元Jリーガー、元電通マン、現役テレビマン。

 1997年にベルマーレ平塚に入団してプロのサッカー選手として11年、企業人として10年歩んできた男が今年2月、母校の早稲田大学ア式蹴球部(サッカー部)監督に就任した。

 外池大亮、43歳。

 今季、関東大学リーグ1部に復帰するア式蹴球部の再興は、ワセダマンの人材育成から。学生に自分で考えさせ、判断させるビジネスマン流の指導法も新しければ、現職のスカパーJSATグループ社員業務との兼務も新しい。外池は大学スポーツ界に対しても、社会に対しても、新たな価値観を提示しようとしている――。

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笑いの絶えないグラウンド

 2月上旬、雪が残る早稲田大学の東伏見グラウンド。

 軽いランニングでコースを回る学生たちに、大柄な新米監督が声を掛けていく。

「走っていても笑顔でやれよ~」

 笑わないなら、学生の名前を呼んで笑わせてやる。すると学生のほうから、自分の名前を呼んでくださいとばかりに催促が入る。また笑いが起こる。部活動の監督というより、たまに遊びに来た気のいいOBに映る。

Jリーグ時代は“何でも屋”

 外池は異色のキャリアを誇る。

 早実時代に、全国経験は一度もなし。それでも大学ではレギュラーに昇り詰め、20年ぶりの関東大学リーグ優勝に貢献。空中戦、フィジカルに強い泥臭いフォワードは平塚(現・湘南ベルマーレ)を皮切りに多くのクラブを渡り歩いた。J1通算82試合、J2通算101試合に出場。ディフェンダーもこなす“何でも屋”はどのクラブでもサポーターに愛され、33歳で惜しまれながら引退した。

 現役中にインターンシップにも積極的だった人は電通にその才と行動力を期待されて入社し、サッカーのスポンサー営業を担当する優秀なビジネスマンに転身した。そして今度はサッカーコンテンツ事業に深く携わるため、スカパーJSATグループに転職。サッカー中継、関連番組の編成、制作、広告事業、解説業とフル回転してきた。そんな最中、部のOB会から監督要請を受け、会社からの理解と後押しを得られたことで母校に戻ってきたという経緯である。

「早稲田らしさとは何か?」を学生に問うた

 早速、外池改革は始まっている。

 今春から4年生になる学生たちと顔を合わせると、いきなり宿題を出した。

 ア式蹴球部は全国最多のタイトル数を誇る名門中の名門。川淵三郎、釜本邦茂、西野朗、加藤久、岡田武史、原博実、関塚隆ら多くの人材を日本サッカー界に送り込んできた。脈々と受け継がれてきた部訓「WASEDA the 1st」を「もう一度考え直してみないか」と呼び掛けたのだ。

 外池は言う。

「“早稲田は競技者として一番たれ、人間として一番たれ”と呪文のように言い続けてきました。そこに染まるという肯定の仕方は一つあるんですが、そもそも今の時代に、今の自分たちにフィットしているのか、君たちの思考は停止していないか、と。一回疑ってみないか、と。そう言ったら学生がザワついたんです。『えっ、手をつけていいものなんですか』みたいな反応でしたから。俺も考えるから、みんなも考えてみようよと言いました」

 ビジョンをつくるとともに“マーケティングリサーチ”も行なった。

 無記名で「早稲田らしさとは何か?」とアンケートを実施。「エリート集団」「泥臭い」「文武両道」などのポジティブな意見が8割だった。一方で「エリート意識では強くなれない」などとネガティブな意見も2割あった。ひと安心した。流されず、現状を良しとしないそのアウトロー的パワーこそが、組織を変える源流になると彼は経験則から知っている。何かを変えるには学生が望まなければならない。望むなら、その手助けをしてあげればいい。

これでいいのか「早稲田の伝統」

 外池は少年時代から早稲田に憧れていた。

 中1のときにテレビで観たラグビーの日本選手権決勝が胸をカッと熱くした。清宮克幸、堀越正巳、今泉清らを擁するワセダが社会人王者の東芝府中を破った伝説の試合を目の当たりにして、「この大学に行く」と決めた。猛勉強して受験で早稲田実業に入り、サッカーを続けながら希望どおり早稲田大学に進んだ。

 しかしア式蹴球部に入ってからは「今の部でいいのか」という思いが芽生えるようになる。

 たとえば3時間に及ぶグラウンドの整備、たとえば一人がミスしたら全員で行なう罰走。ずっと受け継がれてきたとはいえ、周りは疑いもせず「それが早稲田の伝統だから」とスンナリ受け入れてしまうところが納得できなかった。

 否定ではない。否定を飲み込む寛容があってこその早稲田ではないのかという思い。あれだけ憧れた早稲田が、いつしか窮屈に感じられて仕方なくなっていた。20年ぶりにリーグ優勝を果たしたとはいえ、心から喜べない自分がいた。

アウトロー精神だけは忘れたことがない

 Jリーグでは早稲田OBが一人もいなかったベルマーレを選んだ。早稲田の肩書に頼るなら、先輩の多いクラブに相談すればいいのに、外池はそれをしなかった。

 組織に入れば、方針を受け入れて邁進する大切さも分かっている。ただどんな世界に足を踏み入れてもアウトロー精神だけは忘れたことがない。Jリーガーとしても、電通マンとしても、そしてテレビマンになっても。

 スカパー!に「Jのミライ」という外池の手掛けた番組がある。

 始めた当初はJリーグとの放映権契約が更新されるかどうか不透明な状況だった。にもかかわらず、外池は「日本サッカーを育てる、日本サッカーにかかわっていくスタンスを見せていくためにも必要」と必死に訴えた。Jリーグのクラブの育成、普及、地域貢献などにスポットライトを浴びせる骨太の番組は、会社のビジョン、顧客のマーケティングリサーチを照らし合わせても共感を得られると確信があったからだ。

 1回切りの特番を勝ち取った。すると丁寧に深掘りする番組は大きな反響を得た。特番は定期番組に変わり、放送は18回を数えるまでになっている。

自分の武器は自分で考える

 こういった外池の社会での活躍もOB会には届いていた。プロに行く部員、社会に出る部員、その両軸を育成できる存在として、外池に白羽の矢が立った。

「OBとして部を見てきたとき、サッカー以外に対する評価軸が薄れてきているのかなとは感じていました。競技力そのものは大切です。サッカーの能力に長けた学生もそうですけど、むしろ周りにいる学生たちのエネルギーを引き上げていくことで全体の競技力が引き上がっていくんじゃないかと僕は考えました。

 僕自身、足が速くないし、ドリブルもうまくない。何を武器にしていけばいいか、自分で考えることで試合に出られるようになった。人と同じところを見ていたら、世に出ていけない。そうやって今の学生にも、自分を、自分で伸ばしてもらいたい」

学生の「行動」を促すには

 学生に宿題を出した部のビジョンは「日本をリードする存在になる」になった。外池自身が考えたものとほぼ同じだったそうだ。

 部の組織にも外池の色は出ている。同期の一人に、聞き慣れない「マネジメントコーチ」という役職を託した。

「名前は矢後平八郎。当時、プレーヤーとしては将来をあきらめて、部のマネジメントを一生懸命やっていました。卒業後はゴールドマン・サックス証券でバリバリ働き、今は独立しています。その彼に、ピッチ外の管理、評価を任せたいと思って要請したら引き受けてくれたんです。大学サッカーは試合の運営も、学生がやります。主務、副務、マネージャー、学連担当、広報担当、集客担当……そういった学生をしっかり評価、指導してあげたい。矢後はその世界のプロなので、彼が適任だと思って」

 チームを始動する際に、スタッフを全員集めてこうお願いした。

「みなさんにやっていただきたいのは、学生の動機づけです。話した、伝えたではなく、行動を促すところに持っていってもらいたい」

 だからどんなサッカーをしたいかも、外池の頭にはない。学生が主体となって取り組んだものを、手助けする、補足するというスタンスに立つのだから当然の流れとも言える。

「日本をリードする存在」になってほしい

 関東大学リーグ1部は4月8日に開幕する。

 監督業が本格化していくなかで、「Jのミライ」次回作や新しいサッカー関連番組にも携わることになる。忙しい日々が待ち受ける。早稲田大学応援部OGの妻からは「母校のために頑張って」とハッパを掛けられている。

「監督を始めてみて、あっ、楽しいなって思っています。立ち位置を変えることにはなりますが、スカパーJSATグループで取り組んでいる日本サッカーの未来のためにという軸はこれまでと変わっていませんから。学生には、ここでいっぱい学んで早稲田人らしく、社会に出ていってほしい。そして日本をリードする存在になってほしいと思います」

 アウトローでパイオニア。エンジのネクタイが、楽しそうに揺れている。

写真=末永裕樹/文藝春秋

(二宮 寿朗)

早稲田大のグラウンドに立つ外池監督