零戦は「殺人魔機だ」 中国メディアが「醜名とどろく飛行機」と罵倒、「日本での復活飛行は安倍政権の意向が関係」と決めつける
サーチナ

 旧日本海軍の零式艦上戦闘機(零戦)の試験飛行が27日、鹿児島県鹿屋市の海上自衛隊鹿屋航空基地で行われることを受け、中国メディアの環球網は26日付で「日本で明日、第二次世界大戦の『殺人魔機』が復活飛行。戦後初の登場」と題する記事を発表した。

 記事本文でも最初の部分で、「第二次世界大戦終了後、同機型(零戦)が初めて日本の空に出現する。『第二次世界大戦殺人魔機』の『復活』と見なされていると強調した。

 日本における零戦の飛行復活を進めてきたのは、ニュージーランド在住の実業家、石塚政秀氏だ。環球網は日本メディアを引用して、石塚氏の取り組みや日本政府の反応を紹介したが、石塚氏が零戦を「日本のものづくりの原点」と強調していることには触れていない。

 記事は、石塚氏の取り組みを紹介した次に、改めて「零戦は中国侵略戦争にも参与した。戦争末期には『神風特攻隊』として自殺攻撃を行うさいの、主たる機種だった。第二次世界大戦時の『殺人魔機』として醜名がとどろいている」と、改めて零戦を非難した。

 日本政府が零戦の国内飛行を認めたことについては、「第2次安倍内閣の発足以来、日本政府はこの種の罪悪戦争の『殺人神器』の記憶を増やしている」と主張。

 さらに、「今回の零戦の復活飛行を許可する前にも日本はヘリコプター空母の出雲(いずも)を2013年8月6日に、ヘリコプター空母の加賀(かが)を2015年8月27日に進水させた」、「出雲も加賀も第二次世界大戦中の日本の主力航空母艦であり、米軍に撃沈された」と論じた。

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◆解説◆
 零戦の初飛行は1939年で、制式採用された皇紀2000年(1940年)だったことから、零式艦上戦闘機と名づけられた(航空機名に皇紀を用いるのは、敵に開発時期を伝えているのと同じとの理由で、後に取りやめられる)。

 零戦は極限までの軽量化、定速回転プロペラ、超々ジュラルミン、剛性低下式操縦索など、機体設計で当時の最新技術が込められていた。特に格闘性能、操縦性のよさがもたらした射撃命中率のよさ、航続距離の長さなの優れた点があった。ただし、軽量化のために機体の強度などを犠牲にした面があり、急降下の限界速度が低く、被弾した際の防御も考えられていなかっため、戦争の進行とともに撃墜されるケースが増えた。

 零戦が初めて実戦を行ったのは1940年9月12日。重慶市近くの上空で零戦13機が中華民国軍の戦闘機34機の編隊と戦闘になった。中国軍はソ連製戦闘機のI-15、I-16を使用していた。零戦は機数が半数以下だったのにもかかわらず、27機を撃墜した(中国側発表は被撃墜13機、被撃破11機)。日本側は1機が被弾したが、撃墜された機はなかった。

 日本は敗戦にともない航空機開発が禁止された。そのため航空関連の技術者は自動車や鉄道の開発に携わるようになった。現在の自動車産業や新幹線技術の基礎を築いたと言える。

 写真は米国のシアトル市上空を飛行する零式艦上戦闘機(22型)。2013年6月29日撮影。(編集担当:如月隼人)(イメージ写真提供:(C)Christopher Fell/123RF.COM)

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