連続テレビ小説「わろてんか」(NHK 総合 月〜土 朝8時〜、BSプレミアム 月〜土 あさ7時30分〜)
第11週「われても末に」第65回 12月15日(金)放送より。 
脚本:吉田智子 演出:保坂慶太

65話はこんな話
てん(葵わかな)の熱意にほだされ、藤吉(松坂桃李)はようやく、団真(北村有起哉)を寄席に出すことを許可する。ただし、昼間の初っ端という条件つきで。

あかんがな!
視聴率は、63話、21.2%、64話、21.7%と好調(ビデオリサーチ調べ 関東地区)だ。
とはいえ、なんもかんも、あかんがな・・・熱意をもって見れば見るほど、そんな気分になる。

65話はこんな調子だった。
「われても末に会わんとぞ思う」と書き置きして消えた団真。
そんなヒントを残すものだから、「まさか、川に身投げ」とみんなが心配して、案の上、川で発見され連れ戻される。
夕(中村ゆり)には「うちへの当て付け」と怒られる始末。
いわゆる、ダメ男だから、命を絶つとか、このままどこか知らない街に行くとかできない。誰か俺を止めて〜 というメッセージを匂わせまくるわけだ。
そんな、あかんたれを、北村有起哉が演じるとなんだか憎めない。

あかんがな! だったのは、
「まさか、川に身投げ」とトキ(徳永えり)が言ったあと、ちょっと間があり、「あかんがな!」と藤吉が声をあげ、みんながあわあわする、コント調。
こういうのはあってもいいが、「わろてんか」は、ごくたまにこういうノリになるので、膝がカクっとなる。
シリアスなのか喜劇なのか、どうもノリが定まらない。シリアス好きな人、喜劇好きな人、どっちにも間口を広くしてあるのだろうけれど。

「24人のビリー・ミリガン」ではないが、人格が一定じゃない人に対しているときの不安感のようなものがドラマから漂ってくる。朝、起きると、キッチンに立ってご飯をつくっている妻が毎朝、別の人に見えて、おれは疲れているのか、みたいな不安感が。

夕の描き方もそうだ。
団真がいなくなったと聞き、すべてわたしのせい(駆け落ちを提案したのも自分)だと肩を落とすが、団真が戻ってきた途端、鬼の形相で怒りだす。
「根性見せて落語に精進しろ」というのは彼のためを思った怒りであることは、藤吉と芸人四銃士のエピソードからも重々わかっちゃいるが、それにしても、鈴木京香のガブ芸を、夕が継承しているのかと思う変わり身具合。
「あかんがな」が入った回なのだから、ここにも、ツッコみを入れさせたほうが、受け入れやすくなるのでは。

人間は、その場その場で、言動が変わるものだというのはわかっちゃいるが、どうにも、女心と秋の空的な移り気に振り回されている感じ。
作品を否定しているわけではないのだ。
ただ、もう少しだけわかりやすくガイドをしてくれないだろうか、とお願いしているだけなのだ。

ざくざくされんねん
気持ちの揺れを、圧倒的な説得力と安定感をもって表現しているのは、北村有起哉のみ。
夕を見て、「高そうな帯」と指摘したところには、自分ではそんな帯を持たせてやれないという悔しさが滲む。
どうやら、団吾のほうが天才的だと思っていて、苦しんできたらしい。

「この辺、ざくざくされんねん」と首の後ろをたたきながら「痛い・・・」と漏らすところは、問答無用に、心の痛みが伝わってきた。
「この辺、ざくざくされんねん」という台詞はなんかいい。

どんな状況もねじ伏せてしまう力をもった北村有起哉演じる団真に対して、ものすごい天才らしい団吾。
てんが、団吾と団真に競演してほしいと頼みに来ると、なんだか表情に変化が。じょじょに、好青年顔になってきている。
過去、ふたりが仲良かった回想シーンもあったので、きっと団吾は団真と高座に上がれることが嬉しいが、素直になれないのだろう。
波岡一喜も、心が揺れている人間の魅力を、見せられる俳優である。

66回は土曜日。兄弟弟子の感動の競演なるか! 
(木俣冬)