橋下徹氏がジャーナリストの岩上安身氏を名誉棄損で訴えたことに対し、「言論封殺目的で強者が弱者を訴えるSLAPP訴訟ではないか!?」と批判する声が上がっている。橋下氏はこれにどう応えるか。プレジデント社の公式メールマガジン「橋下徹の『問題解決の授業』」(2月13日配信)より、抜粋記事をお届けします――。

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■名誉棄損を避ける「プロのノウハウ」

僕が岩上安身氏を訴えたことに対して、「SLAPP訴訟だ!」と批判する人がいる。SLAPP訴訟とは、たとえば名誉棄損で訴えられた者が、その訴えは不当訴訟だ、と反論するときに用いる最近流行の概念である。

しかし近代国家では、訴えることは自由だ。最後は裁判所で決着を付ける。SLAPP訴訟とういうものは、「表現者の表現を封じる目的で、恫喝的に行う訴訟」とも定義されている。そのように定義するのは自由だが、だからといって訴える権利が制限されるものではない。

表現をする者は、常に訴えられる覚悟で表現をしなければならない。プロのジャーナリストであるなら、訴えられても絶対に負けはしないというプロの仕事としての表現をしなければならない。

事実の指摘なのか、見解・意見の表明なのか。事実の指摘なら、それは真実か。そして、仮に真実でなかった場合に備えて、しっかりと調査・確認をしたか。見解・意見の表明なら人格攻撃・差別表現にあたらないか。「あほ・バカ」というギリギリの表現で攻めるなら、そこは大丈夫か?

表現をする場合には、このチェックが必要不可欠である。

そのチェックをした上で、表現内容が真実でないことが判明し、しかも十分な調査・確認をした自覚がない場合や、人格攻撃・差別表現にあたると感じた場合には、意地にならず、すぐに謝罪をして訂正をする。これが名誉棄損を避けるプロのノウハウである。

訴えられれば、弁護士を雇ったり裁判の準備をしたりと、お金と手間暇がかかる。しかしそれは近代国家が採用した裁判制度につきものの負担である。この負担が嫌だからといって裁判制度をなくしてしまえば、それこそ力の強いものが力任せに相手を屈服させる私的制裁が横行する。裁判制度を採用する以上、訴える方も、訴えられる方も一定の負担を被らなければならない。

もちろん、訴え自体がおかしい不当訴訟というものは存在する。裁判例によれば、およそ法的な権利関係が全く存在しない、すなわち損害賠償請求権が全く成立しないにもかかわらず、損害賠償請求訴訟を起こした場合には、不当訴訟となる。しかし、不当訴訟かどうかは裁判をやってみて最後に判定されることだし、それは超例外的なことなんだよね。

■「一個人」からさんざん攻撃されてきた僕の見解

裁判の当事者からすれば、訴える者はいつも勝つつもりでやっている。他方訴えられて、それはSLAPP訴訟だと叫ぶ者は、そんな損害賠償請求の訴えは成り立たず、勝つ見込みのない不当訴訟だと主張する。でも、勝つか負けるかは結局裁判をやって判決が出てからでないと分からないことなんだよね。

だから別件で松井一郎大阪府知事が米山隆一新潟県知事を訴えている件があるんだけど、米山氏は「松井さんは勝つ見込みもなく敗訴覚悟で訴えている。それはSLAPP訴訟で不当だ」というようなことを言っている。しかし松井さんは勝つつもりでやっている。判決が出る前に、この裁判の勝ち負けを勝手に判断している米山氏はいつから裁判官になったのか。勝ち負けを決めるのは米山氏ではない。裁判官が勝ち負けを決めるのだから、米山氏の主張はちゃんちゃらおかしい。

ところが残念なことに、力の強い者が一個人の表現を訴えることは言論封殺そのもので民主主義の破壊行為だ! 表現の自由を委縮させるSLAPP訴訟だ! という主張が昨今頻繁にされるようになってきた。

しかし、力が強いか弱いかの目安はあいまいなもので、個人でも影響力の強い者がいる。それにもし一個人だったら訴えられることはない、というルールが確立してしまえば、逆にそれを利用して、力が強いと一般的に思われている大企業や政治家などに対し、一個人の立場で、名誉棄損すれすれかそれこそ名誉棄損にあたる表現をバンバンやる事例が増えるリスクが高まる。和解に持ち込み和解金を得ようとする目的でね。ネットを活用することで一個人が表現行為を簡単に、かつある程度影響力を持つ形でできるようになった今の時代だからこそ、一個人に対してSLAPP訴訟なる概念を用いて「名誉棄損では訴えられにくい」という特権を与えていくことがいいのかは慎重に考える必要があるね。

これからは一個人もネットの活用によって強力な表現の武器を保有する時代になる。単純に一個人は弱い存在だと決めつけることは危険だ。これは一般的に強い立場だと位置づけられる政治家として、弱い立場だと位置づけられる「一個人」から、あることないこと、さらには名誉棄損に当たることをネットで散々言われ続けても我慢してきた僕の立場からの意見でもある。

■言論で挑発しておいて、相手の「訴える権利」を奪うのもおかしい

SLAPP訴訟だ! 不当訴訟だ! と叫ぶ人たちは、「言論には言論で対抗せよ」とも主張する。

それは確かに正論だ。しかし、だからといって「名誉を傷つけられた」と感じた者の訴える権利を制限することまではできないだろう。あくまでも訴える側が、訴えるのか言論で対抗するのかを選べばいい。名誉棄損ギリギリの表現をやった者が、名誉を傷つけられたと感じた相手に対して、訴えるのではなく言論で対抗してこいと強制することは行き過ぎである。

ただし大手の言論機関が、一個人を名誉棄損で訴えるのはどうなのか? と疑問を抱く人も多いことは確かだろう。今、朝日新聞が文芸評論家の小川栄太郎氏を訴えているようだが、確かに朝日新聞はいくらでも自社の紙面を使って小川氏に反論できる。だから、もし自らの紙面を使って言論で対抗せずにいきなり訴訟を使ったという点がおかしいと国民が感じれば、朝日新聞の評価が下がる。ゆえに、このような点を小川氏は裁判や裁判外でガンガン主張すればいいと思う。そのこと自体が言論によるやり合いで、最後は国民の判断だ。朝日新聞に訴えられたことをもって、訴訟自体が不当訴訟だ! SLAPP訴訟だ! と主張するのは言論人である小川さんらしくない。

裁判でそして裁判外で徹底的に朝日新聞とやり合って、小川さんの主張を裁判所に認めさせ、朝日新聞に勝訴したらいいだけだ。近代国家においては訴える自由が原則であることを忘れてはいけない。まあ、これは裁判を飯のタネとしている弁護士稼業特有の視点での意見と思われるかもしれないけどね。

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元へ。誰かに対して批判的表現行為をした者が、批判相手に対して、私を訴えるな! 言論活動で勝負してこい! と強要するために、SLAPP訴訟=不当訴訟という概念を使い、相手の訴える権利を奪うのはちょっとやり過ぎだろう。あくまでも裁判例に基づいて、訴えた側の請求権が全くないことを明らかにした場合に不当訴訟を認める場合もあるけど、それはいったんは訴えることは認めた上で、裁判の結果最後に不当訴訟が明らかになることである。裁判を始める前から相手の訴える権利を奪うものではないし、そもそも不当訴訟と認められるのは超例外的な場合だ。

つまりSLAPP訴訟=不当訴訟という概念は、いったん訴えを認めた上で、裁判の結果、明らかになるものである。裁判もやらない段階で、SLAPP訴訟という概念でもって訴える権利が否定されるものではない。

当事者の力の強弱、訴えた側に相手の言論の封殺・恫喝目的があったかどうかで不当訴訟になる場合があるということであれば、小川さんには是非、朝日新聞相手に反訴(小川さんが朝日新聞を逆に訴える)をしてもらって、SLAPP訴訟なる概念を確立してもらいたい。さらには今回の裁判の経緯を全て公表してもらい、朝日新聞の訴訟がいかにおかしいかを世間に訴えていくべきだ。SLAPP訴訟なる概念を用いて初めから相手の訴える権利を奪うことの方が近代国家としては不当だと思う。

SLAPP訴訟という概念を用いる者は、今回の訴えは表現を委縮させる圧力だ! 表現の自由を守れ! 表現の自由を委縮させるな! と叫ぶ。だけどSLAPP訴訟という概念を用いることこそが、訴える自由を委縮させる圧力になっていることには頭が及ばないようだ。

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※本稿は、公式メールマガジン《橋下徹の「問題解決の授業」》vol.91(2月13日配信)を一部抜粋し簡略にまとめ直したものです。もっと読みたい方は、メールマガジンで! 今号は《【ネット時代の表現の自由(3)】名誉棄損を避け自由に情報発信するための「超実践」ポイント〈6〉(後編)》特集です!!

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写真=iStock.com/DNY59