愛媛県の県庁所在地である松山市から南方に約40キロ。ここには100年以上も前にタイムスリップしたような景観が広がる小さな町がある。

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 人口が1万7000人に満たないこの内子町は、江戸時代後半から明治時代にかけて木蝋(もくろう)の生産で栄華を誇った。大きな屋敷がいくつも建つなどして町は活気付いたが、時代の流れとともに蝋燭(ろうそく)はガス灯や電灯などに取って代わられたことで、町の経済的なにぎわいは徐々に失われていった。

 そうした中、1916年に内子町の中心部に「内子座」という劇場が開業。木造2階建てで瓦葺き入母屋造りの立派な芝居小屋で、多くの町民が歌舞伎や文楽などを楽しんだ。かつては日本全国にこうした劇場が存在したものだったが、老朽化などによって現在はほとんどが取り壊されている。内子座もその危機に直面したが、地元の保存運動によって残すことを決断した。83年から85年にかけて復元され、2016年2月には設立100周年を迎えたのである。

 「美しき日本の残像」などの著者で、東洋文化研究家のアレックス・カー氏も内子町に魅せられた1人だ。まさに町の保存運動が起きた80年代前半に初めて訪れ、そこから足繁く通っている。「古い町を残すという運動は、あの時代には珍しくて先駆的でした。当時はバブル景気で、古いものを壊して新しいものを建てるのが一般的でしたから。内子座も壊される計画でしたが、ギリギリになって止められたのです。ある意味で奇跡ですよ」とカー氏は声を弾ませる。

 今、日本の地方は人口減少の一途をたどっており、それは内子町も同じ。特に山間部の集落は空き家も多く、行政も何とかしようと頭を悩ませているという。「内子町は美しい棚田など多くの資産を持っていて伸び代があります。若者も入ってきて少しずつ町の活性化に取り組んでいますが、まだ生かし切れていないのが現状です」とカー氏は指摘する。

 そうした課題解決の一助になればと、カー氏がホストを務めるイベントが10月28〜29日に内子町で行われた。地域の価値創造を専門とするONESTORYが地方各地で開く数日限りの幻の野外レストラン「DINING OUT(ダイニングアウト)」である。

イベント史上で最少規模の町

 DINING OUTについて、詳しくは以前の記事を参照してもらいたいが、この内子町で開催された「DINING OUT UCHIKO with LEXUS」では新たな取り組みがなされた。それはDINING OUTで出したメニューを商品化して町で販売するというものだ。

 今回のシェフである「La Cime(ラ・シーム)」(大阪市)の高田裕介氏が現地スタッフと共同で作った「銀寄栗のエクレア」は、11月中旬から12月25日まで地元の道の駅などで売られている。これまでもDINING OUTのメニューレシピについては、地域貢献のためにすべてオープンにして地元に残していた。ONESTORYの大類知樹総合プロデューサーは「内子町に対してより大きな価値を提供したい」と商品化の目的を語る。

 そもそも内子町がDINING OUTの場所に選ばれた理由は何だろうか。大類氏によると、これまでの開催地の中で最も人口が少ない町にもかかわらず、議会を通して予算が承認され、立候補してきた熱意だという。

 「こんな小さな町がDINING OUTを誘致するのは、財政的にも“命がけ”です。しかも町のメインストリートを封鎖してイベントを開くわけですから、地元の注目度もこれまでと格段に違うし、僕らからすれば責任は大きいです。そこまでして手を挙げてくれたことに対して応えたいと思いました」(大類氏)

 そこで地元にさまざまなノウハウがもっと残るように、今までとプロジェクトの進め方を変えた。DINING OUTは基本的にかかわるスタッフが地元の人たちで構成されるのが特徴である。今回はその上で新たにイベントの製作委員会を組織して、宿泊チーム、食材チーム、調理チームといった具合に7〜8個のグループを設けた。そしてそれぞれのリーダーが会議で集まり、情報を共有し、各グループがより責任を持って作業する形にしたのだ。

 これによって各自の役割が明確になり、機動的にプロジェクトを動かすことができるし、何よりもリーダーたちはDINING OUTで学んだことを内子町にどう還元していくのかをより主体的に考えるきっかけになった。

地方にクリエーションのきっかけを!

 シェフとしてかかわった高田氏はどのような感想を抱いたのだろうか。今回のDINING OUTで内子町に初めて訪れた高田氏の最初の印象は「田舎らしい田舎」。自らも奄美大島出身で、その原体験があるからだろう。

 内子町近辺はフルーツが豊富な一方で、そのほかの食材集めにはそれなりの苦労があったそうだ。しかし、実際の調理現場で高田氏に影響を受けて地元のスタッフがピンセットを使った盛り付け作業を行ったり、商品化する料理に対してさまざまな意見が出たりする様子を見て、高田氏は満足感を覚えたそうだ。

 「僕らはあくまでアドバイスをする役割にすぎません。これから先につなげていくのは地元の人たち。彼ら自身が主体性を持つことで責任感も生まれるし、具体的な目標もできます。もし自分たちで商品化したメニューが売れれば、これからの若い人たちの夢にもなります。そうしたことで内子町が活性化すれば嬉しいですね」と高田氏は話す。

 その言葉には地方に共通する問題があるからだという。高田氏は「うちの田舎(奄美大島)には若い人が少ないし、何かを創ろうともしていません。クリエーションは田舎を活性化するために重要。アイデアはいくらでも目の前にあるのに、それをおカネにする方法が分からないという地方は多いでしょう。そのやり方が分かれば、自分たちできっと創り出すようになるのです」と力を込める。

 別の視点からカー氏も地方課題について言及。今、地方に必要なのは新しい産業だという。これまでは工場誘致や企業誘致が積極的に行われていたが、そういう時代は終わった。そうした中で観光産業は多くの地方に可能性があるとする。

 ただし、大型バスで次々に人を連れてくるような、数だけを追いかけたやり方ではなく、少人数の観光客でもいいので長期滞在してもらう仕組みが重要だという。これは良い商売になるし、それにかかわる雇用も生まれる機会がある。

 実際、フランスのプロヴァンス地方や、イタリアのトスカーナ地方は、日本の地方に負けないくらい過疎であるにもかかわらず、観光というコンテンツをうまく使って経済基盤を強くしている。「内子町の景観はしっかり整備されていて、他の地方の町に比べて有利な立場にあることは間違いありません。いろいろとうまくやれば将来への道はきっと開けます」とカー氏は強調した。

(伏見学)

1916年に開業した「内子座」。途中、取り壊しの危機を乗り越え、今なお地元の人たちや観光客に歌舞伎などを上演している