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『ポケットモンスター』の生みの親といえば、現『ゲームフリーク』社長の田尻智さん。田尻さんは、同世代の人たちにとっては伝説のゲームフリークであり、憧れの存在でした。今回は、若い世代はあまり知らない田尻智さんの伝説についてご紹介します。

●個人でゲーム攻略雑誌を創刊!

田尻智さんは1965年(昭和40年)生まれ。『スペースインベーダー』(1978年・昭和53年に登場)などのクラシックなゲーセンゲームの直撃を受けた世代です。日本全国にゲームセンターに行って100円を積み上げる中学生がたくさんいました。

田尻さんもゲーセンゲームの洗礼を受けましたが、非凡であったのは、1983年(昭和58年)高校生のときにゲーム攻略誌『ゲームフリーク』を独力で執筆して創刊したことです。今でいう同人誌でしたが、この本は日本全国の同世代のゲームファンに大きな衝撃を与えました。

筆者が某ゲーム雑誌出版社に勤務していた際、某雑誌で編集長を務めていた人が「すごい人なんだよ」と力説していたのをよく覚えています。田尻さんはすでに当時のゲームファンから「天才だ」といわれていたそうです。

●ゼビウスの攻略本が大ヒット!

いわゆるミニコミ誌『ゲームフリーク』はゲームファンの心を捉えました。掲載されている情報が濃く、自分たちが知りたい情報だったからです。今でも伝説なのは、シューティングゲーム『ゼビウス』の攻略法を記載した別冊号です。

『ゼビウス』は大ヒットゲームですが、隠しキャラクターという要素が入っていて、ゲーマーたちはそれをどのように出すのかなどの情報を求めていました。大堀康祐(ペンネームは「うる星あんず」)さんと中金直彦さんによる『ゼビウス 1000万点への解法』を『ゲームフリーク』の別冊として刊行。これが大ヒットしたのです。約1万部売れたといわれています。

●公式開発機材なしでファミコンソフトを開発!

田尻さんは、ゲームのプレーヤーから開発者へと進みます。『ゲームフリーク』で培った人脈を基に1989年(平成元年)にはファミコン用アクションゲーム『クインティ』を開発、ナムコから発売され約20万本以上を売り上げるヒット作となりました。

このタイトルの開発は、任天堂からの公式な開発機材なしで制作するというすごいものでした。なんと、開発機材を自作することから始め、自作のROMカセットをナムコに持ち込んでデモが行われたそうです。このデモを受けてナムコから正式に発売されたのです。

後に当時の関係者から伺いましたが、このデモも、インディーズのレーベルが独力でファミコンソフトを制作しそれが発売されるという出来事も空前絶後、後にも先にもこのゲームフリークの『クインティ』だけだそうです。面白いゲームを作りたいという熱意が成し遂げた伝説です。

アニメ『ポケットモンスター』の主人公・サトシは田尻智さんから取られているそうです。ポケモンの大ヒットは田尻さんの名前を世界的なものにしました。ゲーム文化の勃興期を駆け抜け、また現在も走り続けている田尻さんはこの後も多くの伝説を残されるのではないでしょうか。

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(高橋モータース@dcp)

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