○日本ブランドの強みである高品質

最近の鉄鋼や自動車大手ブランドに端を発した日本の製造業における品質問題には底なしの感がある。この記事を書いている間にも、新たな大手素材ブランドでのデータ改ざんが報道される有様である。企業ブランドの価値は、大きく分けて3つの要素からなっている。(1)(先進性などを含めた)性能、(2)コスト、そして(3)品質(信頼性と言い換えてもいい)である。

長い間、日本企業が製造する製品の品質はグローバル市場における日本ブランドの一番強い要素だったので、今回の一連の事件には外国メディアも注目しているようである。今回のケースは、自動車業界のサプライチェーンの川上と川下でほぼ同時に起こったことなので(その関連性はないが)、余計に注目が行ってしまう。このように、2つの関連性のない事態が同じ文脈で同時期に起こるというのは歴史学的に言っても実証済みであるという(筆者の所属する大学での授業の受け売りである)。ちょっと歴史おたくの話になるが、紀元前2世紀に世界を支配していたのは、西はローマ帝国、東は漢帝国である。その2つの大帝国が成立したきっかけになった大きなイベントは、ローマ対カルタゴの「ザマの戦い」、漢対秦の「垓下の戦い」であった。不思議なことにこの2つの戦いは紀元前202年に起こっている。お互いにまったく認知もしていなかっただろし、領土獲得的関心もなかったと思われる2つの大帝国の成立のきっかけが、同じ年に起こった戦いであったということには何か意味があるのではないかと考える歴史家もいる。

話がそれたので元に戻そう。私は半導体業界において常に営業・マーケティングのポジションだったので製造現場の経験は皆無である。しかしかつて同じ製造業の業界にあった身としては、毎日報道されるこれらの話題には大きな関心を寄せざるを得ない。私が半導体ビジネスに身を置いた30年間にも多くの品質問題に行き当たった。品質の問題はないに越したことがない一番厄介な問題であるが、確率的に起こるものであるからどうしても避けて通ることはできない。問題が起こると営業現場にいる人間は、自社の本社・カスタマー両方の製造現場の板挟みになり奔走することになる。外資系の半導体ベンダーとして日本のカスタマーに売り込んだ経験から、製造現場でこの問題に取り組むエンジニアの方々、営業現場の方々のカスタマーへの対応の心労を考えると、今でも自分の事のように胃が痛くなるような感じがするのだ。賢明なる読者の皆様のご批判を覚悟しつつ雑感を書かせていただく次第である。

○ビジネス環境の変化

最近の品質問題の背景については毎日いろいろな分析・報道がなされているが、私が注目しているのは下記のようなビジネス環境の急激な変化である。

製造技術が成熟期に入ると製品はコモディティ化する。コモディティ化した製品のブランド価値のバランスは、性能・品質の軸からコストへと移行してゆく。この流れは(そのスピードは業界によって異なるが)どの業界にも当てはまる。
例えば、かつて日本の半導体が高品質で世界を席巻していた時代にはその業界自体が内包する儲けは市場の拡大とともに十分にあった。その時代、日本製半導体は品質ばかりでなく、コスト・性能でも競合を凌駕していた。しかしこの常勝のポジションは永久には続かなかった。
技術の成熟化とビジネスの急激なグローバル化は、中国をはじめとする新興勢力の参入を許すこととなった。中国・インドをはじめとする新興勢力は自国内に大きな市場を抱えているので、マスの原理が有効に働きコスト競争となると強大な勢力となる。新興勢力からの強力な競合が参入してきて同じ性能の製品を低価格で提供し始めた時に、日本勢はかなり高い品質の製品を提供していたにもかかわらず、価格を下げざるを得なかった。
原材料から最終製品までのサプライチェーンの中で生み出される儲けは、市場が飛躍的に拡大しない限り一定であるので、結果的にその儲けをサプライチェーンに組み込まれている各々のプレーヤーが取り合うことになる。エンドユーザーが最終製品に支払う対価(価格)は市場原理が有効に働くので明確に決められている。しかし、同じサプライチェーン内での価格の決定はかなりクローズな世界で決められる。その結果、全体的に生産コストが高いサプライチェーンのプレーヤー同士では、グローバル市場での競争を勝ち抜くために低価格化の押し付け合いになる。こういった状況では、得てして原材料などのベンダーに低価格のしわ寄せが来やすい。
必然的に起こるコモディティ化の結果であるこのような負のスパイラルを避けるためには、新たな市場、新たな技術の創造による先行逃げ切りしか方法はない。とはいっても、どの企業もAppleのような驚異的なイノベーション(あるいは巧妙なマーケティング)を起こし続けられるわけではない。

最近の製造業(特に素材業界)の品質の問題は、今になって急に起こったことではないことは各所の報道によっても明らかである。しかもそのほとんどが内部告発から問題が発覚していると推測され、製造現場の疲弊は想像に難くない。絶え間のないコストダウンの重圧を受けつつ、さらなる品質向上の目標にまい進せざるを得ない現場のエンジニア達が、エンジニアとしては一番やってはいけないデータの改ざんという禁じ手に至った状況には奥深い問題が潜んでいると考えるのが必然である。果たして、どれほどの企業のマネジメント層が、これが何を意味し、どれ程の重大問題であるのかを十分に認識しているだろうか?
○高品質の維持にはそれ相応のコストがかかる

私が外資系ベンダーとして日本のカスタマーに半導体製品を売り込む過程で常に頭を悩ました問題の1つが製品の価格交渉である。グローバル企業であるので、同じ製品がどの国でどれくらいの値段で取引されているかは常に比較される。大抵の場合は日本での取引価格が世界で一番安いことが多かったと記憶している。このような場合、本社からは価格交渉手腕の問題を常に指摘されたが、すべてが私のプアーな交渉術のせいではないと思っている。

日本のカスタマーは最終製品のグローバル市場での価格競争力を維持するために、ベンダーに過度な低価格を要求していたのではないかといぶかっている。これは日本の製造コストの高さを考えるとあながち的外れなことではないと思う。こういった状況では、外資系でも日系でも、ベンダー側のコストのやりくりが大変になるのは目に見えている。すでにカスタマーに低価格で提供してしまった高品質を、コストを抑えながら維持する、あるいはさらに向上させることは至難の業となってくる。高品質の提供・維持には相当のコストがかかるということの認識がマネジメントに徹底されていなかったのではないだろうか? マネジメントというのは一見問題がないような分野は"うまくいっているもの"と考えがちだ(そう考えたい、という側面も大きい)。今回の一連の品質問題の報道を見ていていると、不都合な事実に目を向けないマネジメントのふがいなさを感じるマネジメント経験者は私だけではないと思いたい。

著者プロフィール
吉川明日論(よしかわあすろん)
1956年生まれ。いくつかの仕事を経た後、1986年AMD(Advanced Micro Devices)日本支社入社。マーケティング、営業の仕事を経験。AMDでの経験は24年。その後も半導体業界で勤務したが、今年(2016年)還暦を迎え引退。現在はある大学に学士入学、人文科学の勉強にいそしむ。

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(吉川明日論)

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