プロレス界の“レジェンド”ホーガンがキャンプ地を訪問 若いチームに体験談など伝える

 米大リーグ・フィリーズのキャンプ地に、プロレス界のスーパースター、ハルク・ホーガンが登場し話題を集めている。米地元紙「フィラデルフィア・インクワイアラー」電子版が報じている。

 記事では「プロレス界における最大のスターであり、ポップカルチャーのアイコンであるハルク・ホーガンは金曜日(9日)の朝にフィリーズのユニフォームに袖を通し、少し落ち着かいない気持ちでいた」と紹介。

 プロレス界のレジェンドも自身のツイッターにフィリーズの赤いユニホームに袖を通した写真をアップ。サングラスにバンダナ姿で、現役時代同様のひげも健在で、異色の“コラボ”を伝えている。

 同紙によると、ホーガン氏がフィリーズのブルペンコーチ、ジム・ゴットに招待され、春季キャンプを訪問。そして投手陣へ自身の経験談などを伝えたようだ。

「ここ10年以上フルタイムでリングに上がっていないホーガンだが、球界で最も若いロースターであるフィリーズの選手達にとって、彼のトレードマークである“レッグドロップ”を覚えているものは少ないだろう」

ホーガンもかつては野球選手を志したが故障で断念、その後レスラーになった

 チーム全体に若い選手が多く、現在64歳のホーガンの全盛期を知らない選手が多いだろうとしたうえで、そんな選手たちと交流をもったホーガンのコメントを紹介している。

「少しナーバスだったよ。若い選手達が自分のキャリアを知っているのかどうか定かではなかったからね。とてもリスペクトの気持ちに溢れている、いい子達だった」

 実際に会話を交わし、不安は吹き飛んだようだ。どんなことを若い選手たちに伝えたのだろうか。記事ではこう言及している。

「ホーガンはフィリーズの投手達に、自分もかつては野球選手になることを夢見ていたと語った。彼は高校時代は三塁手をつとめていた。彼の野球選手としてのキャリアは高校時代に肘を骨折したことで終わりを告げた。それ以降、彼の腕が今まで通りになることはなく、その後レスリングの世界へ身を投じていく」

 自身も野球選手を志していたが、故障により夢をあきらめたホーガン。その後プロレスラーとして一世を風靡することになったのだが、そんな自身の半生は、若いフィリーズの選手たちには格好の人生の教科書となったはずだ。

同時期に日本で活躍したマニエル氏とも再会し旧交を温めた

 同紙は「背番号11のユニフォームをまとったホーガンは、その後と打撃練習の場でゲーブ・キャプラー監督や、元監督のチャーリー・マニエル氏と言葉を交わした。マニエル氏はホーガンのレスラー時代と同時期に日本でスター選手として活躍していた」と紹介。日本でもヤクルトや近鉄で活躍し、“赤鬼”と呼ばれたマニエル氏との再会は、プロレス界のレジェンドにとっても懐かしいものだったようだ。

「私の日本でのキャリアは、米国でのそれと同じくらい大きいものだったんだよ。みんな、自分のことをイチバンと呼んでくれたんだ。No.1、という意味だ。そして日本人No.1レスラーで、モハメド・アリとも対決したアントニオ猪木ともタッグを組んだんだ。そのころチャーリーも日本にいたんだ。彼は試合のことも覚えていたし、お互いが知っている場所などもたくさんあった。彼とこういった話ができるのは、なんだかクレイジーな気分だったよ」

 マニエル氏は70年代後半~80年代にかけてヤクルトや近鉄でプレー。ホーガンも80年代前半に新日本プロレスのリングにも上がり、それぞれ絶大な人気を誇った。競技は違えど異国でプレーするアスリート同士、シンパシーを感じていたようだ。40年近くが経過し、再び旧交を温めた両者にとって思い出深い1日になったに違いない。(THE ANSWER編集部)

日米で愛されるプロレス界のスーパースター、ハルク・ホーガン【写真:Getty Images】