曽利文氏の監督した実写映画鋼の錬金術師」が開中だ。曽利監督の作品は「ピンポン」(2002年)、「APPLESEED」(2004年)、「TO」(2009年)など、漫画原作としたものが多い。曽利監督実写映画あしたのジョー」は2011年開だが、初の映像化は1970年。出統氏がチーフディレクターをつとめた全79話のテレビアニメで、1980年には再編集され、劇場アニメとして開された。
今回は、全153分の劇場版あしたのジョー」にスポットを当ててみよう。


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ジョー力石を分かつ、2枚の「い布」とは?


劇場版あしたのジョー」は、来坊だった矢吹丈(ジョー)が元ボクサーの丹下ボクシングの才を見込まれてコーチを受け、少年院で出会ったライバル力石徹とリングの上で決着をつけるまでを描いている。試合直後に力石死亡し、ジョーが衝撃を受けるところで終わっているのがテレビ版との違いだ。

では、まず力石の死をジョーが知るシーンを見てみよう。お互いの死つくした試合は力石の勝利に終わり、敗者のジョーは「さすが力石だ」と握手をめる。力石笑顔で手を差し出すが、そのままリングに倒れてしまう。
ジョーが控え室で休んでいると、新聞記者たちが力石の死を知らせにくる。信じられないといった面持ちで、力石の控え室を訪ねるジョー。彼が室内を歩くと、手前にい布が見えている。ジョーの手が、い布を持ち上げる。続くカットは、力石の穏やかな死に顔である。い布は、力石の顔にかけられていた打ち覆い――死に顔を隠す布だったのだ。い打ち覆いを手にしたジョーからカメラPAN-DOWNして、再び力石の死に顔をとらえる。絶叫するジョーアップで、映画は終了する。
ボクシングは、トランクス、シューズ、グローブ以外、いっさい身にまとわずに裸で殴りあうスポーツだ。身につける布といえば、タオルガウンぐらいだろう。ボクサーたちが試合と関係ない布を身につけるとき、その布は特別な意味をまとうのではないだろうか。

ジョー力石の別れは、実は2度である。
1度の別れは、少年院から力石だけが先に出所して、ジョーが取り残されるシーン力石スーツで正装し、少年院の仲間たちの前で別れの挨拶をする。ところが、力石との院内試合をキャンセルされてしまったジョーは、その場で勝負をつけようと上着を脱ぐ。上半身裸のまま、力石パンチを浴びせるジョー力石は、ジョーパンチをすべて避け、「あばよ」とジョーの裸の背中いて、少年院から去っていく。
まだアマチュアとはいえ、ボクサーらしく上半身をあらわにしてファイト満々のジョー、立スーツに身を包んだ力石。彼のスーツは、いわば社会と接点を結ぶユニフォームであり、少年院に残ったジョーを拒絶する。ジョー力石は、ここでも「布」を介して別離を味わっているのだ。


ジョーの身にかけられたオーバー、すべり落ちたコート


裸が“オン”の状態であるボクサーにとって、布を身にまとうことは“オフ”を意味する。だが、劇場版あしたのジョー」前半では、布はもう少し多様な意味を持っているかに見える。

映画冒頭、元ボクサーの丹下ジョーに邪険に扱われながらも、彼をボクシングにいざなう。その来坊のジョーはドヤのはずれで野宿するが、ふとをさますと、段オーバーが身体にかけられている。いっぽうの段オーバージョーに貸してしまったので、焚き火にあたって寒そうにしている。「ボクサーにとっちゃあ、身体は元手よ。この寒で、万一のことがあっちゃあ……」と、段はつぶやく。ジョーが立ボクサーになると見込んで、彼の身体を気づかっているのだ。
ジョーオーバーを返すために、段の前に現れる。だが、ジョーはその場に現れたヤクザたちと乱闘を起こして警察署に収監される。さらに警官たちを叩きのめして、ジョー廃墟にたてこもる。ジョーを慕う子供たちも一緒だ。

は手のつけられないジョー警察に渡すため、廃墟に乗りこむ。段の強さを知っているジョーは、いつも着ているコートを脱いで構える。このとき、映画冒頭でジョーに助けられたサチという少女が、ジョーのコートを受けとる芝居を覚えておこう。
本気を出した団に、ジョーは徹底的にのされてしまう。段ボロボロになったジョーを両腕で抱えて、廃墟から出てくる。外では、が舞っている。段に抱えられたジョーに、サチはコートをやさしくかけて「おっちゃん刑務所って……刑務所って、寒いんだろうね」と寂しそうに言う。
ジョーは段の手によって救急車に乗せられるが、サチのかけたコートはスルリジョーの身体から落ちて、の上に落ちる。段の足元にコートを残したまま、救急車を走っていく。

が眠っているジョーにかけてやったオーバーは、段ジョーとの再会をうながした。サチジョーから受け取り、ジョーに戻したコートは、彼女ジョーへの信頼のだ。のうえに残されたコートは、せっかく見込んだジョーを殴って黙らせるしかなかった段念を表現しているようにも見える。
いわば、映画前半での「布をかける」「布が落ちる」は、ジョーと周囲の人々との情緒的なつながりを強調するために使われている、と言えなくはないだろうか。だが、力石の着るスーツ、顔にかけられた打ち覆いは、ジョーとのつながりを冷淡に断ち切る。ジョー力石の置かれた環境の残酷な相違を、「身にまとった布」「身にかけてもらった布」が意外と雄弁にっているのではないだろうか。


(文/廣田恵介)


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【懐かしアニメ回顧録第37回】ボクサーたちの身体を包むコートやスーツ……、さまざまな「布」が「あしたのジョー」の人間関係を浮き彫りにする!