最近でいえば神奈川県座間市で起きた9人殺害事件など、世間に衝撃を与えるような殺人事件が起きるたびに、マスメディアは連日容疑者の異常さに焦点を当てた報道をする。一方、視聴者も食傷気味になりながらも、繰り返しそれらの情報を消費し、そしていつしか事件は忘れ去られる。そのように消費されてきた数々の事件に関する土地や事件の背後を旅しているノンフィクション作家で写真家の八木澤高明氏が、『日本殺人巡礼』(亜紀書房)を上梓した。土地と事件にはどのような関係があるのだろうか。八木澤氏に話を聞いた。

――今回の『日本殺人巡礼』は、日本で起きた殺人事件の現場を訪ね歩いた旅をまとめたものです。以前から、犯罪や娼婦といったいわゆる裏社会をテーマとした本を執筆されていますが、その理由とは?

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八木澤高明氏(以下、八木澤氏):もともと、世の中から“見えづらい人たち”への興味があり、最初はネパールを、その後横浜の黄金町の娼婦たちをはじめ、いろんな人たちを取材してきたんです。

かつて、民俗学者の宮本常一さんは、高度経済成長前の日本の山間部や漁村を訪ね歩きながら、消え行く民間伝承や性文化など、当時広く知られていなかったことを記録しました。しかし農村や漁村が過疎化した今、宮本さんが記録した物語はもう存在していません。代わって、都市に人々は吸い寄せられています。

都市には日向と日陰が存在し、裏社会と言われる日陰にはどうしてもフォーカスが当たりづらい。でも、そこで生活している人たちはいます。たとえば娼婦や犯罪者です。そうした都市の日陰、宮本さんにならって、自分の言葉で言えば「都市の民俗学」に興味があるんです。

――ネパールでの取材活動後は、写真週刊誌のカメラマンとして数々の事件現場で取材をされています。フリーランスの現在と比べて、取材における視点の違いはあるのでしょうか?

八木澤氏:写真週刊誌自体が、新聞やテレビといった大手メディアとは視点が違います。たとえば、週刊誌在籍時には、新聞やテレビと同じ写真では記事になりませんでした。よもや共同通信社から写真を買うなんていうのは論外です。それだけ写真週刊誌は独自性を求めていたし、記事に対する自負もありました。

 でも、事件発生の一報が流れ、新聞もテレビも週刊誌も一斉に取材をスタートさせ、短くて2日間、長くて7日間の取材では、どうしても犯人の特異性にフォーカスせざるを得ませんでした。そこでフリーランスになってからは、犯罪者たちを私の側に引き寄せてみることで、彼らは特異な存在ではないのではないかという視点で取材をしています。

 私も年を重ねて世の中のことが若い頃に比べ見えるようになったから、そうした視点を持つようになったのかもしれませんね。

――特に、今回の本では、事件現場や犯人が生まれ育った場所など土地やその歴史について注目していると感じたのですが、それはなぜでしょうか?

八木澤氏:そもそも土地に興味があるんです。この土地はどういう歴史を経て、現在に至っているのか、またどんな人たちが住み、どんな生活が営まれてきたのか、ですね。また、人間は育った土地や、住んでいる土地の風土の影響を多分に受けるもなのではないかとも思います。

――さまざまな事件現場へ取材に行った経験から、どんな土地で犯罪が起きやすいと考えていますか?

八木澤氏:基本的には、人が多く集まる都市部ですね。人や金、モノが無数に集まるとどうしても旧来の価値観が崩れやすくなる。たとえば私が住んでいる足立区は、一時期治安があまり良くありませんでした(編注:2015年の「警視庁の統計」によれば、犯罪発生件数は新宿区が1位で、世田谷区が2位で、足立区は4位)。その理由を土地の歴史から探ると、足立区はもともと、江戸時代に開拓された農村地帯だった。小林一茶が「やせ蛙 まけるな一茶 是にあり」と詠んでいます。

 ですが高度経済成長期に入り、水田が広がるのどかな風景だったこの土地も住宅地へと一変。郊外でもあり、新しく建てられた住宅は都心部に比べ家賃が安く、地方からさまざまな人たちが移り住みました。そこに旧来と違った価値観が生まれ、犯罪の萌芽や犯罪を誘引するものが生まれてきたのでしょう。

 それは足立区や日本だけでなくて、海外でも同じです。たとえば、今回の『日本殺人巡礼』では、約130年前にイギリスで切り裂きジャックが起こした連続女性殺害事件の舞台となったロンドンのイーストエンドも訪れました。ここは、もともと野原だった土地に人が住み始めてスラム街になった地域で、当時、偽装食品の生産などが行われていました。今の中国と同じようなことが、当時のロンドンでは行われていたんですよ。

 結局、資本主義が行き着くところは、金がモラルの基準になりがちで、そうした土地ではいつの時代でも犯罪が起きるということです。それが、昔のロンドンであり、日本で言えば北関東であり、また中国であるだけです。

――北関東は、申し訳ないですが、都市というイメージが湧かないのですが……。

八木澤氏:現在ではそういうイメージはないかもしれませんが、群馬県は江戸中期にはヤクザの本場で、大きな賭場がありました。また同じ頃、もともと痩せたこの土地では、換金作物の栽培や養蚕が始まりました。それらによって得られた収入、つまり現金が、上州、現在の群馬県における価値観の大きなウェイトを占めるようになっていくんです。同時に、金に吸い寄せられた人々が各地から流入し、戦後、売春防止法が施行されるまでは赤線も存在しました。  

 そうした江戸時代に生まれた風土が、昭和の事件につながっているのではないか、と思います。

――本書にも登場しますが、埼玉県本庄市で起きた本庄保険金殺人事件(金融業を営んでいた八木茂死刑囚が、自身で経営する飲食店のホステスと常連客とを偽装結婚させた上、保険金殺人を行い、2000年に逮捕。08年に最高裁で死刑判決が下るも、16年に再審請求し棄却される。逮捕前、八木は自身の店で有料の記者会見を開き、ニュースやワイドショーで注目を集めた)も北関東のそうした風土が生んだと。

八木澤氏:本庄市は、江戸時代には中山道随一の宿場町で、人も金も集まり、風紀が乱れやすかった街でした。八木死刑囚は、両親からひどい扱いを受け、中学卒業後すぐに働き、金だけが頼りで生きてきたところがあり、歴史的に金やモノが集まった本庄市に吸い寄せられたのかもしれませんね。

――他にも土地に関連した事件はありますか?

八木澤氏:私自身が年齢を重ねたからこそ理解できたと思える事件でいえば、1998年の和歌山カレー事件ですね(編注:和歌山毒物カレー事件。98年に和歌山市園部の夏祭りで出されたカレー鍋にヒ素が混入。これを食べた4人が死亡、63人が急性ヒ素中毒になった。保険金詐欺と別件の殺人未遂の容疑で逮捕され、その後カレーに亜ヒ酸を入れ、殺害したとして再逮捕された林眞須美死刑囚は09年に死刑が確定。今年3月に再審請求をするも棄却され、即時抗告した)。

 林眞須美死刑囚が生まれ育った集落は熊野水軍の末裔が住む、江戸時代にできた漁村です。一方、事件当時に住んでいた園部は、元は農村の新興住宅地でした。江戸時代の漁村と農村では、同じ時代に生きていても見ているものがまったく違う別世界。歴史が育むこうした土地の違いを、私も若い頃はよく理解できていませんでした。

 当時、林眞須美死刑囚と保険金詐欺で逮捕された元夫の健治さんはインタビューで「眞須美は賭博を100~200万円単位でやっていた」と話してくれました。ここまでの大金を賭けるのは、羽振りの良い網元の娘だったからではないか、と思うんです。そんな豪快な性格の林眞須美死刑囚が、農村である園部へ行けば感覚が違いすぎて、まわりの住人と相いれないはずです。

 また、健治さんは保険金詐欺事件での取り調べ中に刑事から、林眞須美に殺されかけた、と証言すれば3つの保険金詐欺を1つにしてやる、と日本では認められていない司法取引を持ちかけられたと話してくれました。その口ぶりからは、カレー事件に眞須美死刑囚がかかわっているはずがない、と信じている様子がうかがえました。

――本庄保険金殺人事件や和歌山カレー事件などのように、大きな事件として連日テレビや新聞などで扱われると、犯罪者をどうしても異質な存在として見てしまいがちです。でも、冷静になって考えてみれば、誰もが犯罪者になる可能性はあるわけです。我々と彼らを隔てているものとは?

八木澤氏:結局、境界線はなく、グレーゾーンなんじゃないですかね。ニュースとして消費される際、そういう特異性に注目させることで、我々と彼らを隔てている境界線が実際にあるように思わせているのかもしれません。ただ、特異性を報じないと事件の概要もわかりづらいですし、報道する意義が薄まってしまうのも事実でしょう。だから、犯罪というのはすごくセンシティブなものだと感じています。

 社会が変われば、法も変わり、犯罪も変わります。現在では禁止されていますが、江戸時代までは仇討ちは認められていたわけですから。それが明治に入り、西洋の法律が入ってきて禁止されたんですよ。

――最後に、どんな人に本書を薦めたいですか?

八木澤氏:普段から笑顔を絶やさず日常を送っていても、一皮剥けば誰だって何かしらの悩みを抱えているものです。そのなかでも、特に行き詰っている人に読んでほしいと思います。この本で取り扱った多くの事件の背景には、風土や差別、貧困といった、自らではどうにもならないものが影を落としています。自分の力でどうにもならないことに悩んでいるなら、あまり根を詰めすぎず、もっと自分自身にオープンになってもいいんじゃないでしょうか。それには外へ目を向けること。肉体的にも精神的にも、いったん外に出れば、自分がいた環境を俯瞰して見ることができます。土地や家の呪縛から自由になるために、できることはきっとあると思います。そのために背中をそっと押す一助ともなれば、著者冥利に尽きます。
(取材=本多カツヒロ)


※『日本殺人巡礼』(亜紀書房)

『日本殺人巡礼』(亜紀書房)