横浜スタジアムが、4月4日に40才の誕生日を迎え、4日、5日の阪神戦でセレモニーを行った。ハマスタは1874(明治7)年に居留外国人のクリケットグラウンドとして生まれたのが始まり。終戦後の1945(昭和20)年に駐留軍に接収され、一度は「ゲーリック球場」となり、1948(昭和23)年には日本プロ野球初のナイトゲームが開催された。その後、市民らの署名により球場が再建され、日本初の多目的スタジアム「横浜スタジアム」が誕生した。このような歴史的背景をもつハマスタは、ハマっ子にとって野球場以上の意味をもつ希望の地である。この記念すべきこけら落としが、1978(昭和53)年4月4日の横浜大洋ホエールズ対読売巨人軍との試合だった。

 4日のセレモニーでは、この試合で完投勝利をあげた齊藤明雄氏と、対戦相手であった高田繁GMとの対決が実現。102キロのストレートを高田氏がフルスイングするも当たりは三遊間へのゴロ。齊藤氏に軍配が上がった。齊藤氏は「久々に対戦してやはりジャイアンツのユニホームを見ると燃えるものが出てきましたね」とニヤリ。50代男性ファンは「当時を思い出して懐かしかった。明雄さんは巨人に強かった。今も風格が変わらず、球もスゴイね」とビール片手に上機嫌。常連ファンたちは「外野のこどもチケットは200円だったなぁ」などと当時を笑顔で振り返る。


 齊藤氏はこけら落としの前年、8勝のうち4勝を巨人からあげ新人王を獲得。エースの平松政次や野村収がいたが、別当薫監督から歴史的なオープニングゲームの勝利を託された。相手投手は当時2勝14敗と大苦戦していた小林繁だったが4点奪い、齊藤氏は6安打完投勝利で期待に応えた。このうちのヒット2本は高田GMが放っている。


 ファンに聞いてみると、この試合が1978年の初登板と思っている人が多いが、実は2日前のナゴヤ球場での中日とのダブルヘッダー2試合目でクローザーとして登板し、井上弘昭にサヨナラホームランを浴びていた。ちなみにこの年大洋は、ハマスタ最終戦をふくめダブルヘッダーが6日あった。齊藤氏はこの4日後にはリリーフ登板し、プロ初セーブをあげている。そして4月16日の広島戦、21日の中日戦は先発で完投勝利。この年、先発26、リリーフ21試合でリーグ一の241イニングを投げ16勝4セーブの大活躍を見せた。最多勝は17勝で野村収がつかんだが、先発だけなら何勝していたことだろうか。この心身のタフさが63才になった今も100キロ超えのキレのある球を投げる源だろう。


 5日は、ハマスタ20年目にあたる、98年4月4日に勝利をあげた三浦大輔と桧山進次郎氏が対決。往年の2段モーションからのストレートをセンター後方に弾かれたが、スタジアムDJを務めたケチャップさんが「20年前なら波留敏夫がキャッチしているのでセンターフライ!三浦大輔の勝利」と声を張り上げると笑いと大きな拍手に包まれた。


 20周年の1998年はハマスタで日本一。となれば、40周年は…。連日満員の希望の地で夢は膨らむばかりだ。【山口愛愛】


▶4/13 17:50~ 【プロ野球】横浜DeNAベイスターズvs中日ドラゴンズ