「観る」より「やってみる」

 あくまでも個人的な好き嫌いの話として聞いていただきたい。

 僕は林山(りんざん)という雅号を持っている。画も書も俳句もやらないが、気が向いたので自分で勝手につけてみた。

 武田信玄の風林火山、「疾きこと風の如く、徐(しず)かなること林の如く、侵掠(しんりゃく)すること火の如く、動かざること山の如し」から風と火を抜くと林山となる。疾くもないし侵掠はあまり好みではないが、動かず徐かにしていることにかけては絶対の自信がある。

 出不精で興味関心の幅も狭く非活動的な日常を過ごしている。自分から能動的に取り組む趣味や種目はあまりない。それでも好きなこととなれば、観ているだけでなく自分でやってみようと思うタチである。

 子どもの頃に手品の出し物を観たときのこと。途中で手品師が「ここでちょっとどなたかにカードをシャッフルしてもらいたいのですが……」とか言うと、真っ先に手を挙げるタイプだった。目の前で繰り広げられる不思議が面白くてたまらない。早速自分でもやってみたいと思う。

 トランプと手品の本を買って練習する。そのうち人前でやりたくなる。最初は家族に無理やり見せて喜んでいたが、じきにそれでは我慢ができなくなり、小学校の「お楽しみ会」(いまはどうか分からないが、昭和時代は生徒が得意の出し物を披露する学級会のようなものがときどきあった)で手品をやらせてもらっては悦に入っていた。

 これまでも何度か話したが、僕の数少ない趣味は音楽である。たまには好きなアーティストの実演を観に出かける。ステージ上のパフォーマンスを客席から観ていていつも思う。「俺も混ぜてくれないかな……」

 もちろん混ぜてくれない。ところが、ごく稀に例外もある。

 20年以上前のこと、ブルース・ブラザーズ・バンドが来日して、青山の「ブルーノート」(当時は今とは別の場所にあった)でライブをやった。映画『ブルース・ブラザース』もシカゴ・ブルースも大スキな僕は、大喜びで出かけて行った。

 ノリノリで最前列で踊りながら観ていたら、何と「お前、楽しんでいるな。出て来て一曲歌えよ!」とお声がけいただいた。欣喜雀躍してステージに上がり、ヴォーカル・マイクの前に立ってみると、右にはスティーブ・クロッパー(ギター。ブッカー・T.&ジMG’sの人で、つまりはオーティス・レディングの名曲「ドック・オブ・ザ・ベイ」を作曲してギターを弾いていた人)、左にはマット・マーフィー(ギター。映画の印象と違ってクロッパーもマーフィーもわりと小さな人だったのでびっくりした)、後ろにはルー・マリーニ(サックス)。残念ながらベースはドナルド・ダック・ダンではなかったが、それはこの際どうでもイイ。夢のような布陣で気持ちよーく「ノック・オン・ウッド」を歌わせてもらった。天にも昇る気持ちとはこのことである。

今でも、毎晩寝る前は「リーダーストーリーライター」に

 本を読むのが好き、自分で文章を書くのはもっと好き。昔から変わらない僕の好物だ。

 父の仕事の都合でアフリカで育った。祖母が日本から船便で送ってくれた本を繰り返し読んだ。『エルマーのぼうけん』シリーズとか、ルパンとかホームズとか明智小五郎とかのポプラ社の子ども向けハードカバーだった。

 何度も読んでいるとさすがに飽きてくる。そのうち自分で勝手にお話をつくり、「続編」を書くようになった。自分で書いて自分で読む。シンガーソングライターならぬ、リーダーストーリーライターである。

 ところが、いかんせん小学生なので執筆能力に限界がある。そこで、実際に書くのはやめにして、「脳内リーダーストーリーライター」に路線転換した。寝る前にベッドの中でお話をひたすら空想し、楽しむのである。脳内で大長編小説を自分で書いては読んで(?)いた(つくづく内向的な性格)。

 そのころ脳内ヘビーローテーションだったのがロードムービー的なストーリー。いまでも細部までよく覚えている。ある特殊なバスがある。弟や友だちとそのバスに乗っていろんなところに行く。で、たまらないのは、このバスのなかにはすばらしい自動販売機がついていて、ボタンを押すとカレーライスとかカツ丼とかお菓子とか、いつでも好きなものが出てくる。それを食べながら、いろんな土地にいっていろんな景色や人々を見る。ほとんど冒険的要素のない、やたらと穏やかなロードムービー。そういう空想をしていると、すごく幸せな気持ちになって、そのうちに眠ってしまう。これを毎晩繰り返していた。

 正直に告白すると、実は53歳の今でも毎晩寝る前にこれをやっている。さすがにテーマは当時の「自動販売機つきバス旅行」ではないが、寝る前の脳内リーダーストーリーライター活動(といっても、傍から見ればただ横になって目をつむっているだけ)は日常生活の最大の愉しみといっても過言ではない。

『エルヴィス・オン・ステージ』の衝撃

 振り返ってみれば、僕の軽音楽好きの端緒は、6歳か7歳の頃に観た映画『エルヴィス・オン・ステージ』にある。

 僕の育った国ではテレビ放送というものがなかったので、映画が娯楽を独占していた。詳細はよく覚えていないのだが、両親がパーティーか何かに出ているとき、ホテルで残った子どもだけを集めて預かっておくサービスがあった。子どもにお菓子でも与えて映画を見せておく。そういうところであるとき唐突に遭遇したのが『エルヴィス・オン・ステージ』だった。

 メトロ・ゴールドウィン・メイヤー配給の1970年のアメリカ映画。「キング」エルヴィス・プレスリーのラスベガスでのショーを撮影したドキュメンタリーである。60年代のエルヴィスは、辣腕にして強欲なマネージャー、パーカー大佐が取り決めた長期映画契約に縛られていた。根っからのシンガーであるエルヴィスは聴衆の前で歌いたくて仕方がない。ところが、一切のライブが出来ない「軟禁状態」に置かれていた。

 エルヴィスはこれがもどかしくてたまらない。ついに映画契約から解放され、娯楽の殿堂ラスベガスの「インターナショナル・ホテル」のステージにカムバック。溜まりに溜まった歌唱欲求全開のパフォーマンスを炸裂させる。これがもう素晴らしすぎて、興奮のタコメーターはレッドゾーンに入りっぱなし。「この世にはこんなに楽しくて素敵なことがあるのか!」と、子供心に痺れにシビれた。

 この映画のサウンド・トラックは世界中で大ヒットし、わが家にも当たり前のようにサントラのカセット・テープがあった。家には再生装置がなかった(ように思う)ので、聴くのはクルマの中のカーステレオ。いつもテープのエルヴィスに合わせて収録されている12曲を順に歌っていた。歌うとますます気持ちイイ。「将来はエルヴィスになる!」と心の中で決めた。

音楽趣味の垂直統合

 大人になった僕は残念ながらエルヴィスのようなシンガーにはなれなかった。それでも機会があればよく人前で歌わせてもらった。余興やイベントなどに無理やり入り込んで、エルヴィスを歌った。

 今でも僕の教えている大学院(一橋大学ICS)では年に一回“ICS Cabaret”という「お楽しみ会」がある。毎年ここで歌えるのを楽しみにしている。わりと最近も、友人の経営している会社のパーティーで歌わせてもらった。ありがたいことである。

 家でもスキな曲は聴くだけでなく、自分でギターを弾きながら歌って愉しむのを常としている。今日では「この曲、イイな」と思うと、すぐにインターネットでコードの入った楽譜をダウンロードできる。すぐに歌える。実にありがたい。僕にとって、インターネットの最大の恩恵はここにある。

 僕の音楽趣味は垂直統合モデルを旨としている。この30年ほどロック・バンドをやっているのもその一環だ。どういうことかというと、こういうことだ。自分のスキな音楽を聴く→聴くだけでなく踊ってみる→踊るだけでなく歌ってみる→歌うだけでなくバンドでスタジオ演奏してみる→スタジオだけでなくライブで実演してみる→実演するだけでなくレコーディングしてみる→レコーディングするだけでなく出来上がった音源を自宅で聴いてみる→聴くだけでなく踊ってみる……(以下、無限ループ)。
 

「休みのプロ」は夏と冬に「休憩」のためのオフを10日間確保する

 受動的に観ているだけではつまらない。好きなことは自分でやってみるに越したことはない――。そうは言うものの、実際のところ音楽以外に能動的にやる趣味もない。そういう僕が日常生活で最高度の能動性を発揮するのは何といっても「休憩」である。

 休憩というとそれ自体、受動性の極みのように聞こえる。しかし、舐めてはいけない。僕のような「休みのプロ」は生半可な気持ちでは休まない。真剣に休憩するのである。

 休憩のピークは毎年夏と冬に2回とる長期の休暇。入念にスケジュールをブロックして、10日間ほど連続して休みをとる。何をするのかというと、何もしない。ひたすら休む。全身で休む。

 日常の休憩にも真剣勝負の構え。仕事が終わって帰宅し、ひとっ風呂浴びてから食事だのメールでの残務処理などのことごとを終えると、8時くらいになる。ここからがいよいよ休憩の本番だ。

 ようするにベッドで横になるだけなのだが、その前にまずはストレッチとセルフマッサージ。ストレッチ・ポールや首・肩・足の裏の凝りをほぐす器具を駆使して入念にコンディショニングをする。気持ちよく横になるための準備である。

 で、ベッドに倒れこむ(このとき、勢いをつけるために「疲れたー!」と叫んだりするとなおイイ)。長年の試行錯誤を経て、ベッド環境もファインチューニングされている。ベッドマットとシーツの間に、「エアウィーヴ」というパッドを入れている。この年になると睡眠は7時間もあれば十分すぎるのだが、休憩時間も入れると毎日10時間はベッドの上にいる。エアウィーヴの程よい硬さがないと「寝疲れ」するのである。枕は「メディカル・ピロー」という医療用を使っている。首の自然なサポートに優れた逸品だ。

 枕元には本、タブレット、目薬、耳かき、使い捨ての温熱アイマスク(商品名は忘れた)などなど、休憩の友のアイテム。ウェアはユニクロのスーパーストレッチの上下。軽いし、まったく体に負荷がかからない。完全装備で休憩に臨む。で、本を読んだり、空想したり、ひたすらゴロゴロダラダラする。そのうちに眠ってしまう。ここに幸あり。

「癒し」が嫌い

 全力で脱力している僕が嫌いな言葉がある。それは「癒し」。「お前の大スキな休憩と同じじゃないか」といわれるかもしれない。しかし、この両者は似て非なるものである。

  休憩は自分でするもの。これに対して、癒しは人(もしくは物)にしてもらうものだ。この受動性がイヤなのである。「だから何なんだ」といわれれば返す言葉もないが、休憩は僕にとって生活の核心である。休憩のために働いているといってもよい。そんなに大切なものをおいそれとよそ者に委ねるわけにはいかない。独立自尊で休む。これが僕の休憩流儀である(ただ横になっているだけなんですけど……)。

 たとえばマッサージ。癒しの代表選手である。いっときマッサージに行くのが習慣になったことがある。確かにマッサージは気持ちイイ。しかし、僕にも休憩のプロとしての矜持がある。こんなことではいけないと思い、よっぽどのとき以外はマッサージに行かず、セルフマッサージの技術を磨くようにしている。自分のツボは自分がいちばんよく分かっている。慣れてくると、人にやってもらうマッサージとはまた違った愉悦がある。人生に癒しは要らない。休憩あるのみだ。

 話はちょいとズレるが、女性のタイプでも「癒し系」というのが大キライである。こういうのがスキな男はどうも信用できない。どっちにしろ男にとって女は理解できない生き物、どうせなら迎合的な要素が一切ないほうがイイ。主張がはっきりしていて気が強くてガードが固くて絶対に思い通りにならなそうな女性ほど魅力的に映る。

 話はいよいよズレるが、同じく受動性の点で嫌いな言葉に、「感動をありがとう!」とか「元気をもらいました!」というのがある。「お金をありがとう!」とか「お金をもらいました!」という人はあまりいない。ゆえなく人さまからお金をもらうのはヘンなことである。それと同じで、感動とか元気とか、そういう人間生活にとって基盤的なものは人から「もらう」ものではない。能動的に獲得しにいきたい。

 ということで、原稿も書き終えたことだし、この辺で休憩に入る。全力で脱力する所存である。

(楠木 建)

©iStock.com