キャリコネ

先日、夢を見た。僕は生まれ育ったド田舎のあばら屋で、家族みんなと一緒にテレビを観ていた。ふと耳をすますと、外からチャルメラの音色が聞こえる。移動式屋台が家のそばまで近づいていることが分かった。

「今日はラーメンでも食うか」と祖父が言うので、玄関から出て屋台を追いかけようとしたところで目が覚めた。

祖父はとっくに他界している。そして、あのチャルメラが流れていた屋台は、地元で見かけることはもうない。(文:松本ミゾレ)

「人と人との繋がりが強かった、あの頃に帰りたい」

チャルメラを最後に耳にしたのは1993年ぐらいだったと記憶しているが、その屋台はそれよりも20年ほど前から近所を回っていたという話を聞いたことがある。昭和後期から平成初頭あたりの僕の思い出のメロディの一つだ。

なんで昭和について語っているのかといえば、先日2ちゃんねるに「昭和に帰りたい」というスレッドが立ったのを目にしたからだ。スレッドを立てた人物はこんな風に書いている。

「不便なことばかりだったけど、それでも人情にあふれて人と人との繋がりが強かった、あの頃に帰りたい」

そういえば、僕が子供の頃は近所の人は大抵顔と名前が一致していた。では現代はどうかと考えてみると、隣近所ともほとんど交流はないし、交流するメリットもないし、そもそも交流しないことで生じる不具合というのも感じることはなくなった。

"向こう三軒両隣"という言葉は、本当に死語になってしまっている。人付き合いが苦手な人にとっては、昔よりも今の方が精神的に楽かもしれないが、このスレッドを立てた人物のように、かつての昭和に憧憬を抱く人にしてみれば、無機質な時代になったものだと思えるようだ。

きっと10年後には「平成に戻りたい」なんて言っているはず

ここで、このスレッドに寄せられていた、昭和を懐かしむ人々の声をいくつか紹介したい。

「平成になって日本は変わってしまった」
「妙なエネルギーに満ちてた時代ではあるな」
「今はどうだ、みんな背中丸めて人の顔は見ないで手に持つ便利な機械しか見ていない」

妙なエネルギーって表現がなんとなくしっくり来る。バブルが弾けるとともにそのエネルギーは霧散し、今では生活の利便性はアップしたけど、どこか無機質な時代になってしまったというべきか。

まあ僕は昭和の後期に生まれた人間だから、この感じ方は間違っているのかもしれないけど。個人的には昭和は昭和で良いところも多かったと思うし、今の時代もそれなりに好きなところも多い。

ただ、生活に余計なストレス負荷が少なかったのは、もしかすると昭和だったのかもしれない。今のようにパソコンやスマホで日々莫大な情報を吸収できるようになったのは利点だけど、その大量の情報を脳と目で処理するという作業を毎日淡々とこなすのも、なんだかロボットみたいだと感じることもある。

都会を歩けば人々は下に目を落として早歩きするばかり。電車に乗れば老若男女がうつむいて押し黙る光景も珍しくない。かと言って田舎は田舎でどこもかしこも過疎化が進んで高齢者しか歩いていないシャッター通りがあちらこちら。

とはいえ、時代が変わればライフスタイルもそれなりに大きく変化してしまうのはしょうがない。人は過去に戻ることはできないし、一度手に入れた便利な道具も決して手放さない。

もう誰も昭和には帰れないが、それもまた時代の生んだ変化だ。懐かしい思い出の詰まった過去なんて、そもそも魅力的に思えるものだ。予告しておくが、あと10年もすれば「ああ、平成に戻りたいなぁ」と言い出す人が必ず現れる。どんな時代も、過去になれば懐かしいものだ。

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