様々な医療ミスが報道され、医者が患者に訴えられることも珍しくない昨今ーー。不信感を募らせた患者たちは「いい病院」「腕のいい医者」を求めて右往左往する。

「患者さんと医者の間の溝はどんどん深まっているように感じる」と語る形成外科医で医学博士の北條元治氏は、著書『病気を引き寄せる患者には理由がある。』で、その溝を埋めるための方法を医師の立場から本音で綴る。

「評価の良い医療機関や医師が必ずしも誰もに合うとは限らない」という北條氏が明かす、あふれる情報を見分け、上手に病院を使うコツとは? 果たして医者と患者の間の溝は本当に埋まるのか?

そこで、自らが原因不明の病で医療選択に翻弄された経験を持つ『迷走患者 <正しい治し方>はどこにある』著者の岩瀬幸代氏が、北條氏を直撃! 医師と患者、それぞれの立場から本音がぶつかり合う―。

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岩瀬 患者さんと接する中で感じたことがあって、この本を書いたのではないかと思いますが、執筆のきっかけは?

北條 何事もバランス感覚が大事だと思っているのですが、今、医療の現場でもバランスが崩れていると感じていて。

岩瀬 患者と医者のバランス…ですか?

北條 患者と医者というより、全体の風潮でしょうかね。少し大きな話になりますが、例えば日本に住んでいると、イスラム教というだけで嫌悪感が占めるけれど、実際にイランに行くといろんな考えの人がいる。右翼とか、韓国をバッシングする人にしても、急先鋒的に極端な見方をしちゃうのは不幸だと思います。医療で言うなら群大のような事件(*)が起きると医療全体に敵対心を持ってしまう。これって一番割を食うのは患者さんなのかなと。

*群馬大学医学部附属病院で、2010年から2014年に腹腔鏡による肝臓手術を受けた患者のうち、少なくとも8人が死亡した事故





















岩瀬
 つまり、表面的に物事を捉えてしまうということですか?

北條 表面的というより、人間の対立軸ってありますよね、敵と味方とか、すべてをそういう構造の中に落とし込んでしまって、最終的には自分の首さえ締めてしまうような。

医療を、悪意を持ってやっている人は皆無。だけど、悪意を持っていると思ってしまう人がいる。韓国の問題にしても、民族間の対立って実際に触れあう場面では悪意を持っている人ってそんないないはずで。日本人っていうのが今も慰安婦を認めようとしない国民だというところですべてを語ってしまうような、そんな風潮ってよくないと思いますよね。センセーショナルに言うほうが理解しやすいというのもあるでしょうけど、それが実情かというと全然そうじゃない。

岩瀬 もちろんそうですよね。なんでもパターン化して考えちゃう。ひとりがこうだと全員がそうだとまとめてひとくくりにするとか。

北條 ある程度の許容というか、自由度を持った思考になっていないというのがありますね。その点で私が本に書いたのは、医者に病気を治してもらおうという考えはもうやめて、医者を利用するっていう考えにしてみたらもっと楽になるんじゃないのって、そういう思考なんですよ。病気を治してもらうために病院に行くのではなくて、自分が病気を治すために病院を使うという風に考えたほうがいい。“命を預ける”という考えもちょっとおかしいかなと。

岩瀬 そういう時代じゃないっていうのは私も思います。昔はお医者様がいて、すべてをお任せして治していただく感覚だったと思うんですけど、今は違う。でも正直言って、患者はまだそこまで育っていないという現実があって。

北條 そうですよね。いつまでたっても育たないとは思うんですけど、話して認識してもらい、自分の主体性を持つことによっていい生き方をしてくださいって思いますよね。医療だけでなく、会社をやっていても思うんですけど、あの人がイヤだから会社をやめようとか、あの人がこう言うから私はこうだと言う人がいるんですけど、それって自分の人生を生きていないよねって思うんです。

岩瀬 仰る通り。

北條 医者がどう言おうと、自分の人生を生きてくださいと。で、そこには不可逆的なこともあるだろうし、不可抗力的なダメージもあるだろうけど、でもそれは自分の決定した病院だし医者だし、自分の人生って思えば、それはそれでいいじゃないかと思うんですよね。医者だから言うわけではなく、そういう客観的な感覚で病院にかかっていたほうがいいと思うんです。

世の中には、いい医者探しの本がたくさん出ていますけど、そもそもそんなものは存在しなくて、あと100年後でもたぶん群大みたいな事件は起こりますよ。新しい手術をやるとか、そういう危険性というのは日本や先進国の中ではハイレベルに醸成されてきている気がします。それをもっと完璧にというのはなかなか難しい。

にも関わらず、完璧なものを目指すのは、誰かになんとかしてほしい、自分に主体性がなくても安全な道があるようにしてと言ってる社会のような気がして仕方がないんですよ。自分が病気にかかる時に絶対に安全にって、そんなのは絶対できるはずがないんですけど、それをみんな欲している。そんなものはそもそも無理だっていうのがやっぱりありますよね。

岩瀬 でも、そこには日本人が元々持っている気質みたいなものがすごく影響していると思います。医療に限らず、他力本願的なところがある。

北條 まさしく他力本願。自分の人生を生きていないというか。

岩瀬 医療ってまさしく人生選びだと思うんだけれども、今までがおまかせ医療だったから、そこから意識が脱却できていないんだと思うんです。例えば、インフォームドコンセントが随分前から出て、医療者側では患者側に決定権を持たせてくれていると思うんですけど、患者側はそういう意識を持って当たっていない人が、たぶんほとんどです。単純に説明を受け、はいわかりましたと了承するだけ、と捉えている方が多いと思うので。もっと、私たちが決めなくちゃいけない時代なんだよっていうのを本当は意識しないといけない。

北條 そうなんですよね。ただ、医療の特殊性っていうのは、自分が決めたことでも自分が正しいというわけではないんですよ。例えば、医者がこの症例は腹腔鏡より開腹のほうがいいと科学的に判断したとしても、患者はインターネットで見て「腹腔鏡をやってください」と言ってきたり。薬を飲む時も、こっちのほうが効くっていう客観的な事実があってもそれを受け入れられないとか、必ずしも自分で決めることはできないのが非常に複雑化させているのかもしれないですね。

岩瀬 そうですね、素人ですから。























北條 例えば、自己判断で薬をやめちゃう人がいるんですよ。それって面倒くさいからではなくて、薬は毒だから飲まないほうがいいって判断しちゃう。でも高血圧の薬を止めて、脳の血管が破裂して死んじゃうことがあるから、それはもう首根っこ捕まえて、ビンタ張ってでも薬を飲ませるべきなんですよ。ただ、それをやることも今、できなくなっているので。

岩瀬 それもいろんな記事や報道で、この薬はいけないとか情報が氾濫している影響は大きいですよね。

北條 中には「このがんは放置しておけ」なんて言うのもあるし。医者自身が発信していますからね。そんな中でやっぱり、すべてを自己責任でやったほうが楽にはなると思いますけどね、医者も患者も。

岩瀬 でもさっき言ったように所詮は素人なんで、自己責任と言っても、ここだけは飲むべきでしょみたいなのは本当に言ってほしいですよね。だから結論めいたことになっちゃうんですけど、医者と患者が信頼して話し合い、一緒に進むっていうのが一番理想的な形だとは思うんですけど。

北條 人間って群れで生きてますから、自由っていうのは生物学的に向かないのかもしれないですよね。誰かに従うほうが向いているのかもしれません。

岩瀬 特に日本人は。たぶん、これがまたアメリカ人なら違ってくると思うし、やはり皆保険制度が長い間あったので、誰かがなんとかしてくれるだろう的な意識もあるし。

北條 そうですね。誰かがなんとかしてくれる、それで何かあると、どうしてくれるんだってことになるんですけど(苦笑)。ところで、昔のお医者さん、いわゆる昭和30~40年代頃の医療過誤っていうのは、私見ですけど、今とあんまり変わらないような気がするんです。どう思います?

岩瀬 昔は全く隠れていたので、患者はそこはあまり考えなかったと思います。

北條 だから医療過誤はないんだろうって妄想があって、それで誰も訴えなかったし、誰も表沙汰にしなかった。それはそれで病気のせいだって思って亡くなっていったのが、今はいろんな情報があるので、医療ミスかもしれないと感じる。

岩瀬 昔は医療に関する情報は一般の我々には降りてこなかったから、本当にお任せするしかなかった。

北條 当然、技術の拙劣な医者とかいますから、そういうところで医療事故が起こったり、頻度としては今も昔も変わっていないんじゃないかなっていう気がしますね。それが今は、表になってきているんでしょうね。

岩瀬 表に出るようになったからこそ医療不信が起きるわけで。昔は知らないだけで、信じるしかなかった。

北條 どっちが幸せなんでしょうかね。「落ちない飛行機を教えてください」と言っているようなものだから、乗ってみないとわかんないよって思いますけどね(苦笑)。

岩瀬 だから正直言って、そういう意味でも昔は楽だったんですよね。医者に任せておけばいいってだけで。今はこっちが考えなくちゃいけないみたいな辛さもあって。

北條 自由と引き換えなんでしょうね。自由を得るためには、何かを犠牲にしなければいけない。昔の医療は任せられるけれど自由がなかった。

岩瀬 でも医療技術は格段に進歩しているのに、医療不信は増えていますよね。患者側からすれば、医師とうまく話し合うことができないというのは不信を招く大きな要素になっている気がします。

北條 ヒポクラテスの教えが医学教育の根幹みたいなところがあって、良きにつけ悪しきにつけ、パターナリズム(父権主義)の考え方がすごく強いんです。

岩瀬 あー、今もいますね、パターナリズムを感じさせる先生。

北條 パターナリズムって、ある程度のところで発揮しないとだめで、例えばアトピーで祈祷師に頼む信者みたいなのは、昔なら、ぶん殴ってでも患者を引き離していたんでしょうけど、今はそれが「ご自由に」みたいなことになってますよね。

岩瀬 でも、そういうのって医者の目の届かないところでやっているでしょうから。

北條 でも例えばですね、皮膚科とか外科をやっていた時に患者さんから漢方とかをやりたいと言われて、それに対してこちらのほうが効くからと説明したり、あまり強く反対すると、いなくなっちゃうこともありましたからね。

岩瀬 漢方をやりたい?

北條 漢方とか民間療法をやりたいっていう。医者のほうも、絶対にこっちのほうがいいよとは言えないんだけれど、そういう場面でガンッと言わなくちゃいけないことはあるんですよ。西洋医療が絶対正しいとは言わないですが、西洋医学という土俵の中にいますから、その中で最善のことは言いますよね。ただ患者としては、医学の土俵というものの存在が把握できていないし、わからないんですよ。西洋医学の土俵というのがどういう構造になっているのかというのをわかっていない。

岩瀬 むしろそういう患者は、西洋医療を越えた民間医療も含めての医学という土俵で考えている気がします。

北條 でも現代の西洋医学では間違いなく、民間医療を医療と考えている医者は少ないですから。

岩瀬 それはもちろん、科学的に実証されているものじゃなければという考え方ですよね。

北條 基本的に医学っていうのはサイエンス、科学ですから。記述性と再現性がないもの以外、科学とは言いません。記述通りにやれば誰でも再現できる…それがサイエンスの絶対的な基本です。

岩瀬 そうですよね。皆さん、そういう教育を受けて医師になっていらっしゃると思うので、なかなか民間療法を許容するのは難しいことだとすごく思うんです。ただ受ける患者にとっては、これも情報のせいだとは思うんだけど、西洋医療だけじゃやっぱり全部は治らないんだってことや、こんなにリスクもあるんだということを知ってしまったので。他の選択肢もあるんじゃ?ってなった時に、西洋医療以外のものも同じ土俵の上で比べちゃいますよね。

北條 西洋医療っていうより、サイエンスという考えなんです。だから、漢方も民間療法もサイエンスにすればいいんですよね、記述性と再現性があるものにすれば。

★この続き、後編は明日配信予定!










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●北條元治(ほうじょう・もとはる)










医学博士、東海大学医学部外科学形成外科学非常勤講師、RDクリニック顧問、株式会社セルバンク代表取締役。著書に『医者が自分の家族だけにすすめること』(祥伝社)『保湿とUVケアだけが美肌を作る』(青志社)『びっくりするほどiPS細胞がわかる本』(ソフトバンク クリエイティブ)など多数

岩瀬幸代(いわせ・さちよ)










スリランカの伝統医療、アーユルヴェーダを取材し続けるライター。関連書5作を出版。『迷走患者――<正しい治し方>はどこにある』(春秋社)は、本人が難病にかかり、西洋医療と代替医療のはざまで悩みつつ理想の医療を見出していく、笑って泣ける社会派ノンフィクション

(構成・文/岩瀬幸代)

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