JR新白河駅の近くの一軒屋に子どもたちが集まってくる。そこにはピアノを弾いたり、ゲームをしたり、タロットカードに興じる子どもたちの姿がある。キッチンでは高校生が食事の用意をしている。

 この場所は福島県白河市の「まかないこども食堂 たべまな」。名前は「食べよう、学ぼう」から取った。毎週月曜日、開かれている。非営利の任意団体で、「駆け込み寺」と「コミュニティ」を掛け合わせた「KAKECOMI」が運営している。

放課後は一人になることが多いので、居場所が欲しかった

 代表は鴻巣麻里香さん。カウンセラーや精神保健福祉士の資格を持つ。スクール・ソーシャルワーカーの仕事もしている。

 震災後にはじめた「こども食堂」は、当初、JR白河駅近くの食堂を間借りしていた。しかし、食堂が閉店をしたことで、物件を探し、現在の場所にたどり着いた。木造建築の2階建て。これまでに実人数で60人以上が利用した。

「リフォームはみんなでやりました。以前の食堂よりも子どもたちが伸び伸びと使うことができます。本棚は大工になりたい女の子が作りました」

 中でも、中心的に動いているのは、石田雛乃さん(18)。この3月で白河高校を卒業。自宅から車で30分の距離を通っている。取材に訪れた日も積極的にキッチンに立っていた。午後6時には、みんなで食事を食べることができる。

「放課後は一人になることが多いので、居場所が欲しかった。誰かに指示されることなく何か役に立ちたいと思いました。心の安らぎが得られます。必要とされることが嬉しい。自分が世話好きというのもここで発見した」

 白河市は福島県の中通りの南端。栃木県との県境に位置する。東日本大震災では津波の影響はないが、地震で発生した土砂災害等で15人が亡くなっている。また、事故のあった東京電力・福島第一原発からは約80キロ。不安を抱く市民もいたが、むしろ、原発の近くから避難してきている人たちもいる。

 震災当時、茨城県内の精神科病院で働いていた鴻巣さん。翌年から福島県内で仕事がしたいと思い、郡山市内で働き、その後、「ふくしま心のケアセンター」で働くことになり、白河市に移り住んだ。

 しかし、被災者として扱われない地元の人たちはケアの対象外だったことで、地元の医療関係が疲弊していくのを見ていた。

子どもたちは“食事の対価”として、何かしら“手伝う”

 また、鴻巣さんは震災後に離婚を経験した。震災前からあった脳の腫瘍によって激しい痛みにも襲われた。都内の病院に入院して、手術は成功した。様々な変化もあった。将来を模索する中で、子どもたちの居場所づくりと、地域に根ざした活動をするようになった。

「こども食堂」の運営費は寄付金のほか、クラウドファンディング(インターネットで寄付を集めること)で捻出した。

「ここでは、子どもたちは無料で食事を食べられます。しかし、子どもたちは“食事の対価”として、何かしら“手伝う”ことになっています。食器は自分で洗いますし、勉強やピアノを教えたり。どんな子どもでも嫌とは言わない」

震災後1年間は、学校のイベントや課外活動が制限された

 子どもたちが手伝い好きになった背景には「空白の1年間」があったからではないかと、鴻巣さんは考える。福島県では、震災後1年間は、学校のイベントや課外活動が制限された。運動会も規模を縮小して開催されたりしたことが影響したのだろうと。

「子どもたちが学校の活動の中で年下の子の面倒を見ることがなかった。本来は、そうした活動で子どもたちは成長したり、地域から認めてもらったりする。しかし、震災後は機会が減り大人も子どもを見る余裕がなかった。(手伝うことで)できることを見つけ、誰かに影響を与えることができる」

 子どもたちの“お仕事”は「まかない」と呼ばれる。しかし、最初から定着していたわけではない。

「ある不登校の男の子がいたんです。『暇だったら、手伝って』と声をかけると、どんどん元気になっていった。マイエプロンまで持ってきました。感謝されることが嬉しかったんでしょうね。誰かに『ありがとう』と言われることがなかったんですが、自分ができることがあるとわかったのでしょう。今、その子は顔を見せませんが、何かあったら羽を休めにきてくれればいいです」

 震災から7年。地域に変化はあったのか。

「本質的には、福島に流れている空気感は変わらない。復興自体、弱い人たちを置き去りにしている。前に進める人はどんどん先に行っている。逆に、震災前からいろんな生きづらさを抱えている人がいました。そういう人たちは震災前から辛い。復興は、震災の時、ある程度幸せだった人が基準になっており、どんどん差が開いていく」

ここ2年間で虐待は多くなった

 震災後の子どもたちはどう育っているのか。

「新聞広告に『福島の未来を担う子どもたち』という言葉があります。大人が子どもにすごく期待している。しかし、子どもは自由です。福島に住もうが、出て行こうが、好きだろうが、嫌いだろうが……。福島のスティグマがある。復興のために刷り込んでいる。これは外からの差別というよりは、福島の大人たちの不安がそうさせている」

 一方、ソーシャルワーカーとして関わる虐待の案件も増えている。

「ここ2年間で虐待は多くなりました。不登校とセットだったりする。学校でキャッチできる家庭の問題なんですが、びっくりするくらいある。しかし、問題あるケースが問題とされていない。子どもの困難を『見える化』しないといけない。地域で頑張るしかないし、諦めた瞬間に終わりですから」

 鴻巣さんは子どもたちができることを探す。「食器洗って」という言葉を投げかけたとき、ある子は洗剤を嫌がった。「洗った皿を拭くことはできる?」と問うと、「それなら」とキッチンに向かった。

写真=渋井哲也

(渋井 哲也)

こども食堂を運営する「KAKE COMI」の鴻巣さん