表参道のモントークカフェでさっきから女ともだちのひろみとだらだらしゃべっている。終電まで、あと20分くらいしかない。駅員に急かされながらちょっと遅れてきたぎゅうぎゅうの千代田線に飛び乗ることも一応、考える。恋愛の話や、犯罪の話とかをしながら、ちらちらとまわりを見る。ここは私たちの東京定点観測地点。今日異常なく、しゃれた店員が、オシャレしてきた女子会女の子たちやカップルコーヒーケーキを運び続けている。

私は都会のどまんなかで生まれた。文房具を買いにいくといえば銀座ITOYAだったし、友達と待ち合わせてラフォーレ原宿の地下一階の雑貨屋に変な形のペンケースヘアゴムを買いに行ったりして小学生時代を過ごした。中学生になったら少しませて竹下通りで売ってる手でへんてこなを買ってプリクラを撮ったし、高校生になれば当たり前に美大受験用の予備校に行った。それを、イージーモードと言われればそうですかとしか言いようがない。でも、親の機嫌を損ねないように20時くらいには帰宅して、ロックバンドが大好きなことや学校以外の友達ができたことを隠さなければならない毎日は息ができない沼の中にいるようだった。寝る時間が決まっていることやごちゃごちゃしたベッドカバーの色、テレビがずっとついていること、そういう思い通りにならないことの中で、いつかにいる大人みたいに自由奔放にを歩いて笑うことを夢見ていた。それが私の東京だ。東京に住んでいても手に入らない、蜃気楼みたいなトーキョー。

その頃の東京にいる大人って、なんだか自由でいることを身体中で体現してて素敵だった。カジュアルな古着やパンクファッションを咲かせた個性全盛期なリップでくしゃっとした笑顔を存分に披露する雑誌のストリートスナップに登場する大人を眺めてはため息をついた。邪気な子供みたいに自由奔放でいることがにいる大人の美徳であることに心底しびれたんだ。

「なんか今日タクシーで帰るのでいいや」
満を持してそう言った私にほんとう!とそれまで深く掛けていたソファから身を起こしてひろみが嬉しそうにを上げた。
「いいんですか。じゃぁ私もう一杯飲んじゃお」とすかさずコーヒーを頼む。

最寄りの表参道駅明治神宮前駅から出ている全ての終電時刻はだいたい24時半すぎ。24時15分を過ぎたあたりからモントークカフェからはどんどん女子会にキリをつけた人たちが引いていく。代わりにヒゲをはやした男性と丸いメガネ女性、といった貌のどこかの出版社かアパレルに勤めているんだろうと思われる人たちが少しずつ集まってくる。東京の人たちだ。

私たちは、このから帰らなくていいんだ。
そう思いながら飲むもう一杯のコーヒーはなんてやかな味がするんだろう。想な店員が置いていった色い角砂糖ゆっくりコーヒーの表面に近づけて、じわっとコーヒーが含まれていくのを見たりする、時間が限にあるみたいな贅沢さ。機質な仕事の合間に生まれたエアポケットみたいな終電過ぎのモントークカフェが好きなんだ。さっきからこいつら何時間いるんだよって思われてるだろうけど、そんなのはどうでもいいんだよ


が荒れるほどコーヒーを飲みまくって、いよいよ帰宅する午前2時。タクシーなんてどこから拾ってもいいのに、ちょっと歩きたくなるもいない表参道の交差点。何時に帰ってもいいし、これから手をあげて拾うタクシーに払うお金も自分のお財布から出せる。帰って飛び込むベッド真っ白シーツも全部自分で買ったもの。

働くことは楽じゃない。
フリーランスなら明日お金が入ってくるかどうかもわからないし、会社勤めならピカピカのオフィスにいくのはハゲそうなほどめんどくさい。だけど、終電逃したあと最初に頼むコーヒー、このタクシーをとめて行き先を告げるその間、いくらかかりますかなんて聞かないでバックシートをとじるその間、タバコ臭くなったのまま倒れこむ思い通りの色のシーツ、バカ高いこのハイヒール、その全部を自分の労働でまかなってること。

大切にしているいろんなものをぽろぽろこぼしながら働いて稼いできた一万円札を、バカ高いコーヒー代にヒリヒリしながら気前よく出すのが東京なんだ。

そりゃぁもう不安だから笑うしかない。いつもより手に、いつもより自由そうに。深夜2時の表参道の交差点。あのとき憧れた東京にいる大人笑顔を、きっと今、私たちはしているんだ。

(半蔵もん子)

不安の中で自由に笑う表参道の交差点 #東京と働く。