1989年1月8日に始まった平成の時代は、2018年で30年目を迎えます。

この30年で私たちの身の回りではいったい何が変わり、何が変わっていないのか。「平成30年目の目!」と題して、各分野のプロに振り返ってもらいます。

【第2回:茶髪→モテ→ゆるふわ→バブル再来!資生堂に聞く平成30年の“化粧”の歴史

第1回は「携帯電話」の発達に目を向け、「au」(KDDI)で携帯電話の企画・デザインに長く携わる砂原哲さんに、平成とともに花開いた“ケータイ”の文化を振り返ってもらいました。

KDDIで携帯電話の開発を手掛ける砂原哲さん

「INFOBAR」と砂原哲さん

【すなはら・さとし】1970年、埼玉県出身。2000年にKDDI入社。2001年に「au Design project」を立ち上げ、「INFOBAR」等の開発に携わる。画期的なデザインの端末は4機種がニューヨーク近代美術館(MoMA)の永久収蔵品となった。

“ケータイ文化”の始まりは女子高生

砂原さんが現代の“ケータイ文化”の始まりと語るのは、意外にも「ポケットベル」(ポケベル)です。

ポケベル自体は1960年代からありましたが、利用者は外回りの営業マンや医療関係者が中心でした。1990年ごろから若者の間で流行り始めると、1994年4月に端末買取制度で低価格化が進み爆発的に普及。1996年にはポケベル加入者数はピークに達します。

おじさんたちのビジネスツールだったポケベルを、女子高生たちが同世代の友人同士の連絡に使うようになって、それからどんどん変わっていきました。コミュニケーションが、音声から文字に切り替わり始めた瞬間です。

なお、この頃の携帯電話はまだまだ仕事用の道具でした。

ビジネス利用が主だった、通話機能のみの初期の携帯電話

ビジネス利用が主だった初期の携帯電話。デザインもどこか無骨だ

軽量化競争からデザイン重視、多機能化

ポケベルの流行とPHSの普及を経て、90年代終盤から2000年代前半にかけて、いよいよ“ケータイ”が若者の生活に定着し始めます。メーカー各社も、若者を意識した新機種の開発にしのぎを削りました。

90年代は軽量化競争でした。同時にバータイプだった端末が、大画面化の流れで二つ折りタイプに変わっていって。デザイン面でも、利用者の主役が女子高生になってメーカーがキュートな「カワイイ」デザインを目指すようになりました。

一方で、トレンドに敏感な人たちが「デザインがいいケータイがないよね」と「かっこいい」を求めるようになりました。街にもセレクトショップが増えてきた頃です。「au Design project」(2001年)はそういうニーズに応えようと始まりました。

90年代後半のバータイプの端末。「カワイイ」デザインが目立つ

2000年には、携帯電話の加入者数が固定電話を上回ります。日本の携帯電話は世界初のカメラ機能、おサイフケータイ、ワンセグなど海外メーカーの追随を許さないほどの多機能化を実現します。

出典元:テレコミュニケーション虎の巻2017(KDDI刊)

出典元:テレコミュニケーション虎の巻2017(KDDI刊)

節目は2007年

日本でのちに「ガラケー」(ガラパゴス化したケータイ)と称される機能満載の携帯電話が広がる一方、アメリカでは1990年代中頃から現在のスマートフォンの源流となる、電子手帳のような小型パソコン「PDA(パーソナル・データ・アシスタント)が発達していました。

通話機能が付いた「スマートフォン」も誕生。一部の日本企業も国産機を開発・販売していましたが、ガラケーで事足りる中で普及には至りませんでした。

多機能化が進んだ2000年代前半のケータイ

潮目が変わったのは、2007(平成19)年1月に米アップル社の「iPhone」の発表です。直感的に動かせる文字通り「スマート」な機械が世界中を魅了します。

“ケータイ”の大きな節目は2007年です。それまではPDAとガラパゴスケータイが併存していました。ちょうどau Design projectのケータイ「INFOBAR」はじめ4機種がニューヨーク近代美術館に収蔵された2007年1月にiPhoneが米国で発表されていました。

偶然ですが、振り返ると印象深いですね。

時代は一気にSNSへ

2008年にはTwitter、Facebookが日本語版サービスを開始し、iPhone端末が国内で発売。コミュニケーションの中心はメールからSNSへと移っていきます。2009年にはAndroid端末が発売され、2010年にはInstagramやUstreamがサービスを始めます。

コミュニケーションが音声から文字になって、さらに映像と画像でも手軽にできるようになりました。

誰でも街を歩きながら生中継ができる。インターネットが登場した1994~95年あたりと同じくらいの盛り上がりを感じました。

スマホの盛り上がりを振り返る砂原哲さん

スマホの盛り上がりを振り返る砂原哲さん

砂原さんがSNSの力を実感したのは2010年、イタリアを訪問していた際にアイスランドで火山が噴火し空港が閉鎖。砂原さんはTwitterを駆使して飛行機の運航状況や現地の情勢などを探ったといいます。

2011年3月の東日本大震災時には音声通話に通信規制が掛かり、マスコミ報道も混乱する中で、多くの人が砂原さんのようにSNSを頼りにしました。SNSが個人間のコミュニケーションツールから、新しい情報を得る方法として広く社会に浸透するきっかけとなりました。

ある面では退化したかも?

デザイン性も機能性も進化を続けてきた携帯電話ですが、この30年で砂原さんが「むしろ退化ですよね」と考える一面があります。

バッテリーは、相変わらずリチウムイオン電池が主流です。ここ30年間は革新的なイノベーションが起きていません。

もちろん充電できる容量は格段に増えました。でも、ガラケーの時代は1回充電したら1週間くらい持ったけど、スマホは毎日充電して1日持つか持たないか。さらに外付けバッテリーまで持ち歩くのが当たり前になっちゃった。そういう点では、むしろ退化ですよね。未だに、デザインではバッテリーの大きさを考慮しなければなりません。

2008年に本体にソーラー発電機能が付いた端末が出ましたが、あれは消費電力が少ないガラケーだからこそできた機能。スマホの外付けのソーラーパネルは、かなり大きい必要がありますね(笑)

1980年代のショルダーフォン。バッテリーの大きさは格段に小さくなったが…。

1980年代のショルダーフォン(写真左奥)。バッテリーの大きさは格段に小さくなったが…。

さらに30年後は「テレパシー」に?

30年で劇的に変化したケータイ。さらに30年後には、どのような形になるのでしょうか。

そうですね~、どうなるんでしょうね~?(笑)私が小学生の頃に想像した未来は、程度の差こそあれ、ここ30年でほぼ実現したと思いますよ。

とりあえず、IoT(モノとインターネット)やVR、AIなどは正常に進化していくと思います。あと、身体にデバイスを付ける「ウェアラブル端末」のブームは昔から繰り返し起こっています。

GoogleHomeのようなスマートスピーカーが流行っていますが、30年後には音声を発しなくても、頭の中に思い浮かべるだけでコントロールできるようになっているかもしれませんね。脳波を読み取る基礎研究が進んでいるので、頭にICチップを埋め込んで「テレパシー」みたいにメッセージを伝えることも実用化レベルに至っているかもしれません。

よく言われますが、人間がイメージできる範囲のことはだいたい実現できます。ただマーケットに受け入れられるかは、また別かなと。身体的な負荷が小さくないから。個人的には埋め込まれるのはイヤなんです、コンタクトレンズすら怖い人間なので(笑)

歴代の機種と並ぶ砂原さん

「人間がイメージできる範囲のことはだいたい実現します」と歴代の機種を前に話す砂原哲さん

逆にこの30年でずっと変わっていないことは?

うーん……何だろうなあ……もともと携帯電話が普及したのって「大切な人とつながりたい、つながっていたい」という気持ちがあると思うんです。そうしたコミュニケーションに対する欲求は、この30年変わっていないことですよね。

SNSで何百人、何千人と友達になれても、本当に大切な人って数人じゃないですか。そういう人とつながっていたいという気持ちは、30年後も変わっていないんじゃないでしょうか。

ケータイの発達で世の中は様変わりし、これからも変化を続けるでしょう。しかし、“ケータイ”を持ち始める理由は、案外ずっと変わらないのかもしれません。

Heisei30

第2回は「女性の化粧」に目を向け、資生堂のトップヘアメイクアップアーティストである鈴木節子さんに平成30年を振り返ってもらいます。あす1月3日朝に掲載です。

平成30年で“ケータイ”が退化した面とは?auの砂原哲さんに聞く携帯電話史