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 『311』というタイトルのドキュメンタリー映画が2012年3月3日、劇場公開される。その名の通り、約1年前の3月11日に起きた東日本大震災をテーマにした映画だ。森達也、綿井健陽、松林要樹、安岡卓治という4人の個性的なドキュメンタリストが震災発生2週間後の福島や宮城、岩手に入り、現地の惨状とそれに戸惑う自分たちの姿を写し撮った。

 こう書くと、3.11以来、雨後のタケノコのように作られた「震災ドキュメンタリー」の一つと思うかもしれないが、これはかなり変わった映画である。津波で破壊されつくした東北の町や悲嘆にくれる被災者も登場するが、それがメインテーマではない。主人公は、ずうずうしくも被災者を撮影する4人の男たち、彼ら自身なのだ。

 映画が観る者に問いかけるのは、「他人の不幸で飯を食う」というメディアが根源的に抱える矛盾だ。ドキュメンタリー映画『A』や『A2』でマスメディアが伝えないオウム真理教信者の日常を描いてみせた映画監督・森達也。その彼が被災地で感じ続けた「後ろめたさ」とは、いったいなんなのか。『311』の公開直前、その真意をたずねた。

・東日本大震災 3.11 特集 - インタビュー「3.11」連載
http://ch.nicovideo.jp/channel/311

(聞き手:亀松太郎)

■津波が来たころ、ビールを飲んでゲラゲラ笑っていた

――このドキュメンタリー映画『311』の中で、森さんが「もともと被災地に行くつもりはなかった」と話しているシーンが出てきます。それを見て、意外というか、不思議な感じがしました。なぜ森さんは最初、「自分の目で見てみよう」とか「被災地へ行こう」と思わなかったんですか?

 不思議な感じの理由は、「森達也はジャーナリスティックな動きをする」という前提があるからだと思うのだけど、実際にはカケラもないです。現場にすぐ足が向くほうではないし、ジャーナリストとして現場を見てみたいという気持ちは全くない。だから被災地に行くまで2週間、朝から夜中までテレビをずっと見ながらボーッとしていました。綿井健陽さん(映像ジャーナリスト)から連絡がなければ、たぶんそのままだったと思います。

――テレビを見ていて「自分でこの場に行きたい」というのはなかったのですか?

 全然ないです。実は綿井さんに誘われる前も、いくつか「現地に行きませんか」と出版社の方などから誘いがありましたが、全部断っていました。綿井さんの誘いも1回断っているし・・・。

――「2週間テレビを見続けていた」ということですが、どういう気持ちでテレビを見ていたんですか?

 3月11日の当日、僕は六本木の森タワーの16階にいました。テレビドキュメンタリー企画の審査会があって、僕と崔洋一さん(映画監督)と星野博美さん(ノンフィクション作家)の3人が審査員です。ちょうど審査が始まった直後に揺れたんですが、16階だから尋常じゃない。それで審査会は中止になったんだけど、携帯はつながらないし、電車も動いていない。

 審査会には地方局のディレクターやプロデューサーたちがいっぱい来ていて、みんな、その日は泊まる予定でホテルを周辺にキープしていた。僕も家に帰れない。しかもそろそろ夕刻。「じゃあ、やることはこれしかないね」と20人ぐらいで、居酒屋に行きました。何となく高揚感らしきものもあったのか、そのときは浴びるように酒を飲みました。

――そのころ、とんでもないことが起きているということは知らなかったんですか?

 薄々は・・・。地震の震源が東北沖らしいとかは、もちろん知っていました。津波が来て相当の被害が出たらしい、とも。でも、言い換えればその程度です。きちんと受け止めてはいなかった。9時くらいになって店を出たけれど電車はやはり動いていないし、携帯もつながらない。星野博美さんの家に泊めてもらおうということになって、何人かで2時間くらい歩いたんです。途中に中華料理屋があったので、またビールを飲んで餃子を食べて、相当に酩酊して星野さんの家に着きました。

 みんなで雑魚寝する直前にテレビをつけたら、真っ暗闇で火がところどころ燃えている空撮映像が映っていた。街が壊滅しています。そこで初めて、状況を知りました。このときはその場にいる全員で、呆然としていたような気がします。

――そのときに、あそこまでひどいということを知ったんですね?

 これほどのことになっているとは、全く思っていなかった。津波が来て多くの人が苦しみながら息絶えていったその時間帯に僕たちは、ビールや酎ハイを飲みながら、ゲラゲラ笑っていたんです。距離にすればたかだか数百キロなのに・・・。翌日家に帰ってからは、ほとんど呆けたように早朝から夜中までテレビを見続けていて・・・。いつのまにか極度の鬱状態になってしまった。その頃に、綿井さんから電話がきた。

■「夜の被災地に身を置いてみたい、と思った」

――テレビを見ていると鬱になってしまうのだとしたら、「見るのをやめよう」という気持ちにはならなかったのですか?

 他にやることないですし、本を読む気にも全然ならなかった。出かけたくないし、人と話もしたくない。かなりこう(下向きに)なっちゃってました。

――自宅でひたすらテレビを見ていて鬱状態になるというのは「無力感」ということでしょうか?

 無力感もあるでしょうね。「自分に何ができるだろう?」とか。ただ、それ以前に、毎日のようにガレキや遺族を見ていると、それがだんだん自分に憑依(ひょうい)してしまう。今さらだけど映像の感染力は強いですね。見ているうちに、自分があたかも被災したかのよう感覚になっちゃったんだと思います。当事者ではないのに当事者であるかのような感覚を持ってしまった。当然ながら内実はなく、表層だけです。最もタチが悪い。

――「それではまずい」ということで、「外に出なければいけない」と考えたと。

 外というか、これがもし疑似的なPTSDなのだとしたら、その疑似を外そうと考えたような気がします。後づけかもしれないけれど。だから一度断った綿井さんに電話をかけたら、「安岡卓治(映画プロデューサー)と松林要樹(映画監督)と一緒に行きましょうか」と言われた。最初はスチールカメラを持って行くつもりだったんですけど、「ドキュメンタリーの作り手がそれほど同行するのなら、僕も久しぶりにムービーを持っていこうかな」と。結局、僕のカメラはもう10年も触っていなかったので使いものにならず、綿井さんのサブのカメラを借りました。

――その4人がみなドキュメンタリーをやっている人達だということで、全員でカメラを回すことになったわけですが、最初から「撮った映像を発表しよう」という気持ちがあったんですか?

 綿井さんと松林は震災直後から撮影をしていましたから、「2人はそれぞれ撮った映像を自分の作品で使うのだろうな」と思っていました。僕はまったくそんな気はなくて、あくまで記録用のつもりでした。安岡は何かたくらみがあったのかもしれないけど、全然そんなことを言わなかった。

――映画では「とにかく現認しよう」ということを言っていますが、実際にはみなさん、どんなことを考えていたのでしょうか?

 それは4人とも違うと思うんだけど、僕の場合はさっきも言ったように、作品にしようという気は全然なかったです。だから、「自分で見る」「臭いを嗅ぐ」「音を聞く」ということですね。テレビでさんざんガレキを見ていましたけど、映像って結局は「フレーム」ですからね。「360度」とは違うわけでしょ。

 それと当たり前だけど、映像は、光がないと撮れないわけです。つまり、夜の被災地はテレビ画面に映らない。だから、そのような場に身を置きたいと思った。あとは、臭いとか音とかね。「現認」という言葉を安岡は使ったけど、「体感したいな」というのはありましたね。

――広範囲にわたる被災地の中で、森さんが「まずここに行きたい」と思っていた場所はどこでしたか?

 石巻はなんとなく・・・。その段階で相当報道されていましたから、できれば行ってみたいなと思っていましたね。

――そのとき「石巻でこれを見てみたい」というのはあったんですか?

 ・・・たぶん、なかったと思う。明確な「見たい」というよりも「身を置きたい」という気持ちのほうが近かったんじゃないかな。そこに自分の体を運んでみるという。あるいは、その状況にいて、自分がどういう刺激を受けるのか、その辺を確認したいという感じだった。

■ この作品は「後ろめたさ」がテーマ

――たとえば、この映画『311』のチラシの説明文では「恐怖のなかで否が応でも高揚し」という言葉が使われているんですが、被災地に行ったとき、ある種の高揚感みたいなものはありましたか?

 ありましたね。被災地でもあったけど、やっぱり原発ですね。とてつもなく怖いですから、逆に躁状態になってしまう。戦場の兵士なんかもそうらしいですね。映画祭や試写で観た何人かのメディアの方から、「確かにあんな瞬間や状況はあるけれど、まさかそれを呈示するとは思わなかった」と言われました。

――被災地の旅館に泊まったときの映像のことですね。僕らも被災地に取材に行ったときは、宿に帰ってきたら寝転がってポテトチップスを食べるみたいな感じだったので、「まさしく取材ってこういうものだよな」と思ったんですが、ああいう場面って普通は外に出さないですよね。

 うん。普通は出さないようですね。

――なぜあえて、そういうシーンの映像を出しているんですか?

 たとえば、初めて被災地に入ったところで延々とガレキが見えてきたとき、カメラを持ちながら4人が「おお・・・」とか「ああ・・・」とか呻いているシーンがあります。たぶんテレビだったら、あの音声は何の迷いもなく消しちゃうでしょうね。なぜなら撮る側の主観が滲んでしまうから。でもこの作品はそれがテーマなんです。だから消さない。僕らの吐息とか困惑とか歓声など、すべて呈示する。

 ・・・であれば、やっぱり、線量計を見ながら狂乱状態になっているあの状況は、恥ずかしいしみっともないけれど、やはり隠すべきじゃない。終盤の僕の拙い偽善的なコメントも、カットせずに残すべきだ。メディアを批判するのなら、自分たちが後ろめたいシーンであればあるほど隠せない。だって僕たちもメディアの一部ですから。

 それに何と言っても、この作品は「後ろめたさ」がテーマです。僕の場合はまず、3月11日にベロンベロンに酔っ払っていた自分を思い出すたびに込み上げてくる「後ろめたさ」が端緒だけど、他の3人もそれなりに、きっと後ろめたさや自責感はあると思う。撮ったり取材したりする立場にいるならば、その思いは誰だってあるはずです。ないならば、その人はメディアの仕事をすべきではない。

 さらにメディアだけではなく、日本全体が震災後、「今、私たちにできること」とのフレーズが端的に示すように、「何かをしなければいけない」との感覚に陥った。ボランティアに行かねばならないと自分を鼓舞した。後ろめたいからです。自分は今、生きている。凍える思いもしていないし家族も無事だ。でも彼らは家族を流され、寒さに震えながら泣いている。その違いは何なのかと考える。違いなどない。あまりに不条理です。

 何かをしなければいけないとの思いは、当然だけど間違いではないです。とても正しい。でも後ろめたさはつらい。だから目を逸らして、真逆にある方向に行きたくなる。つまり集団化です。「がんばれ日本」とか「ニッポンは一つ」とか「絆」などのフレーズです。今は明らかにその方向に進んでいます。集団化とは群れです。そして群れは暴走します。大きな間違いを全体で起こします。特にこの国は集団化しやすい。歴史にはそんな事例はいくらでもある。だからこそ自分たちの「後ろめたさ」みたいなものから、目を逸らしてはいけないと思っています。

――この映画の核には「後ろめたさ」がある、と。

 少し大仰な言葉にすれば、「生きる原罪」のようなもの。誰もが持っている感覚です。これほどの災害に直面したとき、なぜ自分は生きているのか、なぜ彼らは死んだのか、何の違いがあるのか、もし神がいるのならば、なぜこんなにアンフェアなんだろう、と誰もが思うはずです。後ろめたさを直視すれば、自らの冷酷さにも気づくはずです。今回(の死者・行方不明者)は2万人です。去年のハイチの大地震では、32万人が死んでいます。四川の大地震は9万人。アチェの津波で21万人かな。

 でもそのとき、新聞を読んだりニュースを聞いたりしながら何を思ったかというと、ああ大変だなくらいです。何と痛ましいとは思ったかもしれないけれど、その日の夕食は普通に食べていたはずです。人間はこれほどに他者に対しては冷酷です。今回はそれに気づきかけた。だから落ち着かない。後ろめたい。

 これをテーマにした理由のひとつは、やはり自分がメディアの側にいるからだと思います。加害行為です。現地で考えました。もしも今回、大きな地震で大きな津波が来たけれど1人の犠牲もなかったとしたら、これほどの報道体制はないはずです。社会はそれほどに大きな関心を示さない。

 結局のところメディアは、「他人の不幸」を撮りに行っているわけです。人々の欲望の代理人です。僕も同じです。もしも泣いている人がいれば、みんなで走っていって、カメラやマイクを向けるわけです。両親が流された孤児が避難所にいると聞けば、マイクを手に出かけるわけです。これほどに「後ろめたい仕事」はないですよね。

――この『311』を山形国際ドキュメンタリー映画祭や釜山国際映画祭で上映したら「激しい賛否を巻き起こした」ということですが、その"賛"と"否"は具体的にどういうものだったのですか?

 たとえば、山形のときは、場内のQ&Aで手を上げた年配の女性の方から、『311』というタイトルがまず変だ、と批判されました。「これは311ではなく、その後ではないか」と。よくわからないけれど、それくらい不愉快だったということだと思います。

 要するにこの作品は、被災地に行きながら「セルフドキュメンタリー」を撮っているわけです。被災者とか被害を後景にしてしまっている。不愉快というより、それは不謹慎だと感じるのでしょうね。そう言われるのは覚悟していました。実際、そういう映画ですからね。

――逆に、そこに価値があると考えたらいいんでしょうか?

 「価値がある」かどうかはわからない。観た人それぞれでしょう。ただ、たとえば『AERA』が「放射能が来る!」と表紙で謳って袋叩きになったり、鉢呂元経産相が(失言騒動で)辞任したり、不謹慎が「葵の御紋」のように機能するという傾向は、確かに震災後に強くなった。つまり被害者や遺族の心情を共有するあまりの言論抑圧です。オウムにしても拉致問題にしても、近年のこの国の大きなイシューでは常に前面に現れる問題です。ならば反発したい。それがメインテーマじゃないけれど、「不謹慎さはあえて引き受けます」という狙いではありましたね。

――それに対して否定的な人もいる、ということですね。

 いなければ反発の意味がなくなります。

――では、賛否の"賛"のほうはどうでしたか?

 どうだっけ。よく覚えていないです。観た人それぞれでいいんじゃないかな。

■染み付いた習性で「何か聞かなくてはいけない」と思ってしまう

――遺族にマイクを向けるという点でいうと、この『311』でも、子どもを捜している母親の横に森さんが立って話を聞くというシーンが出てきます。あそこはどんな気持ちで、彼女の横に行っているんですか?

 あまり深く考えていません。遺族とは思っていなかったので、一緒に歩きながら「みなさまはどういう立場ですか」と気軽に聞いたら、「私は2人、子どもが・・・」などと答えられて、呆然としちゃったんです。こっちはガードを下げていたので、「何を聞けばいいんだ?」となってしまった。

――「何か聞かなければいけない」というのは、なぜ、そう思うのでしょうか?

 なぜかな・・・。考えたら、別に作品を作る気はなかったし、記録用にムービーを持って行っただけだから、「何か聞かなくてはならない」なんて思う必要はないんですよね。それでもやっぱり、ああいう場になったら、染み付いた習性で「何か聞かなくてはいけない」と思っちゃうんでしょうね。

――このドキュメンタリーの中では、「立ち入った質問ですが・・・」と言いながら、森さんが聞きにくいことをあえて聞いていくというシーンが何回か見られました。

 普通でしょ?あと「その不満を僕にぶつけてください」と母親たちに言っているシーンもあります。すごく偽善的な言葉です。本音はカットしたいけど・・・。でもだからこそ、さっきも言ったけれど、切ってはいけないと思ったんです。軽薄で歯の浮くようなセリフですよね。あの場にいたら、後ろから蹴りを入れたくなりますよね。

――あのセリフは、とっさに思い浮かんだんですか?

 とっさですよ、もちろん。逆に言えば「不満を僕にぶつける」ということは、僕のカメラの前でそれをやるということですから、何かが撮れるかもしれないと姑息に計算した可能性はありますね。

――そこは、ある種の職業的なことをいろいろ考えながら・・・

 まあ、反射神経だったり、もちろん計算もしています。そう思うと、子どもが2人死んで涙にくれる母親を前にして、そういう計算をしているわけですよね・・・。本当に最低だと思います。

――ただ、結果として、その現場にいなかった我々も、被災者が率直に胸のうちを語るシーンを見ることができるという点では、意味がある行為なのかなと思うんですが。

 結果としてはそうですけど、免罪はできないと思う。いっぱい人を傷つけていますよ。

■結局はエゴイズム。「みんなのため」とか、口が裂けても言えない

――遺体を撮ろうとしたシーンですが、今のカメラはすごく性能がいいので、かなり遠くからズームすれば、相手が分からないように撮ることも可能だと思います。それなのに、相手が分かるところまで近づいて、あえて「私たち撮ってます」という感じで撮影しているのはなぜですか?

 もちろんズームを使えばいくらでも撮れますけれど、そうすると音がなくて、臨場感が消えてしまう。何よりもドキュメンタリーの本質は、被写体と撮る側の相互作用だと僕は思っていますから。ロングじゃ相互作用が作れないです。だからとにかく近づく。ズームは最小限にする。その原則が、まずはあります。

 あと、自分の中では、ずっと「後ろめたさ」がテーマとしてありましたから、「もっと怒ってくれてもいいんじゃないかな」と内心、思っていたんですよね・・・。だから、決して挑発するつもりじゃないけれど、あそこで怒られたのはある意味で当然なのかな、と。怒って当たり前だと僕は思います。もし僕が彼らだったら、怒りますよ。

――でも、そうだとすると、「相手が怒って当たり前のことをなぜやるのか」と疑問をもつ人がいると思うんですよね。

 そうですよね。それは矛盾です。正解はないです。ケビン・カーターという写真家が『ハゲワシと少女』という写真を撮った。写真と少女の命のどちらを優先するのか。これも矛盾でありジレンマです。現場はジレンマだらけです。整理などできない。怒って当然だと思う。だから謝ります。でも撮ります。立場を変えれば理解不能でしょうね。

――それは「伝えなければならない」ということですか?

 うーん・・・。そういう高邁なモチベーションじゃないですね。いろんなものがありますよ。「撮りたい」というのもあるし、「撮ってみんなに見せたい」というのもある。名誉欲と言い換えてもいいかもしれない。もちろん「これは残さなければいけない」って気持ちはあるし、いろんなものが入っていますが、結局はエゴイズムですよ。「みんなのため」とか「伝える使命感」とか、口が裂けても言えません。あの場では言っています。とても恥ずかしい。だからその声を残したんです。

――遺体に関しては、日本のメディアが全然報じない一方で、ニューヨークタイムズやCNNなどの海外メディアはどんどん流すという違いがあったと思うのですが、遺体を映すことを避けようとする日本のメディアについて「おかしい」と思わないですか?

 難しい問題ですね。僕は、戦争報道では遺体を隠すべきではないと思っています。なぜなら戦争は人災ですから。でも、(今回の震災は)天災ですからね。ことさらに遺体を強調しなくてもいいんじゃないかと思っています。

 ただ、個々の遺体が識別できる撮り方ではなくて、それこそロングでたくさん遺体を撮るとか、そういった状況は出すべきだったかなと。日本のマスメディアは横並びになりすぎた、とは思います。でも「ことさらに出すべきではない」と思っていますけどね。

■ メディアは「矛盾」を引き受けなくてはいけない仕事

――そうすると「撮られたくない」という遺族や近親者の感情というのは当たり前だ、と。

 当たり前です。まさしく今、ネットの掲示板とかでは、「森は自分の家族の遺体を晒してから、こういう映画を撮れ」とかの書き込みが目につきます。鬼の首を取ったように書いていますね。あるいは「死刑反対」を主張する人に対して、「自分の家族が殺されてからそれを言え」とかも含めて、論理はまったく一緒です。つまり被害者意識の共有です。

 でも、家族を殺されたら、その瞬間に(主張が)変わるのは当たり前です。もし僕が自分の家族を殺されて遺体になれば、絶対に「撮るな!」と怒るでしょう。犯人を殺したいと思うかもしれないし、死刑にしてくれと言うかもしれない。簡単に想像すべきことではないけれど、その可能性は高いと思います。だっていまの僕は非当事者です。だから撮ったり書いたりしています。当事者になれば変わります。

 さらに言えば、非当事者は当事者になれない。犯人に対しての憎悪や応報感情だけではなく、遺族は自分をも責めます。なぜ愛するものを守れなかったのかと。簡単に想像できるような感情ではない。遺族の身になれと気軽に口にする人が多いけれど、とても傲慢な言葉だと思います。もちろん、想像することは大切です。でも想像と一体化は違います。僕は今、非当事者です。だから非当事者の感覚と論理を保持します。当事者になれば、きっとこの感覚と論理は変わります。「それは矛盾だ」と言われる。その通り。矛盾なんです。特にメディアというのは、そういう矛盾を引き受けなくてはいけない仕事なんだと、僕は思っています。

――この『311』はまさしく「メディアの矛盾」を見せているところが、コンセプトの一つだと。

 そうですね。(遺体の近くで撮影しようとして)言い争いになったとき、「同じメディアとして恥ずかしいよ!」と横から言われて、振り向いたら腕章をつけた若い新聞記者がいた。「オレは絶対、遺体なんか撮らない。おまえら恥ずかしいよ」と言われました。

 彼の言う通りです。恥ずかしい仕事なんですよ。「恥ずかしい」とか「矛盾してる」とか、全部その通りなんです。それが僕らの姿なわけで。矛盾しながら卑屈にへらへら笑いながら罵声を浴びながら、持続し続ける仕事だと思っています。

――僕もかつて新聞社で記者をやっていたんですが、火事の現場を取材していたときに、他社の記者が関係者らしき人に怒られて、カメラを取り上げられてフィルムを抜き取られるということがありました。あれはショックでしたね。

 遺族はそういう権利があると思いますよ。本当に肉親であればね。だから、(遺体の近くでもめたときも)あの男性が遺体の遺族だったら、さすがに撮影するのは止めました。でも確認したら、そうじゃなかった。ただ、そうは言っても、彼も家族を亡くしていますから、大きな意味では「遺族」ですよね。極めて微妙です、あのケースは。

――その男性が「遺体を撮るな」と怒るのもごく自然だ、と。

 当たり前だと思います。

 たとえば、『A』(森監督が撮影したオウム真理教に関するドキュメンタリー映画)で不当逮捕のシーンがあるんですが、あの警察官はその後どうなったのか。もしかしたら映画が原因で家庭不和になって離婚しているかもしれないし、自殺しているかもしれない。その可能性は常にあるわけです。もし、彼と僕が道でバッタリ会ったりしたら、僕は逃げますね。こそこそ卑屈に隠れます。僕はそれでいいと思う。胸なんか張れない。そういう仕事をしていますから。

(了)

■森 達也(もり・たつや)

 1956年広島県生まれ。立教大学卒。大学時代から自主制作映画や演劇活動などに関わる。テレビ制作会社に入社後は、報道系・ドキュメンタリー系番組を中心にディレクターを務めた。1998年にオウム真理教の青年信者たちを描いたドキュメンタリー映画『A』を発表、ベルリン国際映画祭をはじめとする内外の映画祭で高い評価を受ける。その続編『A2』(2002)は山形国際ドキュメンタリー映画祭で特別賞・市民賞を同時受賞した。両作品は、2012年3月3日から8日まで東京の映画館『オーディトリウム渋谷』で開催される特集<「311」の男たち>の中で上映される。

◇関連サイト
・映画『311』公式HP - 2012年3月3日(土)より、ユーロスペース、オーディトリウム渋谷にて、他全国順次公開
http://docs311.jp/
・「311」の男たち - オーディトリウム渋谷
http://a-shibuya.jp/archives/2616
・東日本大震災 3.11 特集 - インタビュー「3.11」連載
http://ch.nicovideo.jp/channel/311

(聞き手:亀松太郎)

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