兵庫県豊岡市にある高齢者支援施設「たじま荘」で「まるこ」という一匹の白い犬が“セラピードッグ”として働きながら暮らしています。
 たとえば、入所以来一度も笑わないことで有名だった名物頑固おじいさんは、「いやし犬」とふれあうと次第に笑いを取り戻したといいます。犬が人をセラピーするとは、どういうことなのでしょうか(後編「犬捨て山で生まれた雑種『まるこ』がセラピードッグになるまで」も公開中です)。

山梨県の「犬捨て山」で生まれたまるこ

 あやうく殺処分されそうだった犬が救い出されて、特別養護老人ホームで人生の終幕を生きる人に楽しみと張り合いを与えている。兵庫県豊岡市にある高齢者支援施設「たじま荘」へ会いにいくと白い犬が迎えてくれた。

「いやし犬いうても、どっちが癒していて、どっちが癒されているのかわからへんわ~、なあ、まるこ」と職員さんが笑いながらなでている雑種の犬。白い耳は食パンのようだ。まつげまで白い。年は12歳。女の子。ここ「たじま荘」で“セラピードッグ”として働いて10年以上になる。

「この子におやつをあげるのが楽しみでなあ。なあ、まるこ。あんたは手をなめてくれるもんな。それがうれしいんやで」

 と利用者は語る。

 ときにはまるこがいるロビーに向かって車いすが渋滞するほどだ。生き甲斐を人に与える犬がここにいる。

 まるこの生まれは、山梨県の「犬捨て山」。捨て犬とその家族が400頭いた。救出されて、兵庫県伊丹市のNPO法人・日本レスキュー協会へ。

 そこで、訓練を受けて、セラピードッグとして兵庫県豊岡市のたじま荘に譲渡された。これが彼女の“人生”。人の手で殺されそうなところだったが、いまや人生の終幕あたりを楽しむ老人をいやす。

 なんとも数奇な運命である。

 犬がセラピーするとはどういうことか。

セラピードッグは、心の“段差”を一瞬で平坦にしてくれる

 たしかに犬が1匹いると人の集団がまろやかになる気はする。まるこを訓練した日本レスキュー協会のベテラン訓練士・安隨(あずい)尚之さんはいう。

「一般的に、人と人が向かい合うと、心に“段差”ができます。優越感と劣等感、上下関係、気位の高い人と低い人。押しの強い人と弱い人。われわれ人は段差があったままつきあうことが多いです」

 人のコミュニティでは、“段差”がストレスという“水流”を生み、そこかしこを濡らしていく。

「ところが、犬はこの段差にスッと入っていって、一瞬で段差を無力化して、平坦にしてしまうんです」

 犬のからだは段差にぴったりと収まり、もしゃもしゃの毛で悪意を吸い取ってくれるかのようだ。

まること出会って「あの人が……笑った」

 当時のたじま荘には、入所以来、一度も笑わないことで有名な名物頑固おじいさんがいたが、まること出会って、笑いを取り戻した。職員たちは「あの人が……笑った」と驚きを持って喜んだという。犬は笑わぬ殿様を笑わせるのだ。

 とくに老人ホームでは、犬が1匹いると、「むかし、私も飼っていたのよ、こんな犬でね……」と過去の記憶を辿る手がかりになることも意味が大きい。犬に触ることで指先のぬくもりや、命の鼓動を身近に感じることはもちろん、自分の自分らしさを取り戻す手助けにもなるのだ。

「犬の一番いいところは、人と一緒に気分が沈み込むことがないこと」

 安隨さんの話に戻すと、彼の仕事は災害救助犬(レスキュードッグ)といやし犬(セラピードッグ)の訓練と運用。先の熊本地震や九州北部豪雨のときも、事案発生後、レスキュードッグとともに現場入りし、その後、セラピードッグを現地派遣する。まずは人命捜索。次に生きている人の心のケア。この順番だ。セラピードッグは仮設住宅が建ち、集会所ができた4~5か月後に現地に向かう。

「犬の一番いいところは、人と一緒に気分が沈み込むことがないこと。人同士だと、一緒に落ち込んでいくケースがあるんですよね、慰め合っていても。ところが、犬は落ち込まないので、犬を見ると人が元気になることがあるのです。人同士ではむずかしいことが、犬だと簡単に起こるのだ、と思うことが何度もありました」

意欲・活動性、会話、集中力、覚醒度、焦燥感、睡眠障害などに改善が

 ドッグセラピーの効果がはじめて学術的に調べられたのは、1970年代中頃、アメリカのオハイオ州立病院。精神科の入院患者に犬によるセラピーを施したところ、社会性の改善が見られたことが端緒となり、「動物介在療法」は発展を始めた。

 まるこが訓練を受けた日本レスキュー協会では、2003年に甲子園大学大学院の内苑まどか教授(当時)らと共同で、痴呆性高齢者(アルツハイマー病罹患者)にドッグセラピーを施す行動観察実験をおこなっている。その結果、意欲・活動性、会話、集中力、覚醒度、焦燥感、睡眠障害などに改善が見られた。

 このことを裏付けに、アニマルセラピーの活動を進め、セラピードッグの育成と、特別養護老人ホームへの訪問活動や譲渡活動に力を入れている。これまで30頭ほど育成した、そのなかの一頭が、まるこだったというわけだ。

 まるこは「犬捨て山」生まれの拾われた犬。そんな犬に、セラピーの役目が務まるのか。どんな犬でも訓練によってセラピー犬になれるのか。そのあたりは、後編「犬捨て山で生まれた雑種『まるこ』がセラピードッグになるまで」でお届けしよう。

(輔老 心)

©前川政明