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「電王戦」

これから書く数行は、職業棋士として気が重いし、できれば曖昧にぼかして済ましたいのだが、コンピュータと人間の勝負もある程度闘いを繰り返し歴史を作った今、やはり書かざるを得ないだろう。

今のプロ棋士で、コンピュータより人間――我々プロ棋士が強いと本気で思っている者は、ほとんどいない。

ここ一年でどんどん空気が変わってゆくのを、私は内部の人間として肌で感じていた。一年前は、いい勝負だが、心理的なものや詰みの正確性などを考えると、闘うと人間が分が悪いのではという者が多かった。もちろん、己の誇りにかけて棋士が上という者もいた。ごく一部のリアリストたちがもう勝てないだろうと事態を考えていた。

半年前には、私より後輩で、リアリストでない者はごくわずかになっていた。ソフトが進化したということもあるが、人間が現実を認めざるを得なくなっていったのだ。ヒトは己の能力を過信しやすい。ましてそれまでの人生のほとんどを将棋についやしてきた者達ならなおさらである。しかし、棋士は一面おそろしいまでに現実主義者である。なにせ、運の要素が極度にすくない、ある意味で現実のかたまりであるゲームを生業としているのだ。さらにいえば勝負という物事態が、現実のかたまりなのだ。ファンの人はそこにロマンを見るだろう。それでよい。我々は夢を売っているのだ。ただし、対局開始から投了までの時間に、我々が味わうのは、ロマンとは対極の次から次へと降ってくる現実であることは厳然たる事実である。

だからパラダイム・シフトも早かった。我々棋士は、信じられないくらいあっさり現実を受け入れた。敵が上だ。仕方ないのだ。そしてもう昔には当然ながら戻れない。

だからといって棋士達がコンピュータとの対決を嫌がるかというと、むしろ逆である。そもそも棋士は、自分より強い者と闘うのが好きなのだ。そりゃ負けるのは嫌だ。だが強い相手に立ち向かってゆくのは、喜びでもあるのである。そうした「よい精神」を棋士は皆持っている。

そうした空気のなかで行われる電王戦、誰もが山崎君を応援しつつも、心の中で、ひそひそ声で、あるいは酒場で、勝てねえよなあ、すくなくても一局はお願いだ、勝ってくれよといっただろう。お隣の囲碁の世界で、世界トップ棋士のイ・セドル九段がアルファ碁に完敗したのも拍車をかけたといってよい。このことに対する将棋棋士の反応には個人差があると思うが、ショックを受けた棋士もすくなからずいた。

どちらが上ではなく、今後は、我々棋士は常にチャレンジャーである。よいではないか。向かっていこうじゃないか。憎き(強いからという意味で)コンピュータに一泡ふかせてやろうじゃないか。もともと、将棋を覚えた初心者のころから今まで強い相手と指し、負けて強くなってきたんだ。その繰り返しで今まできたんだ。さらに上がいる。指せる。光栄じゃないか。だいいち、気が楽だ。

山崎君は最近もっとも好調な棋士のひとりで、ここ数ヵ月対局だらけで忙しかったようだが、それなりにソフトに対する研究をしたらしい。まわりの若手棋士などもブレーンになったろう。ただし本局においては、ポナンザの強さを必要以上におそれ過ぎた感があった。

ちょっと変わった出だしからいつもの横歩取りに落ち着いたと思ったら、▲5八玉という手をポナンザが指したところから局面が動いた。

【1図】http://p.news.nimg.jp/photo/569/1904569l.jpg

1図は▲5八玉に△8四飛と山崎君が引いた局面。この手は比較的珍しく、△7六飛や△5二玉が多い。

【2図】http://p.news.nimg.jp/photo/570/1904570l.jpg

△8四飛にポナンザは▲2二角成△同銀▲6六角とする。一局の形を作る手順である。△8二飛から2図の△5二飛まではほぼ一本道である。

さて2図にて、山崎君はすでに嫌な将棋にしたと思い、△8四飛を反省したという。この、嫌な将棋というのは、ソフトの研究の結果、という意味である。「このテの将棋はもう勝ちにくいかと」。

必死に研究したのだろうから軽々にはいえないが、ちょっと考え過ぎではないかと思った。元々、序盤はおおらかなのが山崎将棋なのだ。すこし雑じゃないかと思えるくらいの序盤からいつの間にか段々と勝ちやすい将棋に持ってゆく。その指しまわしの天才性が彼の魅力であり棋風なのだから。

対コンピュータ戦では、序盤でリードすることが人間同士の対局の時より重要度が高い。勝つための絶対条件ともいってよい。山崎君の嫌な将棋ということばの裏にはこうした事情がある。

【3図】http://p.news.nimg.jp/photo/571/1904571l.jpg

3図の△5五歩は八十ニ分の大長考だった。後手は陣形のバランスが難しい。人間相手の「少し悪くなるリスクを取ってもいい」という手がコンピュータ相手だとやりにくいのである。たしかにこれは「嫌な将棋」なのだ。

【4図】http://p.news.nimg.jp/photo/572/1904572l.jpg

△5五歩に▲同飛なども人間ならば決断の一手なのだが、ポナンザは十四分の少考で指した。そして飛交換となった4図。本局のポイントは、ほとんどこの局面に尽きるといってもよい。

一番無難な手は△4四歩である。ただし▲6六角と引かれ、そこで後手は一手何か自陣に手を入れるのだが、その一手が異常に難しい。▲8二歩成の成り捨てと、▲2二歩△同金▲6五桂の筋と、▲3六歩からゆっくり指す手とのどれにも対応できる手がないのだ。プロ用語で「ぴったりした手がない」 のである。

そこで山崎君は△2五飛と勝負に出た。ここで突然強気に転じたのである。ポナンザは▲3三角成と切ってゆく。そしてその馬を金で取ったのが敗着であった(5図)。

【5図】http://p.news.nimg.jp/photo/573/1904573l.jpg

ここでは素直に△同桂よりなかったろう。以下▲2八歩に△3一玉▲8二銀(6図)と打ってどうかという将棋だった。

【6図】http://p.news.nimg.jp/photo/574/1904574l.jpg

ところで私ならば、4図では△5六歩と打ったろう。▲同歩ならば△2六飛と打ち、本譜より少し得なのだ。ただし△5六歩に手抜きで攻められると後手が悪いらしい。

ここが重要なのだが、人間ならば△5六歩と玉頭にからまれた状態で攻め続けるのは凄いストレスなのである。なにせ喉元にナイフみたいなものだから。だがソフトにはそのストレスがない。△5六歩という手は気づきにくい手だが、意表をつくという心理的効果もソフト相手には期待できない。私だったら△5六歩と打って攻められて負け「怖がってくれないのはズルイ」といっただろう。
さて5図からの三手が素晴らしかった。▲8二歩成△同銀▲6五桂(7図)。歩を成り捨てて、タダのところにポンと桂を跳ねる。

【7図】http://p.news.nimg.jp/photo/575/1904575l.jpg

この妙手順で後手はシビれてしまった。△同飛は▲2二歩で大差だし、△5二歩の受けには▲8五飛(8図)が次の一手で、銀取りと▲5三桂不成からの飛車取りが見合いで終わりである。

【8図】http://p.news.nimg.jp/photo/576/1904576l.jpg

ここで封じ手となった。封じられた手は△3一角。盤上この一手である。▲8五飛に△2二飛という綱渡りのような受けを見せた手である。

ところでふと思ったのだが、ソフトとの対局では、相手はおそらく電源を落とすか、スリープするのだろうから、封じ手は別に公開しても同じなのではないか。特に問題があるとも思えない。まあ旧来のやり方にも味わいがあっていいけれど。

△3一角に対する▲5四銀はわずか七分であった。これでどうにも受けが難しい。ここで差がつき、事実上この将棋は終った。ここがコンピュータとの対局のおそろしいところだ。形勢の差を表す評価値が一定を超えるとほぼ逆転しないのである。

△4六桂(9図)のタダ捨てから△1四角なんて、かなりドキッとさせる手だが、ドキッとさせても意味がない。▲2五歩が好手で、竜で取るのでは辛過ぎる。

【9図】http://p.news.nimg.jp/photo/577/1904577l.jpg

▲6三角成に△5二歩と打って10図となった。ここでのポナンザの一手は素晴らしかった。
▲3八銀と上ったのがそれである。たしかにこれはよくよく見るといい手なのである。間違いなく、盤上での最善手といえる。

【10図】http://p.news.nimg.jp/photo/578/1904578l.jpg

だが人間が10図を目の前にしたらどうだろう。とりあえずは1回は角の利きを止めたいはずである。どこに竜を動いて王手されるかわからないプレッシャーは相当なものだ。だからとりあえずはとにもかくにも▲3六桂と打ち、安全を確保することを考えるだろう。他の手は考えもしないに違いない。よしんば▲3八銀という手に気がついたとしても、桂を打っても優勢であるこの局面で銀を上がるのにはありったけの勇気が必要だし、長年の経験でいえば、こんな危なっかしい手には、何か相手の好手があるに決まっていると思うであろう。銀を上る棋士がいたとしても、トータルでの勝率は落ちるはずだ。だが、手としては桂より銀のほうがいい。こういう手を見るたびに、かなわねえなあ、と思う。

ここからは差が拡がる一方だった。山崎君も諦めており、長大なる形作りのような手順である。普段の対局ならばもっと早くに投了していただろう。

山崎将棋とは思えない不出来な一局だった。

彼は持ち味をまったく出せなかった。しかしその裏には、ポナンザの強さを知った者ゆえの悩みがたしかにあった。彼はひとりで悲観し、ひとりで怖れ、敗れた。

だが神経質になって縮まる山崎将棋など、誰が見たいものか。相手を怖れる山崎隆之などみんな悲しい気持ちになるじゃないか。第2局、君はチャレンジャーだ。自分の将棋観を信じ、素晴らしい、駒が躍動する、本来の山崎将棋を見せてくれ。

◇関連サイト
・[ニコニコ生放送]第1期電王戦 二番勝負 第1局 初日 山崎隆之叡王 vs PONANZA
http://live.nicovideo.jp/watch/lv250229353?po=news&ref=news
・[ニコニコ生放送]第1期電王戦 二番勝負 第1局 二日目 山崎隆之叡王 vs PONANZA
http://live.nicovideo.jp/watch/lv250239746?po=news&ref=news
・将棋叡王戦 - 公式サイト
http://www.eiou.jp/

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