電車で人とぶつかった。上司に嫌みを言われた。ローンの支払いが心配――。日常生活にはイライラや落ち込みの種が尽きない。そんなときに必要なのが、自分の心をコントロールする技術だ。修験道の総本山・金峯山寺で、1300年の歴史上2人目の千日回峰を達成した高僧、塩沼亮潤大阿闍梨(だいあじゃり)が語る、「心の針をプラスに引き戻す」方法とは――。

※本稿は塩沼亮潤『歩くだけで不調が消える 歩行禅のすすめ』(KADOKAWA)の項目【生きるうえでの「四苦八苦」を半分にする極意】【歩行禅とあわせて実践してほしい「小さな修行」】を再編集したものです。

■避けられる苦しみを、心のコントロールで避ける

人生には、必ず陰と陽の局面があります。私たちは、「いいこと」と「悪いこと」の波の狭間(はざま)で生きています。

一度目を閉じて、心のなかに針があると思ってください。その針はメトロノームのように、心の動きにしたがって振れています。イラッとしたり、ムッとしたりした瞬間、心の針はマイナスのほうに振れますが、イラッとしたり、ムッとしたりする時間が長く続くと、針はマイナスが定位置になってしまいます。

こうなってしまうと、ネガティブが常態化するわけです。この状態は心身の健康にもよくありませんし、時に心の針が勢い余って振り切れ、最悪の場合は犯罪などの事態に至ることもあります。

慣用句として用いられる「四苦八苦」という言葉は、もともとは仏教の用語で、人間が生きるうえで思いどおりにならないことを指します。

四苦とは「生・老・病・死」。人間としてこの世に生まれてくること、年老いていくこと、病に冒されること、そして死ぬことは、どうあがいても決して逃れることはできません。

さらに、人間であるがために味わう苦しみが四つあります。

・ほしいものが手に入らない「求不得苦(ぐふとくく)」
・愛する者と別れなければならない「愛別離苦(あいべつりく)」
・嫌な人と出会ってしまう「怨憎会苦(おんぞうえく)」
・世の中はままならないものだという「五蘊盛苦(ごうんじょうく)」

これらを合わせて「四苦八苦」と呼ぶのですが、後半の四つは、避けようがない前半の四つと違い、自分の心をうまくコントロールすることによって解決できます。コントロールとは、思いどおりにいかずイライラしたり、気持ちが滅入ったりした瞬間に、「心の針をマイナスからプラスのほうへ引き戻そう」とする意識と実践になります。

現代は忙しく、世の中はどんどん複雑になり、心の潤いを失いがちな時代です。1日のなかで、心の針がマイナスのほうに振れる瞬間はたくさんあるでしょう。

電車内で見知らぬ人と肩がぶつかった。上司に嫌みを言われた。人から失礼な対応をされた。仕事が嫌だ。お金が足りない。毎日がつまらない。なに一つ、自分の思うとおりにいかない……。

嫌なことがあまりに多いと、日常生活でも不安や心配事で頭がいっぱいになってしまいとてもつらいと思います。ではそんなとき、具体的にどう対処すればいいのでしょうか?

■「どうにかしよう」と思わないこと

不安や心配、不平不満といった心の動きは、自分の外側からもたらされることに対する反応です。外的環境は、自分ではコントロールすることができません。そんな人生の「どうにもならなさ」を、どうにかしようと思わないことが実は意外と重要です。自分の思いどおりにならないことに対して、どうにかしたいと思う心のとらわれを今すぐ手放しましょう。

そのためには、目の前の出来事に一喜一憂しないことが肝心。困った事態も、苦しい状況も「しょうがない」「気にしない」と、自然体でフラットに受け止めましょう。そう、心の針がマイナスに振れないようにするのです。そして、悩む時間を減らすことにフォーカスしてください。悩みは不安を増幅させます。

一番ダメなのは、怒りにまかせて誰かを責めたり、他人をねたんだりすること。これらは自分から不幸の海に飛び込むような危険行為。

不平不満にとらわれるのではなく、明るい要素や感謝すべきことに目を向ける努力をおこたらないことが、人生の幸せへの第1歩となります。

お釈迦(しゃか)様は、『法句経』という経典のなかで次のようにおっしゃっています。

「ものごとは心に導かれ、心に仕え、心によって作り出される。もし人が汚れた心で話し、行動するなら、その人には苦しみが付き従う。もし人が清らかな心で話し、行動するなら、その人には楽が付き従う。あたかも身体から離れることのない影のように」

このように、実は人生の「幸せ」や「不幸」というのはすべて自分の心の持ち方次第で決まるものなのです。

人間は、自分の心の向いた方向に人生のエネルギー、すなわち運気が運ばれます。その結果を私たちは「運がよい」とか、「運が悪い」とか呼んでいるだけなのです。

これが荒行を通して得た悟りの一つです。

■「将らず、迎えず、応じて、蔵めず」

私は19歳のときに吉野山に入り、20歳を迎えたときに、お師匠さんから1枚の色紙をいただきました。私のほかにもう1人、20歳の者がおり、「今日は君たちの成人式だから」と言って私たち2人にそれぞれ、別々の内容で色紙に言葉をしたためてくださったのです。

私の色紙には「将(おく)らず、迎えず、応じて、蔵(おさ)めず」という荘子の言葉が書いてあり、お師匠さんにその意味を説明していただきました。

「将らず」というのは、過ぎ去ったことにくよくよしない心。
「迎えず」というのは、これから来る未来のことを思い悩まない心。
「応じて」というのは、そのとき、そのときに精いっぱい、最善を尽くす心。
「蔵めず」というのは、恨みや憎しみの念をしまい置かない心。

色紙をいただいた20歳の当時は、「お師匠さんが、こんなにも思ってくれていたんだ」という感激とうれしさが先に立っていましたが、年を重ねるごとに、この言葉の意味が深くわかってきたような気がします。

日々継続したい「四つの心」

「将らず、迎えず、応じて、蔵めず」もまた、心の針をコントロールするためのカギとなる言葉です。

嫌なことはさっぱり忘れる。
取り越し苦労はしない。
置かれた状況を受け入れてベストを尽くす。

そして、結果がどうあっても、それをいつまでも心に残さない。

悩み多き人生を送っている人が、すぐにこのような境地に達するのは難しいかもしれませんが、それでもこの四つの心を日々継続していくことで、苦難を軽やかに乗り越え、幸せを引き寄せて不幸を遠ざける生き方が自然と身に付いていくはずです。

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塩沼亮潤(しおぬま・りょうじゅん)
大阿闍梨、慈眼寺住職
1968年仙台市生まれ。東北高校卒業後、吉野山金峯山寺で出家得度。91年大峯百日回峰行満行。99年吉野・金峯山寺1300年の歴史で2人目となる大峯千日回峰行満行。2000年四無行満行。06年八千枚大護摩供満行。『歩くだけで不調が消える歩行禅のすすめ』(KADOKAWA)、『人生の歩き方』(致知出版社)、『忘れて捨てて許す生き方』(春秋社)など著書多数。

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