ライダー2号の人気俳優から一転、生死をさまよいホームレスに…一文字隼人・佐々木剛も45年間闘い続けている
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現在、シリーズ45周年を記念して、映画『仮面ライダー1号』が公開されている。“原点にして頂点”というコピーからもわかるように「1号ライダー」の人気は、今でも他のライダーを圧倒している。

しかし、1971年4月にスタートした“原点”の『仮面ライダー』は、1号だけのものではない。そこには「2号」もいた。そして2号がいなければ、今の人気につながらなかった部分もあるのだ。

今はあまり表舞台に出ることがなく、都内で居酒屋「バッタもん」を経営している「仮面ライダー2号・一文字隼人(いちもんじ・はやと)」役の佐々木剛(ささき・たけし)氏の半生を通して、もうひとつの45年をふり返る。

前編記事(「2号・一文字隼人を演じた佐々木剛が明かすライダー愛」)では1号・本郷猛役の藤岡弘、の大事故で主人公を引き継ぎ、子供たちに大人気となった裏側や、藤岡の復帰でまたバトンを返すまでの心情を聞いた。だがその後、思いもよらぬ苦闘の人生が…。

■一転ホームレスになり、どん底生活を経験

仮面ライダーを終えた佐々木は、その後、俳優としてのキャリアを着々と積み上げる。NHK大河ドラマ『風と雲と虹と』や映画『女王蜂』などに出演し、実力派俳優として活躍していた。

しかし、ライダーを辞めた10年後、34歳の時に事件は起こった。

「火事になったんだよ……」

1982年2月、酔って帰ってきた自宅アパートで、ストーブをつけたまま寝てしまい、火災が起こったのだ。

佐々木は必死に火を消そうと思ったが、火の勢いは衰えなかった。そのため佐々木は顔を含め、全身の7割に大やけどを負った。集中治療室に運ばれ、文字どおり生死の境をさまよった。

「生きてるのが不思議だって言われたよ」

一命は取り留めたものの、顔は2倍に膨れ上がり、全身に包帯が巻かれていた。その後、皮膚移植を何度も繰り返し、リハビリを続け、入院生活は8ヵ月以上にも及んだ。





入院中にやけどの痕が残る顔を見た佐々木は「もう、役者としての復帰は無理だと思った」という。さらに、治療費も含め火事のために莫大(ばくだい)な借金を抱えることになった。

「だから、最初は顔を出さなくてもできる声優の仕事をしようと思ったんだ。それでマネジャーに『新人のつもりでやるから』って、役を探してもらったんだよ。だけど『佐々木剛という名前が邪魔する』って言われてダメだった」

芸能界での仕事に見切りをつけた佐々木は、その後、警備員のアルバイトや焼き芋屋、さおだけ屋、ちり紙交換、網戸の張り替えなどで生計を立てていく。

「子供も小さかったし、貯金もなかったからね。警備員の日給は当時、6500円。これじゃあ毎日仕事をしても家族を養っていけないだろ。だから、現場警備が終わったら、その日の巡回警備の仕事を入れてもらった。その頃は週に7日、一日16時間仕事した。若かったから病み上がりでも頑張れたんだな」

焼き芋屋を始めた時には、お客さんから「あなた、仮面ライダーをやられていた方ですよね」と尋ねられたことがあった。しかし、その時、素直に「はい」とは言えず、「よく似てると言われます」と答えた。その頃の佐々木は、自分にどこか引け目を感じていたのかもしれない。

そうした生活が続くうちに妻とは距離ができ、離婚することになった。そして佐々木自身は車の中で寝泊まりするようになった。

「家がないんだから、ホームレスだよ」

よく、酒を飲んで自暴自棄にもなったという。

「でも、50の声を聞くと、そんな生活はやっぱりしんどい。だから、なんとか生活を立て直したいと思った。それに『できれば芝居を続けたい』という気持ちもどこかで残っていたんだね。だから、日光江戸村に行って、住み込みで芝居をすることにしたんだ」

それは佐々木が火事に遭ってから、およそ15年後のことだった。“日光江戸村で仮面ライダー2号が働いている”という噂はあっという間にファンの間で広まる。

「俺の居場所がわかったので、九州のファンの人から『今度、ライダーファンのイベントがあるので来てもらえませんか?』って連絡があったの。それで福岡に行ってみると、数百人のファンが集まっていて、俺が変身ポーズをすると、いい年した大人が『仮面ライダーが大好きでした!』って涙を流しながら話しかけてくるんだよ。その姿を見て『俺がこのままだったら、ライダーのファンに申し訳ない』って思った。そして『もう一度、東京に出て勝負してやろう!』と決めたんだ」

結局、日光江戸村には1年もいなかった。東京に戻った佐々木は、友人で役者の石橋正次氏などの紹介を受けて少しずつ舞台に立つようになる。

「でもね、芝居はなかなか生活に結びつかないんだよね。舞台が終わって飲んでたりしているとスタッフの『今回の舞台は○万円の赤字だったよ』とかいう話が耳に入ってくる。すると本当は『早くギャラよこせ!』って叫びたいんだけど、『金はいらねえよ。好きな芝居ができてるんだから』って言っちゃう。だから、東京に戻ってきてからも、芝居のない時は警備員のアルバイトをしてた(笑)」

江戸村から東京に戻ってきて15年近くそうした生活を続けていたが、2012年に都内で「バッタもん」という居酒屋を経営するようになる。

「少しでも生活が安定すればと思ってね。それにファンの人たちが訪ねてこられる場所をつくりたかったんだよ。この店は俺が料理を作るの。やっぱり、ファンの人には自分の手料理を食べてもらいたいからね。でもね、このシステムだと、俺がぐったりしないと儲からない。これはしんどいよ。俺、来年70になるんだから(笑)」

料理は任せて店の中でファンを相手に話していればいいのではないかと尋ねると「人を雇えるだけ、儲(もう)かってないんだよ」と答える。

この店の人気の料理は「卵焼き」だ。注文すると「うまいよぉ」と言いながら、フライパンを握った。そして卵が焼けるまでの間、なぜか調理場の壁に向かって軽くパンチを打ち始めた。その姿はショッカーと戦っている仮面ライダー2号の姿と重なった。

日本中に変身ポーズを流行らせ、子供たちのヒーローとなった。しかし、不運にも火事に遭い、役者を断念し、一時はどん底の生活を経験した。しかし、そんな苦難にも負けずに今また立ち上がろうとしている。仮面ライダーシリーズが始まって45周年。佐々木剛は、今も戦い続けている。

仮面ライダー2号が作った卵焼きは、おいしく、そして心に染みる味だった。

(取材・文/村上隆保 撮影/村上庄吾)

佐々木 剛(Sasaki Takeshi)





1947年5月7日生まれ、新潟県出身。本名、福井憲雄。1968年デビュー。69年に『柔道一直線』の風祭右京役で人気者に。71年、NHK連続テレビ小説『繭子ひとり』に出演。同年7月から72年3月まで、『仮面ライダー』の主演を務める

バッタもん





東京都板橋区大山東町28-6 ダヴィンチ板橋B1 TEL:03-3962-1825(月・火曜定休)

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