◆遺棄された化学兵器の調査と対策は容易ではない

 全国には埋まったままの毒ガス弾や枯葉剤など、戦後72年が過ぎたというのにたくさんの化学兵器が全国に残り、情報が不確かなものも多いまま放置されている。

※参照:「戦時中の毒ガス弾が眠る危険な土地 いまだ1000発以上が行方不明」「ベトナム戦争後、行き場を失った“枯葉剤”が日本に埋められている――全国54か所の国有林リスト

 なぜこのような事態になっているのか? 『真相日本の枯葉剤』(五月書房)の著者で、旧日本軍の化学兵器に詳しい原田和明氏に聞いた。

「最大の理由は、そんなおっかないものには誰も関わりたくないからです。それと、冷戦期に原爆が事実上使えない兵器となり、アメリカは大量殺戮兵器として、新たな化学兵器の開発に乗り出していきました。それが『プロジェクト112』です。

 アメリカは沖縄にも秘密裡に化学兵器を大量に持ち込んでいましたし、本土にも持ち込んでいる可能性が高い。そのためアメリカは旧日本軍の化学兵器について追及してきませんでした。このことも大きな理由だと考えています。また、掘り出しても安全に処分する方法もなかったので、放置するしかなかったのが実情です。

 遺棄化学兵器についての『全面的な調査と抜本的な対策』があればよいのですが、漏れ出しているかもしれない毒ガスの調査と対策は1件100億円単位の事業になります。特殊な分野なので国民的議論にも馴染みません。作業員も命がけで、おいそれとは着手できないのです」

取材・文・撮影/宗 像充 足立力也 写真/原田和明 北宏一朗 神戸須磨子
― [ニッポンの化学兵器]が危ない ―

1937年に九州・大牟田で起きた「爆発赤痢事件」の慰霊碑。2万5000人を超える患者を出し、712人が数日のうちに死亡した事件の原因は、毒ガス工場からの漏洩だったのではとの説も