『北斗の拳』の原哲夫先生と『ジョジョの奇妙な冒険』の荒木飛呂彦先生によるレジェンドトークショーが、9月8日に東京・森アーツセンターギャラリーで開かれた。

現在開催中の「創刊50周年記念 週刊少年ジャンプ展VOL.1」の一環として行なわれたものだ。

1961年生まれで1982年デビューの原と、1960年生まれで1983年デビューの荒木は『週刊少年ジャンプ』が大躍進を遂げた80年代黄金時代の同世代作家だ。「漫画家の荒木飛呂彦です」「絵のほうがメインなので漫画家と名乗っていいかどうかわかりませんけど…原哲夫です」との自己紹介と共に登場すると、初連載時の話題からスペシャル対談をスタートした。

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「僕(荒木)は『魔少年ビーティー』という作品で1983年に初の連載をしたんだけど、この年は『北斗の拳』が始まった年でもあるんです。だから、原先生とは不思議な縁を感じますね。もっとも僕は10週くらいで終わっちゃったんですけど」と荒木が切り出せば、「僕はその前年に初連載した『鉄のドンキホーテ』が打ち切りになっています」と、原も笑いながら切り返す。

続いて、それぞれの初代担当編集者、堀江信彦氏(原担当)と椛島良介氏(荒木担当)についても言及。「ジャンプ」は作家と編集者の関係性が極めて濃密なことで知られるが、両人は個性派揃いのジャンプ編集部員の中でも特に濃いキャラとして名を馳せた存在。

原は、堀江氏について「熊さんみたいな風貌のすごく優しい人。でも僕の原稿が遅いもんで、だんだんラオウみたいに怒りのオーラを発するようになって。夜、酔っ払って仕事場に来た堀江さんが『どこまでできてるんだ!?』って原稿をアシスタントから集めて、『なんでここまでしかできてないんだよ!』って怒られたり。そんな時は怖かったですね」と振り返る。

一方で荒木は、椛島氏から何度も原稿の直しを命じられた思い出を明かす。「僕は『バオー来訪者』を始めるまでは仙台にいましたから、原稿を宅配便で送っていたんですね。すると、『直しに来い』と東京の集英社の会議室まで呼び出される。そしたら隣の部屋ではゆでたまご先生がカンヅメになっていたり。ゆでたまご先生はもう泊まり慣れていらして。だから、原稿を乾かすのに『ゆで先生、すみません、ドライヤー貸してください』なんてお願いしたこともある」という。

ジャンプといえば、その厳しい人気アンケートシステムでも有名だが、両人ともアンケート結果は知らされていなかったとか。編集者の機嫌や電話の声色で人気の度合いを推し量(はか)っていたという。

そこで荒木が「でも原さんは(人気があるから)編集部からもてなされているように見えた」と話すと、原は「たまに定食屋さんに連れて行ってもらったりしていたんですけど、『北斗の拳』が始まった途端にメシが毎週、ステーキやお寿司に変わりましたね(笑)」と笑う。読者の熱い支持は、そういう扱いにも反映され、作家たちも実感していたようだ。

続いて、荒木が取材旅行と担当編集の思い出についても話し始める。『ジョジョの奇妙な冒険』シリーズの舞台の多くは海外だが、実は荒木は意外にも旅行に興味がなかったという。「椛島さんが大の旅行好きで、『取材でエジプトとか行こうよ!』と誘われたんです。僕は『食中毒とかになったらどうするんですか!?』って言ってたんだけど、結局は連れて行かれて。そうして描いたのが『ジョジョ』です」と、意外な作品誕生秘話を明かす。

すると原も「『北斗の拳』の連載が終了した時に、ご褒美旅行に連れていってもらいましたが、なぜか行き先がグアテマラ。飛行機はエコノミーだし、ホテルの部屋は編集者と相部屋で、その編集者はプールで泳いでそのまま裸で寝ているし、僕はお腹を下すし…で、帰国したらゲッソリしていました」と、こちらも担当編集者との生々しい取材旅行の思い出を明かした。

さらに、担当から受けた薫陶や仕打ち(?)について語るふたり。「誰かの作品に似たものを描くと、ものすごく怒られた。絵柄にしてもアイデアにしても、誰もやっていないものを求められたから、隙間を縫うようにして描いていましたね」と荒木。

それに対して原は「それはいい方向にコントロールしてくれていますよ。僕なんか“絵を描けるバカ”くらいに思われてたよ(笑)。『ひでぶ』とか『あべし』って書いたら、『おい、字間違えてんぞ!』なんて言われて…僕だって一生懸命考えてたのに!」と苦笑交じりにこぼした。

今回のジャンプ展は多数の貴重な原画が展示されているのも見どころだが、執筆作業の話題に移ると、荒木いわく、編集者に他作品の原稿を見たいと頼んでも、それぞれの編集者が作家を非常に大事にしているため見せてもらえなかったという。やむなく、編集部の机に置いてある原稿を盗み見たりしていたそうだ。そんな中、原の原稿を目にした時の印象をこう語る。

「原先生のアシスタントが僕のところに来てくれていたことがあって、彼が原先生の生原稿を持っていて…。タッチをどういう方向から入れているのかわからないんですけど、とにかく迫力があって美しくてね!」と当時の疑問を口にすると、それに原が「僕は原稿を廻しながらペンを入れていくんです」とタネ明かしするひと幕も。

さらに、荒木がペンだけで革ジャンの質感が見事に表現されていることを絶賛すると、「質感にこだわって、まるで点描のようにだんだんエスカレートしていきましたね。で、ある時『週刊連載しているのにこんなことしていて…』と我に返って」と、自身のこだわりと週刊連載という過酷なスケジュールにおける当時の葛藤を吐露した。

そこから話は時間をさらに遡(さかのぼ)り、初めて原稿を持ち込んだ時の思い出について述懐。ふたりとも、持ち込みを申し込む電話を取った編集者が、そのまま初代担当になったのだという。その後、荒木が編集部に出向いた時の恐怖体験を語る。

「まだこっちは10代だったから、編集者はとても恐ろしい存在でした。一番怖かったのは、とある編集者が持ち込まれた原稿をチラッと見て、『あ、こういう原稿は見たくない!』と言い放ったのを目撃した時…。「せっかく描いたんだから、せめて最後まで読んであげなよ~って思いましたね(笑)」。

一方、原も持ち込み時代に壮絶な体験をしている。「高校2年生の時の作品が編集部で最終選考に残ったんですが、ある編集者から『ゆでたまご先生は高校生で「キン肉マン」描いてるんだよ? 17才にもなってこんなもの描いてちゃ遅いよ!』って言われてね。連載を始める時も猛反対する人がいて、堀江さんが大ゲンカしたんだって」と告白すると、会場に驚きのざわめきが走る。

そこへ、すかさず荒木が「アイドルみたいですね。16、17じゃもう遅い!みたいな」と突っ込み、笑いに包まれた場の空気は和らいだ。

こうして、当時の「ジャンプ」では作家だけでなく編集者も強烈な個性を放つ存在であり、また互いにライバル関係にあったことがわかるが、原からはこんなエピソードも…。

「喫茶店に入ったら、先にゆでたまご先生が打ち合わせをされていて。そしたら堀江さんが『おい、出ようぜ!』って。まるで僕とゆで先生が仲悪いみたいじゃないですか(笑)。作家同士は仲いいのに!」…これこそ、まさに熱血漫画の1シーンのよう!?

また、荒木が「自分で描いていて『傑作だ!』と思う話がアンケートで人気なかったりすると、『敵(他の掲載作品)はすげえんだなー!』と思いましたね。当時のジャンプは鳥山明先生がいて北条司先生がいて…っていう圧倒的なラインナップだったじゃないですか。その中で描いていく醍醐味(だいごみ)がありましたね」と80年代のジャンプの凄味を語った。

その荒木の発言を「かわいい!」と茶化した原だったが、「僕はずっと、死ぬほど漫画を描いて暮らしていきたいと思っていましたから、その夢が叶った」と真面目なコメント。もっとも、「でもそのあと、死ぬほど後悔しました」とオチをつけるのは忘れていなかった。

最後に、ジャンプ展を観た感想を訊ねられた両人。荒木は「あの頃のジャンプと今のものと比べてみたいな。新しい古いの問題じゃなくて、漫画のエネルギー、漫画家の生命力みたいなものがどんなふうに映るのかを見てみたい。それと…ジャンプはとても印刷が汚いんだけど(笑)、でもそれを承知して描いていたし、そのチープさやインクの匂いといったジャンプらしさが力強くて好きなんだ」。

続いて、原はシンプルに「今日、荒木さんに会って元気をもらいました!ありがとう!!」と笑顔で締める。

「ジャンプ」が生んだリビングレジェンドとして、今も第一線を現役で走り続けるおふたり、今後の作品にも期待大だ!

●「創刊50周年記念 週刊少年ジャンプ展VOL.1」は、東京・森アーツセンターギャラリーにて10月15日まで開催。9月22日にはレジェンドトークショー第2弾として、『ストップ!!ひばりくん!』の江口寿史先生と『セクシーコマンドー外伝 すごいよ!!マサルさん』のうすた京介先生の対談が開催。詳しくは、オフィシャルサイトまで!

(取材・文/米桝博之(樹想社) 撮影/榊智朗)

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