2019年5月1日、元号が変わります

天皇陛下の退位が2019年4月30日、新天皇となられる皇太子さまの即位は翌日5月1日となるニュースが、各メディアより流れました。皇太子さまより若い男性皇族は、現時点では秋篠宮さまと悠仁さまのお2人しか存在しません。悠仁さまの誕生で議論される機会の減った女性天皇論争ですが、今後の展開が気になるところです。

日本ではこれまで、男子の皇位継承者がいない、または女性が皇位継承の適任者と認められたなどの理由で、10代8人の女性天皇が即位してきました。今回は2017年現在、日本の歴史上最後となっている女帝に注目してみたいと思います。

第117代・後桜町天皇

第117代天皇・後桜町天皇は、第115代天皇である桜町天皇の第2皇女として元文5(1740)年に誕生しました。
異母弟に第116代桃園天皇がいましたが、桃園天皇は宝暦12(1762)年、22歳の若さで亡くなってしまいます。

桃園天皇には皇子である英仁親王(後の後桃園天皇)がいましたが、このときまだ5歳でした。この頃は、摂関家が天皇と対立した「宝暦事件」が起こるなど、政治的な混乱が起こっていた時期でした。

そういった時代背景もあり、中立的な立場でなおかつ英仁親王と血縁の近い天皇を・・・ということで白羽の矢が立ったのが、英仁親王の伯母(おば)である智子(としこ)内親王・後の後桜町天皇だったのです。

三英舎  “御歴代百廿一天皇御尊影” Wikipediaより

後桜町天皇の即位式は、新調された白の礼服を着用の上、男性の天皇と同様に行われました。礼服は、最初は宮中の内蔵寮(くらりょう)に保存されていた女帝の衣装を運び出したものの、着ることができなかったようです。というのも運び出された衣装は、奈良時代の孝謙天皇の即位式で着用されたと思われるもの。

後桜町天皇の前の女帝・明正天皇は即位時8歳の「幼女帝」だったので、その衣装を大人である後桜町天皇が着ることはできなかったのですが、かといって奈良時代の衣装を江戸時代に着ることも無理で、結局新調されたようですね。

後桜町天皇の功績は

後桜町天皇は、院政を敷くことなく自ら政務や大嘗祭などの行事を執り行い、9年間天皇に在位した後に甥の後桃園天皇に皇位を譲りました。譲位後も、上皇として後桃園天皇・その後に即位した光格天皇の教育・補佐に当たりました。

全国で一揆や打ち壊しの相次いだ「天明の大飢饉」の際には、幕府の許可を得ずに飢えに苦しむ民衆に食べ物を振る舞った逸話も残っています。その姿勢を引き継いだ光格天皇もまた幕府にかけ合い、救済米1500石を飢える人々のために放出させました。

光格天皇が朝廷の権威向上に努めたことは、その後幕末の尊王思想、明治維新へと繋がっていったともいわれ、その教育・補佐を務めた後桜町上皇は「国母」と呼ばれるようになりました。

後桜町天皇は、後桃園天皇が成長するまでの「中継ぎ」の女帝だったという意見もあります。そもそも幕府が政治の実権を握っていた江戸時代のことなので、奈良時代と比べると天皇がバリバリ政治手腕を振るうことは難しかったでしょう。

そんな中でも民のことを思い、後を継いだ天皇にもその姿勢を伝えた後桜町天皇は、生涯独身で子供はいませんでしたが、「民の母」という意味で「国母」の名にふさわしい方だったのではないでしょうか。

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