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 閉塞感が蔓延している日本。なかでも東北地方は若者らが都会に流出する「過疎化」の問題と常に隣り合わせだった。それに拍車をかけるように起きた東日本大震災。未曾有の大災害に東北地方はかつてないほどに疲弊している。

 三井俊介さん(23)は2012年3月末に卒業を控えた東京の大学生だ。昨年の震災直後に復興支援団体を設立、被災地・陸前高田市でボランティアに従事した。今年4月からは陸前高田市広田町に移住し、将来的にはそこで起業するという。若い力を生かして被災地で事業を起こすことを決意したのはなぜか。そして震災から1年が経とうとしている今、何を思うのか。

・東日本大震災 3.11 特集
http://ch.nicovideo.jp/channel/311

(聞き手:上野佑)

■「とにかく何かしなきゃ」という気持ち

――東日本大震災2日後に復興支援団体「SET」を立ち上げた経緯を教えてください。

 大学在学中の2008年に「WorldFut(ワールドフット)」という学生団体を立ち上げたのですが、この活動を通して知り合いになった人などを含め6名でSETを設立しました。はっきりと言葉にできるものはなかったと記憶していますが、「とにかく何かしなきゃ」という気持ちでしたね。震災翌日に集まったメンバーは皆、たぶん同じ思いだったと思います。

 震災直後には、「大学生は募金・献血・節電くらいしかできない」という風潮がありました。被災地のために何かをしようとすると、「現地に行くな」「家でおとなしくしていろ」などとツイッターで言われることもありました。ただ、ワールドフットの活動の中で繋がっていたNPOや企業の人脈を活かして、何かできるのではないかと思いました。

 たまたま別の支援団体を立ち上げていた陸前高田市出身の知人がいて、その団体のメンバーが、4月6日に陸前高田市に行くことになり、一緒に付いて行くことにしました。彼によると、陸前高田市の長部(おさべ)地区と広田町の復旧作業が遅れており、その団体は長部地区で支援をすると言うので、私は広田町で活動することになりました。

■「10年、20年と復興に携わらせてください」

――初めて訪れた被災地では、何を感じましたか?

 テレビやインターネットの映像などで被災地の様子を見てはいたのですが、改めて衝撃を受けました。ただ、あまり考えすぎないように、自分の中に入れないようにしていたと言うか・・・。瓦礫の中には、身の回りにあるような生活用品がたくさん混じっていたんですよね。すべてを心に受け入れていくと自分が潰れてしまいそうで、精神状態をコントロールするように気を付けました。

――被災地では最初どのような活動から始めたのですか?

 一緒に陸前高田市に入った知人の団体のメンバーは皆、長部地区で活動することになっていたので、実質私は一人でした。知人が広田町防災本部の本部長さんに「この子がここで手伝ってくれるみたいなのでよろしく」と繋いでくれましたが、もちろん本部長も初めてお会いする人です。

 当時、広田町は県外からのボランティアを受け入れていなかったこともあり、「若者1人に何ができる」「どうせすぐ帰るんだろ」と言われました。そこで、「10年、20年と復興に携わらせてください」と本部長に意気込みをぶつけたんです。そうしたら3日後くらいに、「そこまで言うなら」と受け入れてもらえることが決まり、SETのメンバーを呼び寄せました。だから、最初の活動は「SETを被災地に呼ぶための受け入れ態勢を構築した」とも言えます。結果、現地入りしてから5日後に、SETのメンバーを現地に呼んで、10日間の活動をスタートさせることができました。

――その10日間の活動で主にしたことは何でしょうか?

 津波被害状況の地図作成の作業です。昔、広田町が津波に襲われた際にも地図を作ったらしいんですが、半年から1年経ってからの作成だったので、人々の記憶があいまいになっていて、正確なものができなかったそうです。本部長さんは「このタイミングだったら君たちもできるだろう。町中をまわれば顔と名前も覚えてもらえるから、君たちにとっても都合がいい。広田町について、もっとよく分かるよ」と依頼してくれました。そういうわけで私たちは、広田町がある半島全域を歩き回って地図を作りました。

 具体的には、家を一軒一軒回って、全壊・半壊等の印を地図に付けていく作業です。被害状況は、約1000世帯ある広田町のうち、合わせて381世帯が全壊・半壊でした。3分の1が被災した地域となります。これをデータ化して本部長さんに提出し、5月には国交省にも提出しました。

 この地図作成作業をしっかりと行い、それから1ヶ月に1回、継続して現地入りを行うことで、徐々に地元の方々との信頼関係が構築されていきました。今では、広田町に行くと「おかえり」と言ってもらえるようにもなりました。はじめは本部長も「試しにやってごらんよ」と半信半疑のような感じでしたし、少なくとも今のような信頼関係ではなかったですからね。

■被災地で分かったもうひとつの問題・・・世代間の「溝」

――その広田町で将来は事業を起こすということですが、そこに至った経緯を教えてください。

 そもそも就職活動をしていなくて、「起業しよう」と思っていました。最初は、ワールドフットで関わっていた東南アジアのカンボジアで起業しようと考えていたんですけど、震災後にボランティアとして携わった陸前高田市広田町への気持ちが高まっていきました。

 昨年8月のことです。2回にわたる「2泊3日の現地入りプロジェクト」を組んで、主に都内の同世代の人と陸前高田市広田町に滞在しました。その後、ワールドフットの活動関連で10日間カンボジアにも行ったんです。帰国後、落ち着いて考えると、「いま自分が携わりたいのはカンボジアではない。とにかく被災地復興にもっと深く関わりたい」と気付き、9月には移住を決意しました。

――移住を決意した時点で具体的な起業案がありましたか?

 正直言ってありませんでした。SETのメンバー皆と「自分たちのやってきたことはなんだったんだろう」「復興における自分たち外部の若者の役割ってなんだろう」と相談する中で、「それは外部の若者を陸前高田や広田町に巻き込んで、新しい街づくり、『復興』に関わってもらうことじゃないか」という結論に至りました。

 そのためには、まず「復興とは何か」を定義づける必要があります。そこで、広田町が抱える問題を調査しました。すると、「50年後には広田町はなくなるのではないか」という地元の声がありました。どの地方も同じかもしれませんが、広田町にも人口の流出問題があります。それに震災が拍車をかけていました。つまり、被災地には「震災の影響で生じた問題」と「その地域が元から抱えていた問題」の2つがあるのです。この両方を解決して、新しい街づくりを達成することこそが「復興」なのです。

 さらに詳しく、地域の問題について地元の方々に話を聞いていくと、若い世代からは「年配が抑圧的で力を発揮できない」という意見がありました。一方、ご年配には「若者は漁業や農業の魅力に気付いていない」という意見がありました。お互いがお互いに対して不満をもっているのです。つまり、世代間のコミュニケーションが不足しているのです。

 もともと仕事が少なく、田舎で不便。世代間の愚痴の言い合いが溜り、そこにうんざりした人たちが都会へ出て行ってしまう。こういった構造だったところへ外部の若い世代が入れば、世代間をつなぎ合わせていくことができると思いました。

 もう1つ、私たちが抱いている都会の同年代に対しての想いです。SETでは、被災地の復興と同時に、都会の若者に「東日本大震災と向き合っていこう」というメッセージを発信しています。なぜ都会の若い世代へも発信するかというと、私自身が「都会の若い世代には『自分らしく生きられない』と思っている人が多いのではないか」という疑問を持っているからです。これについては、「都会・若者」と「田舎・年配」をかけ合わせていくことで解決法が見えてくるのではないかと考えました。

――「復興」と「都会の若い世代が持つ悩みやもどかしさ」を同時に解決するということですね。そのためには具体的どういったことをするのでしょうか?

 外部の若い世代が街づくりに参画できれば、2つの問題を同時解決できるのではないかと考えます。そのためには、まず人々が集まる「場所」が必要です。また、継続的に「外部から若い世代」がやって来る仕組みも必要です。さらには、彼らが街づくりに参画できる仕掛けも必要です。まずは移住し、その後しっかりと問題の根源を掴んだ上で、一番よい方法で事業を起こし、解決に向かっていきたいと考えています。

■「地元の人」になって心の底から分かり合えるように

――被災地の同世代の若者たちとは、どのように事業を絡ませていくのですか?

 一緒にやっていきたいとは思っていますが、正直、地元の若者にはほとんど声を届けられていないんです。年配の方々とはお付き合いさせていただいているんですが・・・。

 地元の若者たちには、「あきらめ」のようなものがある印象を受けます。ずっと同じ場所で暮らしてきているので、なんとなく無意識に「変わらない」と感じているのでしょうか。そこを何とかして、陸前高田市に住んでいる若者と一緒に動けたらと思います。現地の人こそ「復興」への思いが強いのは言うまでもないので、私でよければ「きっかけ」としてお手伝いしたいですね。

――最後になりますが、いま自分に足りない部分や、「この部分はサポートしてほしい」ということがあれば教えてください。

 いろんな方が助けてくださいますが、やっぱり正直なところ資金が一番ですね(笑)。あとは、陸前高田市の行政とあまり話せていないことです。移住した後、すぐにでも会って話がしたいと考えています。

 陸前高田の方、広田町の方を含めて、もっといろんな人の話を聞かないと見えない部分があるのは事実です。移住したら、私は陸前高田の人間、広田の人間になるわけで、多分話してくれることも変わってくると思います。本当の気持ちと言うか、少しずつでも話ができればいいなと。

 そこで分かり合うことができなければ、「事業やります」と強がっても多分うまくいかないし、本当の意味での復興には何も貢献できないと思うんです。地元の方が「これやってほしい。あれやってほしい」と本当に心の底から言ってもらえるよう時間をかけてやっていきたいと思います。

(了)

◇関連サイト
・生まれゆく光の中で 陸前高田市広田町で「今」を大切に生きる - 三井俊介さんのブログ
http://ameblo.jp/pennta12/
・東日本大震災 3.11 特集
http://ch.nicovideo.jp/channel/311

(聞き手:上野佑、写真:山下真史)

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