになります。

これは元々あった脳の障害ではないので防げたはずのものです。

「難しかったらドロップアウトさせる」のは可能?

学校選択は行政の判断よりも親の意思がまず優先されます。

だから「普通学級では難しい」と言われたのにも関わらず、親の意思で何が何でも普通学級を選択する親が出てきます。「とりあえず普通学級に通わせて、もし途中でついていけなくなったら特別支援学級にかわろう」と考える人がいます。

けれども、子どもにとっての1年は大人の10年分くらい大きな意味を持ちます。1日1日、一瞬一瞬がとても大切です。ですから「様子をみよう」といたずらに月日をやり過ごすことはよくありません。
この段階でかなりの心の傷を負い、二次障害を起こしてしまうからです。

そして、「自分だけが出来ない。どんなに頑張ってもお友達と同じように出来ない」体験は、子どものプライドをズタズタにし、自己肯定感を失わせます。
その時点になってから支援学級に移り「あなたは価値がある人間なんですよ」と教育を始めても元に戻すのはかなり時間がかかります。

“まず小さな集団である特別支援学級に入れ、成長をみて普通学級にかわる”この順番が良い順番です 。

“こうあるべき”ではなく“あるがまま”を受け入れる

子育ての仕方のスイッチモードを切り替えましょう。
決して「できるだけ健常児に近づけよう」なんて思わないことです。

個性の一つ、性格の問題としたくなる気持ちもわかりますが、そうではないのです。どんなに努力しても健常児にはならないのです。死ぬまで障害を抱えて生きて行かなくてはならないのです。お爺さんお婆さんになっても自閉症は自閉症、学習障害は学習障害なのです。

愛があるなら受け入れよう

親が健常者であれば「障害があることは不幸なことだ」という固定観念があります。
だから、健常児に出来るだけ近づけることを夢見て「幸せになってほしい」と願います。

でも、もっとも不幸なことは、親が認めてやらないことと、自分が幸福感を得られない場に毎日登校しなくてはならないことです。「自分には価値がある」という人生を切り開いていくための大事な武器“自己肯定感”を築くことができないまま大人になっていきます。

人生は連続です。子育ては今の眼先、1~2年先を見ていてはいけません。幼児期に適切な支援をしなかったしっぺ返しが後になって必ず来ます。
そしてその時点で人生を巻き戻そうとしても、幼児期に戻って育て直しは出来ないのです。

障害があることはちょっと不便で支援が必要だけど、不幸なことではないんですよ。どんな子だってあなたのかけがえのない我が子です。

五体不満足な子

五体不満足な子

乙武洋匡さんには、何故、あんなに自信満々な顔、自己肯定感があるのでしょう。彼に手足がないなんてこれっぽっちも感じさせません。
そんな今の乙武さんを作ったのはお母さんです。

最後に乙武洋匡さんの著書抜粋を読んでください。


『昭和51年4月6日。満開の桜に、やわらかな陽射し。やさしい1日だった。オギャー、オギャー」火が付いたかのような泣き声とともに、ひとりの赤ん坊が生まれた。元気な男の子だ。平凡な夫婦の、平凡な出産。ただひとつ、その男の子に手と足がないということ以外は。先天性四肢切断。分かりやすく言えば、あなたには生まれつき手と足がありませんという障害だ・・・・本来ならば、出産後に感動の「母子ご対面」となる。しかし、出産直後の母親に知らせるのはショックが大きすぎるという配慮から、「黄疸が激しい」という理由で、母とボクはーヵ月間も会うことが許されなかった。それにしても、母はなんとのんびりした人なのだろう。黄疸が激しいという理由だけで、自分の子どもにーヵ月間も会えないなどという話があるだろうか。しかも、まだ見ぬ我が子だ。「あら、そうなの」となんの疑いも持たずにいた母は、ある意味「超人」だと思う。

 対面の日が来た。病院に向かう途中、息子に会えなかったのは黄疸が理由ではないことが告げられた。やはり、母は動揺を隠せない。結局、手も足もないということまでは話すことができず、身体に少し異常があるということだけに留められた。あとは、実際に子どもに会って、事態を把握してもらおうというわけだ。

 病院でも、それなりの準備がされていた。血の気が引いて、その場で卒倒してしまうかもしれないと、空きベッドがひとつ用意されていた。父や病院、そして母の緊張は高まっていく。「その瞬間」は、意外な形で迎えられた。

 「かわいい」─母の口をついて出てきた言葉は、そこに居合わせた人々の予期に反するものだった。泣き出し、取り乱してしまうかもしれない。気を失い、倒れ込んでしまうかもしれない。そういった心配は、すべて杷憂に終わった。

 自分のお腹を痛めて産んだ子どもに、1ヵ月間も会えなかったのだ。手足 がないことへの驚きよりも、やっと我が子に会うことができた喜びが上回ったのだろう。
この「母子初対面」の成功は、傍から見る以上に意味のあるものだったと思う。人と出会った時の第一印象というのは、なかなか消えないものだ。後になっても、その印象を引きずってしまうことも少なくない。

 まして、それが「親と子の」初対面となれば、その重要性は計り知れないだろう。母が、ボクに対して初めて抱いた感情は、「驚き」「悲しみ」ではなく、「喜び」だった。生後1ヵ月、ようやくボクは「誕生」した。』

後書きにはこうも書いてある。

『これから生まれてくる子どもに対して、親が馳せる想いはさまざまだろうが、最低限の条件として、このような言葉をよく耳にする。
“五体満足でさえ生まれてくれれば…”だが、ボクは、五体不満足な子として生まれた。不満足どころか、五体のうち四体までがない。そう考えると、ボクは最低条件すら満たすことのできなかった、親不孝な息子ということになる。だが、その見方も正しくはないようだ。両親は、ボクが障害者として生まれたことで、嘆き悲しむようなこともなかったし、どんな子を育てるにしても苦労はつきものと、意にも介さない様子だった。何より、ボク自身が毎日の生活を楽しんでいる。多くの友人に囲まれ、車椅子とともに飛び歩く今の生活に、何ひとつ不満はない。』

 

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