“喫茶王国”である愛知県は、ドリンクを頼めば無料でつく豪華なモーニングサービスが有名だ。こうした「名古屋モーニング」とは一線を画しながら、スターバックスやコメダ珈琲店といった全国チェーンをしのぐ人気店がある。普通の喫茶店が“遠くから客が集まる店”に進化した秘密とは――。

■喫茶と洋菓子の「二刀流」

愛知県名古屋市北区に「上飯田」(かみいいだ)という町がある。地下鉄の駅はあるが、繁華街ではなく下町色の強い住宅街だ。その駅から5分ほど歩くと、瀟洒な店構えの喫茶店「カフェタナカ」が見えてくる。実はこの店、県外からもお客が訪れる人気店だ。

門をくぐり店内に入ると、左側が「洋菓子売り場」、右側が「カフェ」となる。洋菓子売り場の大型のショーウインドーには、「モンブラン」や「和栗のフィナンシェール」、「タルト・タタン」(りんごのタルト)「タルト・オ・ポワール」(洋梨のタルト)などが並ぶ。

カフェはネル(布)ドリップのコーヒーが自慢。名古屋地区で初となる「スチームパンク」という抽出機も導入した。食事も充実しており、名物は「鉄板スパゲティ」(鉄板に玉子を敷き、上にスパゲティを載せたもの)だ。

各地の喫茶店では持ち帰り用のケーキを売る店も多い。洋菓子店であれば飲食ができるように「イートイン」をもうけている店もある。だが、それらは中途半端になりがちだ。どちらも本格的というカフェタナカのような店は珍しい。これは「喫茶王国」と呼ばれる名古屋市で、カフェタナカが人気店となった理由のひとつだろう。

■なぜ名古屋は「喫茶王国」なのか

なぜ名古屋市は「喫茶王国」と呼ばれるのか。筆者は以下の4つの理由を挙げてきた。

(1)「自宅の居間」や「会社の応接室」の延長線上で店を使う
(2)「喫茶代におカネを使う都市」で、毎回岐阜市とトップ争い
(3)大手チェーン店もあるが、伝統的に個人店が強い
(4)常連客向けに始まった、無料の「モーニングサービス」が定番

今回は(3)と(4)に言及しながら、独自の道を歩む同店の取り組みを紹介したい。

■無料でつく「モーニング」はやらない

「カフェタナカ」が面白いのは、1963年に開業した名古屋の老舗店でありながら、これまで、無料のモーニングサービスを一切してこなかったこと。それでもお客に支持された。

この店を創業したのは、田中寿夫(としお)氏だ。滋賀県出身で画廊に勤めた後、54年前に千種区の田代本通りで店を開き、数年後に現在地に移転した。今回話を聞いたのは2代目の娘世代だが、筆者は過去に何度も創業者に話を聞いたので、併せて紹介したい。

「上飯田の現在地に移転した当時、店の前の道路は砂利道で、周りは田んぼだらけ。『こんな場所で店をやるのか』と周囲に笑われました。でも、自家焙煎のコーヒーにこだわるうちに、お客さんに支持されるようになりました。当時は朝7時に開店しており、出勤前の人に向けて早朝から営業するのが“モーニングサービス”だったのです」(寿夫氏)

昔は「タナカ」という名前で、コーヒー以外に名古屋名物の「鉄板スパゲティ」やサンドイッチが人気だった。多い日は1日に600人も集客し、一時はのれん分けの形で7店舗まで広げた。

■父のコーヒーに合う洋菓子を提供

現在の「カフェタナカ」となったのは、娘の田中千尋氏(社長兼シェフパティシエ)の活躍が大きい。フランスに留学して本場の洋菓子を学び、1995年の帰国後は家業に入社し、四季折々の洋菓子を提供する。現在は雑誌やテレビが取り上げる人気パティシエとなったが、職人としての本分は崩さない。季節感の乏しいショートケーキだけでなく、季節のフルーツをつかったタルトを取り揃えているのは、千尋氏のこだわりだ。

「2人姉妹ですが、もともと私も妹(現取締役の千寿氏)も、父や亡くなった母の働く姿を見て育ち、高校時代からはアルバイトで焙煎の手伝いや接客もしました。2人ともお店が大好きで『将来、店をこんな風にしたいね』と話したこともあります」(千尋氏)

実は父は「2人とも女の子なので、いつかお嫁に行く。この店は私一代で終わりだろう」と思っていた。だが、長女は本気だった。名古屋のお嬢様学校として知られる金城学院短大を卒業すると、周囲の猛反対を押し切って渡仏。修業を終えて帰国し、「コーヒーに合う洋菓子を、店で提供したい」と相談すると、父からはこう言われた。

「365日、自分が本当においしいと思う洋菓子をつくり続けること。その自信があるならやりなさい」

この言葉に奮起した千尋氏は、店に泊まり込むような生活を続けた。当時、父は多店舗展開した店を本店だけに縮小し、娘の取り組みを支えた。こう紹介すると爽やかな話だが、そこは親子の関係だ。千尋氏は「父とは頑固な部分が似ており、よく衝突した」と笑う。

現在は子育て中の妹も姉の活動を支え、当時は最前線で接客を続けた。「徐々にお客さんに浸透し、ケーキが1日に100個売れた時は大喜びでした」(千寿氏)と振り返る。メディアも取り上げるようになった。テイクアウトで洋菓子を買った子供世代が自宅で話すと、「あそこは昔、行っていた」と親世代が応じて、後日一緒に来店するなど、顧客も広がった。

■店の立地に合わせて、新商品を開発

“喫茶店にうるさい”名古屋人相手には、飲食の味や雰囲気が一段と大切だ。たとえ製造や販売の技術があっても、店で洋菓子をつくって提供するだけでは視野も広がらない。現在は「本店」「ジェイアール名古屋高島屋店」「松坂屋本店」(名古屋市)、「ジャズドリーム長島店」(三重県)の4店舗を展開する同社にとって、飛躍のきっかけは“他流試合”だった。

「98年に三越名古屋店さんから『催事』のお誘いをいただいた。初めての経験でドキドキしながら実演販売したところ、商品が飛ぶように売れたのです。その後、各地で実演販売をするうちに、ジェイアール名古屋高島屋さんから出店の声がかかりました」(千尋氏)

「父の代からの歴史がある本店は、遠くからいらっしゃるお客さまも多い。一方、デパ地下は、前を通った方が、いろんな店を比較して買うことも多いので、特徴的な商品も投入しました」(同)。2000年に出店すると、東海地方の表玄関・名古屋駅内の百貨店からは、週替わりの新商品を求められるほど鍛えられた。東京や神戸など老舗店が並ぶ“デパ地下”の洋菓子売り場で、地元店は「レニエ」(西区)と「カフェタナカ」の2店だけ。来店客層の違いも学んだ。

どうせなら「地元産の食材を使ったお菓子を作ろう」と考え、西尾の抹茶や岡崎の八丁味噌、名古屋コーチンを使った商品を試行錯誤の末に完成させた。「名古屋フィナンシェ」(抹茶と八丁味噌の2種類)や、名古屋系喫茶の名物・小倉トーストにヒントを得た「NAGOYAロール」「名古屋コーチンカステロ」などだ。当地の土産としても人気となった。

その後に出店した、アウトレット内の店(ジャズドリーム長島店)では「ジェラート」を、老舗百貨店内の店(松坂屋)では「ゴーフレット」(フランス流のゴーフル)も投入した。

■伝統と新しさを融合し、「広めるより深めたい」

伝統のコーヒーも進化させた。千尋氏の夫である水野貴之氏(同社専務)が中心となり、当時は名古屋地区で初となる「スチームパンク」という抽出機を導入。ネル(布)ドリップと並行してコーヒーを淹れている。

「新しいことは取り入れますが、“名古屋の喫茶店の娘”という原点は大切にしています。昔からの飲食メニューもある一方、新しいフードも投入します。その塩梅がむずかしいのですが、『どこか懐かしい』『ホッとする』という店であり続け、店舗数を一気に拡大するのではなく、店の本質を深めたい」(千尋氏)

本店のカフェ入口手前には、名古屋の喫茶店らしく読み放題の新聞や雑誌も置く。他のスポーツ新聞は1紙でも、中日スポーツだけは2紙あるのも名古屋流だ。現在、本店ではフランス北西部の郷土料理・ガレットなどが楽しめる朝食メニューも提供する。こちらも無料の「モーニングサービス」ではない。

全国チェーンであるスターバックスやドトール、コメダ珈琲店は確かに強いが、国内にはこの店のように、局地戦では大手よりも集客する“地元最強の店”がある。どのように店の特色を伸ばし、お客の心をつかむか。やり方はひとつではないのだ。

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高井 尚之(たかい・なおゆき)
経済ジャーナリスト・経営コンサルタント
1962年名古屋市生まれ。日本実業出版社の編集者、花王情報作成部・企画ライターを経て2004年から現職。「現象の裏にある本質を描く」をモットーに、「企業経営」「ビジネス現場とヒト」をテーマにした企画・執筆多数。近著に『20年続く人気カフェづくりの本』(プレジデント社)がある。

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カフェタナカ本店(名古屋市北区)の外観。