プレジデントオンライン
学校生活や交友関係に思い悩み、心に深い傷を負ったり、自ら死を選んでしまったりする子どもたちがあとを絶たない。そうした現象を受けて、ネットニュース編集者の中川淳一郎氏は「小中学校の友人関係なんて、まったく重要ではない」「人間関係のどうしようもない現実を、大人が子どもにきちんと教えなければならない」と指摘する。その意図とは――。

■友人関係に絶望する子どもたち

小中学生の悩みの大半は、「友人関係」にあるのではなかろうか。自分自身の子ども時代を振り返ってみても、学校での人間関係が当時の人生にかなりの影響を与えていたと思うし、行動様式にも影響を与えていた。現在いじめられていたり、不登校になっていたりする小中学生も、友人関係に悩んだ末に、そうした望まぬ結果に至ってしまったケースが多いと思われる。

小中学生のころ、とりわけ小学生のころは、通知表の成績がヒドくても、実際のところ大した問題ではない。また、親に反抗したり、きょうだいとケンカしたりしても、最終的には自分を守ってくれる存在だから、ときには家族と衝突するのも成長の過程としてアリだろう。

一方、友人関係は、ひとたびいじめや「シカト」の標的となってしまうと、学校にいる間は針のムシロ状態に陥る。なんとか好いてもらおうと、いじめグループに媚びはじめでもしたら、ますますいじめられたり、使いっ走りにされたりしてしまう。そして、家に帰ってからも心には常に暗雲が立ちこめ、人生があまりにも苦悩に満ちたものとなる。

絶望感にさいなまれて、なかには自殺してしまう子どももいる。学校でのクソみたいな人間関係に戻る日である毎年9月1日──夏休みが終わり新学期を迎えるその日に、子どもの自殺が増えるのだと聞く。本当に痛ましいかぎりだ。

■小中学校の人間関係なんて、クソ

ただ、私が学校の人間関係に悩む子やその親に強く言いたいのは「小中学校の友人なんて、どうでもいい」ということだ。当然、仲良く付き合える友人が少しでもいるほうが学校は楽しいだろう。だが、長い人生を考えると、小中学校時代の人間関係ほどどうでもいいものはない。慶應の幼稚舎から大学までずっと一緒、といった場合は別かもしれないが、公立の小中学校であれば同じエリアで通学するにしても9年間である。

確かに9年は長い。しかし、その後の人生を考えるとそれほど長くない。「長いけど、長くない」というヘンな言い回しになったが、ここで強調したいのは「長い人生のなかで、大して重要ではない小中学校の人間関係など、クソみたいなもの。そう思って、軽く扱っても何ら問題ない」という事実だ。それを、子どもたちにちゃんと教えてあげてもよいのではなかろうか。もちろん、学校で良好な人間関係を築いているのであれば、それはそれで素晴らしい。でも、学校内での人間関係が人生のすべてではないし、未来に絶望する必要もない、という点だけは子どもにきちんと伝えるべきである。

■「子どもは純粋」のウソ

世間はとかく、子どもの世界を理想化したがる。「子どもは天使だ」「子どもの純粋な気持ちを大切にしたい」「子どもなりのバランス感覚を信じ、大人は余計な口出しをしないほうがよい」といった文脈で、きれいごとを語ろうとする。だが、何を美化しておるのだ。したり顔でそんなことを言う大人は、自分自身、そこまで立派な子どもだったのだろうか?

参考までに、私の幼少時代、自分や周囲の子どもたちがやっていたことを思い出してみよう。

・スーパーで集団万引き
・街中の自販機の下をのぞき込み、小銭を集める
・飲食店の裏に置いてあるファンタやコカ・コーラ、スプライトの瓶を盗み、酒屋に持って行って換金する
・プールや市民体育館のコイン返却式ロッカーをめぐり、残されたコインを盗む
・小6の時、裏ビデオを共働き家庭の家に持っていき皆で鑑賞
・父親のウイスキーを皆で回し飲みする
・エロ本が大量に落ちているという場所へ、皆で遠征隊を組んで取りに行く
・その現場に別の小学校の連中がいたらケンカになる
・差別的な内容のテレビ番組を観て大笑いし、該当するような生徒を翌日皆で笑う
・人種差別、障害者差別、貧乏差別を平然とする者もいる

所詮はこんなものだ。いずれも未熟さゆえの行動ではあるが、これらの行為はどう考えても「天使」ではない。まあ、「カネが欲しい」「誰かをバカにしたい」「エロいことを知りたい」という気持ちと行動が一致しているところだけは「純粋」かもしれないが。

■大事なのは、いま一緒に仕事をしている人々

ここで私の身の上を振り返ってみるが、小学校は4年生まで川崎市立鷺沼小学校へ行き、5年生からは立川市立第八小学校に通った。中学校は同じエリアの立川第六中学校である。鷺沼小学校時代の知り合いには、今年、タイのバンコクでひとり会った。いわゆる幼なじみで、親同士の仲がよかった女の子だ。彼女は現在バンコク在住で、私もたまたま年末年始をバンコクで過ごすことになっていた。だから、直前にFacebookで連絡を取り合い、22年ぶりに再会したのである。その前に彼女に会ったのは35年も前だ。いまもつながりがある鷺沼小学校の知り合いは、他に誰もいない。というか、もはや名前さえひとりも思い出せないほどだ。

立川の小中学校出身者でいまでも接点があるのは、同じ大学・会社にいった男性ひとり、そして毎年結婚記念日にお祝いメールを送る女性ひとり。定期的にやり取りがあるのは、この2人だけである。それともうひとり、先日私がLINEアカウントを乗っ取られた(なりすまし詐欺に利用された)とき、「おい、お前、オレに変なメッセージよこすなよ! いやぁ、久しぶりだなぁ」と電話をかけてきてくれた男性がいる。

幸いなことに、私は子どものころ、立川の学友たちとよい関係を築けていたと思う。とはいえ、いま、彼らのことが大事か? と問われると、正直なところまったく大事ではない。むしろ大事なのは、現在仕事をしている取引先の皆さまがたである。一緒に仕事をしている期間が3カ月の人のほうが、小中学校時代の友人より大事なのだ。なにより「共通言語」が多い。率直なところ、業界関係者が集まる飲み会で初めて会った人のほうがはるかに話していて楽しいし、有益な情報を得ることもできる。

■交友関係は折々で変化していくもの

35歳を過ぎた人であれば分かるかと思うが、非常に貴重なもの、特別なものだと感じていた高校・大学時代の友人であっても、30歳を超えてしまえばそれほど大事な存在ではなくなっていることが多い。どう考えても自分の配偶者、子ども、会社の上司、同僚、取引先のクソオヤジとの人間関係のほうが、いまの自分の生活と密接に関係しているし、重視せざるを得ないのである。なかには親が要介護になり、面倒をみることに多大な時間と労力を割かなければならない人もいるだろう。

正直、社会人にとって「友人」に割く時間はかなり限られてしまうのだ。それはあなただけでなく、あなたの友人にとってもそうなのである。学生時代の友人となかなか会わなくなり、さらにはメールの返事も返ってこなくなった……。一瞬、寂寥感を覚えるかもしれないが、それは友人もあなたも成長した、ということを意味している。それもまたよし。人間関係というものはその時々で変わっていくものであり、一回「貴重なもの」認定したからといって、それを一生引きずる必要はない。

これは、いま小中学校で過ごしている子どもたちにも当てはまる。親は「長い人生で、交友関係は変わっていくもの」と理解しているのだろうが、ならばなぜ、そのことをきちんと子どもにも教えないのか。わが子に対し「小中学校の人間関係──とくにあなたを卑しめたり、危害を加えたりする人間なんて、大事でも何でもない。むしろ、あなたのほうから無視してやれ。もしつねられたら、つねられなくなるまでつねり返してやれ」と教育すればいい。なんだったら空手や柔道でも習わせ、いじめに遭ったときには逆に正拳突きや大外刈りでも食らわせてやればいいのだ。相手はビビッて、あなたの子どもをもういじめなくなるかもしれない。

■反撃してもいいし、逃げてもいい

「小さい時期に、そんな殺伐とした人間関係の一面を教えてしまったら、将来どんな子になるか……」などと心配になるかもしれないが、気にすることはない。むしろ、いじめられた経験のほうが、将来によほど悪影響をもたらす。親は自分の子どもに「あなたを不幸せにする連中は、人生に不要な連中なので、まったく大事にする必要はない。なにがあろうと、私はあなたのことを徹底的に守るし、全面的な愛情をもって接する。だから、大丈夫」と自信を持って宣言すればいい。

いじめられた体験は、一生のトラウマになるもの。だが、いじめた体験は、案外忘れてしまう。それならば、「孤立したとしても、いじめてきた相手には容赦なく反撃する。一対多でも意に介さず、いじめをしてきたクソガキたちをいじめ返す」くらいの行動に出て、周囲から敬遠されるくらいの人間になったほうがいい。それができなければ、学校から逃げたって構わない。

■ドライな人間関係を子どもにも習得させよ

小中学生は「学校はとにかく大事」「クラスメイトとは仲良くしなくてはならない」といった価値観を植え付けられ、集団生活に耐えることを強いられる。そのため、理不尽ないじめに遭ったとしても、まずは我慢することを選択しがちだ。そして、「一生、このクソみたいな人間関係が続くのだろうか……」といった不安や絶望感を抱え込んでいく。小中学生にとっては、狭い学校が世界のすべて。その腐った世界が、未来永劫続くとすら感じているかもしれない。

だが、高校や大学に行くと、世界は大きく広がっていく。社会人になれば、さらに世界は広がる。小中学校時代の愚にも付かないような連中とは完全に縁を切ることができる。そして、もう二度と会うこともなければ、思い出すこともなくなる。

居場所は学校以外にいくらでも見つかるし、気持ちよく付き合える人もたくさん存在している。その事実を小中学校のうちから子どもたちに教え、性に合わない相手とはお茶を濁す程度の人間関係でやり過ごす術を身につけさせればいい。われわれ大人たちが、日々していることだ。名刺交換をしただけで、すぐには顔も思い出せないような無数の人々と、ドライな人間関係を構築して、やり過ごす。それでいいではないか。

そもそも、自分の人生において本当に重要な人なんて、数える程度しかいないもの。それさえ大切にしていれば、十分幸せになれる。

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【まとめ】今回の「俺がもっとも言いたいこと」
・子どもには、きれいごとではなく、人間関係の現実を教えるべきだ。
・小中学校の交友関係など、長い人生においては大して重要ではない。いじめてきた相手は容赦なく反撃してもいいし、学校から逃げてもいい。
・居場所はいまいる場所以外にいくらでも見つかるし、本当に大切な人だけ大切にすれば、きっと幸せになれる

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中川淳一郎(なかがわ・じゅんいちろう)
1973年東京都生まれ。ネットニュース編集者/PRプランナー。1997年一橋大学商学部卒業後、博報堂入社。博報堂ではCC局(現PR戦略局)に配属され、企業のPR業務に携わる。2001年に退社後、雑誌ライター、「TVブロス」編集者などを経て現在に至る。著書に『ウェブはバカと暇人のもの』『ネットのバカ』『ウェブでメシを食うということ』『バカざんまい』など多数。

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