●「壁」を越える挑戦から生まれた貂明朝
りょう、かづらき、源ノ角ゴシック、源ノ明朝、そして貂明朝。これまで、和文フォントを数多く生み出してきたのが、タイプフェイスデザイナーの西塚涼子さんです。

近年のアドビの和文フォントを一手に引き受けてきた西塚さんですが、実はフォントデザインにある「壁」を感じていて、それを乗り越える過程で生まれたのが、最新のアドビオリジナルフォント「貂明朝」だったそう。今回は、「貂明朝」の制作を中心に、フォントデザインの難しさと楽しさについてお話を伺いました。

――源ノ角ゴシック、源ノ明朝、そして貂明朝と、アドビオリジナルの日本語フォントをこれまで数多く生み出してきた西塚さんですが、最初に制作した和文フォントは何だったのでしょうか?

私がアドビに入社したのは、小塚明朝のメインの文字の制作は完了して、外字や使用頻度が高くない漢字の制作をしていた時期でした。ですから、最初という意味では小塚明朝になります。フォントチームのディレクターで小塚明朝の生みの親である小塚昌彦さんの修正を受けながら外字を作っていく、という流れで仕事をしていました。小塚ゴシックの制作には最初から参加しました。

数年後、小塚さんが退社されることになり、次に誰がフォントデザインを担当するんだとなった時に、私が次の担当者となったんです。タイププロジェクトの鈴木功さんも当時アドビのフォントチームにいらしたのですが、鈴木さんは起業したいという思いを持たれていたので。

――最初にメインで担当したのはどんなフォントですか?

最初の仕事は、InDesignに替えがなの合成フォント(仮名だけを別のフォントに差し替える)の機能が搭載されることにあわせた、かなフォントの制作でした。見よう見まねでクラシックなスタイルを持った小塚明朝の替えがなを作り始めたんですけど、とてつもなく苦労して…。

小塚さんが在籍されている間にもっと食いついて学んでいれば、と今思えば後悔するばかりなのですが、当時はあまり危機感を感じないままフォントの制作を始めて、思い切り壁にぶつかりました…。

――そんな経緯があったのですね。メインのタイプフェイスデザイナーとなったとき、「壁」にぶつかった理由は何だったのでしょうか?

フォント制作という仕事の性質は、いわゆるグラフィックデザイナーのようなものではなく、職人の要素が強くあります。そのため、モリサワ、写研、イワタのような歴史あるフォントメーカーでは、職人になるための学ぶべきノウハウがあると思われます。

一方、私は行きがかり上とはいえ、入社当初の学ぶべきタイミングで、フォントデザインの要となるひらがな、カタカナを経験しないままキャリアが始まってしまいました。そのため、文字の職人としてのスキルに不安があり、どこか自信が持てないままだった部分があります。

そんな不安を払拭したくて、藤原定家の文字をもとに開発したフォント「かづらき」の拡充のために書道を習い始めたりと、試行錯誤を続けてきました。「かづらき」は定家の残した文字が限られていて、一般のフォントのような文字数が用意できなかったので、それなら自分で書くしかないだろうと。

――最新作である貂明朝について、制作のきっかけを教えてください。

「貂明朝」は、「壁」越えてスキルアップするため、一念発起して、フォントデザイナーの大先輩である字游工房の鳥海修さんが開催されている「文字塾」に参加したのがきっかけで生まれました。個人活動として作ったフォントが、後々アドビでの仕事になったという経緯です。

――個人活動が製品になったというのはすごいですね。

アドビは新しいことするのが大好きな会社なんですよ。たとえば、明朝体をどれだけ綺麗に作るかというのも大事ですが、いかにして新しいことをやるか、という方向の話が通りやすかったり、それに対するみんなの士気が上がったりします。もちろん自分もそうなんですけど、新しいことに挑戦したいタイプの人がすごく多いのはありますね。だから、「かわいい明朝体」の制作が受け入れられたのだと感じます。

――貂明朝のテーマを「かわいい明朝体」と決めた理由は?

明朝体、ものすごく数が多いじゃないですか。フリーフォントも含めるとほんとにもう数え切れないぐらいあって。だけど、実は商業印刷物やWebなどで使われている明朝体って、数が非常に限られているんです。游明朝体とか、リュウミンとか、筑紫明朝だとか、筆頭にあがるものは繰り返しさまざまな媒体で使われています。

他社はどんなフォントを出していて、どういうものが市場に無いのか、と考えると、明朝体の「かわいい」枠はほぼないと気がつきました。また、当然のことながら商用フォントはユーザーが使ってくださってはじめて製品として成り立つものですから、どういう明朝体が出てきたら使いたいと思ってもらえるかと考えて、今回のテーマにたどり着きました。

――すでにあるフォントと差別化した部分は?

優しい雰囲気の明朝体にくらべて、懐(※)の締めぐあいが違うと思っています。懐を大きくすると、ちょっとふくれた明朝体みたいになるんですよね。例えば、児童書やユニバーサル系の本文に合いそうな感じになります。

※「あ」であれば左の○の中の部分。文字の内側の空間のこと。

一方、貂明朝では懐はやや締めつつも、先端が丸くてのびのびした形を意識して作りました。鳥獣戯画のような歴史ある日本古来のかわいさを表現したかったので「クラシック感」を追求したのですが、クラシックさは本来かっこいい要素なんです。かわいいとクラシック、相反するベクトルをどうまとめるかっていうさじ加減がものすごく難しかったところです。

――貂明朝のここがベーシックな明朝体と違う、というところを教えてください。

ベーシックな明朝と大きく違うのは、先端が丸いということですね。先端が尖るだけで文字は一気にかっこよくなります。途中でそこに気がついたので、今になって途中の案を見ると、かなりシャープに見えます。

――確かに、一般的な明朝体は、はらいなど先端がシュッとしていますね。

そうなんです。先端の尖りが残っていた当初の貂明朝はパッと見た時に、概ね9割ぐらいの人がかわいい!って思うところには行っていなくて、よくよく見るとわかるかわいさみたいな感じになってしまっていたんです。試行錯誤をくり返して、リリースが迫る中、漢字にすべて修正をかけたりして、かなり苦心して今のかたちになりました。

「かわいい明朝体」というのは、思った以上にとてつもなく大変で。制作中に「だから市場には見当たらないのか…」って気がつきました。

――つまり、市場に無いと言うのは…。

そういうことなんです(笑)「源ノファミリー」のように言語をまたいで使えるフォントファミリーがこれまで無かったのと同じで、作るのがとてつもなく大変だから無いんです(笑)

●明朝体とゴシック体、フォントの作り方は違う?
○貂明朝、どこで使われた?

――苦労の末にリリースされた「貂明朝」、書籍の装丁などさまざまな場面で使われているとのことでTwitterでも発言されていますが、こうした情報はみずから集めているのでしょうか?

はい、そうです。やっていることはエゴサーチなんですが、自分のことを調べているというよりは、「貂ちゃんはいまどうしてるかな?」と気にしているような、親心ですね。

もちろん単に使われている様子を見たいだけではなく、実際の市場で使われたことであぶりだされた問題点や、客観的な視点から見て貂明朝の仕上がりが正解だったかどうか、そういったところを知りたくて情報収集しているという状況です。

――リリース後、大きな採用例としては、3月末まで行われていた「谷川俊太郎展」で使われましたね。

谷川さんの展覧会はもともと見に行くつもりだったのですが、友人で、同展に関わられていた大島依提亜さんから「絶対行ったほうがいい」と連絡があり、背中を押されるような気持ちで伺いました。

入り口からすぐのお部屋が、音楽を手がけた小山田圭吾さん(コーネリアス)とUIデザイナーの中村勇吾さん、そして谷川さんのコラボレーションで生まれた映像作品のお部屋だったんですが、そこで谷川さんの詩が1文字1文字大きく、貂明朝を使って表示されて! まったく予想していなかったので、本当にびっくりしてしまいました。大島さんからしたら、「してやったり」かもしれないですね(笑)

――街中などで使われている貂明朝を見つけたいと思ったとき、ここを見るといいとうポイントはありますか?

もっともわかりやすいのはかなのデザインですが、漢字で特徴的なのは「点」でしょうか。ちょっと短めで太く、かわいさを出しています。きへんやたけかんむりなどを見ていただくと、線から離れてゴマのように付いていますので、分かりやすいかと思います。

○貂明朝で変わったフォント制作のフローは

――ここでフォント制作の環境について伺いたいのですが、制作環境はアナログ・デジタルどちらですか?

両方使います。基本的にはラフをアナログで書き、清書からはデジタルに移行し、グリフの制作・管理は専用ソフトを使います。ですが、書体によって違いますね。

明朝体の仮名の場合は筆の入り方、強弱などデジタル上で再現しづらい要素が多く、ラフはだいたい手書きでスケッチすることが多いです。

ですがゴシック体の場合、下書きを拡大してトレースするときに、アナログのラフの下書きの線や方眼紙との重なりなどで曖昧なアウトラインに迷うならば、最初からデジタルでスケッチしはじめた方がやりやすいところはあります。

アドビでは自社開発の漢字用フォントソフト「TWB2」を使っていて、エレメントの拡縮をしてデザインするツールになっています。かなは市販されている「Glyphs」というソフトウェアを使っています。

――貂明朝で何かこれまでから変化した制作フローはありますか?

漢字は「TWB2」で、かなは「Glyphs」で作っているのがアドビの和文フォントの作り方だったのですが、今回の貂明朝は既存の明朝体とは違う特徴をもつフォントでしたので、漢字もかなもすべて「Glyphs」で作りました。漢字とかなを1つのファイルで管理したことで、組んだときのイメージはつかみやすくなりましたね。反面、ファイルサイズが膨大になり、ひらがなのデザインの際に漢字の容量が文字通り重荷になる…というデメリットもあったりしましたが、貂明朝の造形は「Glyphs」でなければできなかったと思います。

「Glyphs」は開発者のゲオルグ(Georg Seifert)さんが非常に意欲的な方で、ユーザー要望の機能をベータ版に非常にすばやく盛り込んでいただけることもあり、貂明朝はベータ版の機能を活用して作っていきました。ちなみに、「Glyphs」はアドビからも技術提供をしていて、「Glyphs」では漢字のうろこを作りやすくするなど、独自のアップデートが行われています。

――仕事場の様子を拝見しましたが、西塚さんの席の卓上には大型の液晶ペンタブレットがありましたね。

普段「Wacom Cintiq Pro 16」を使っているのですが、今はワコムから試用のために「Wacom Cintiq Pro 24」をレンタルして使っています。液晶ペンタブレットは上がってきた文字の赤入れやデッサンをするときに用いています。最近の製品は解像度が高いので、アナログでラフを書くように、文字を小さく書いても読みやすいのが便利ですね。

――フォントの需要や市場での受け取られ方について、ここ数年で大きく変化し、「絶対フォント感」(街中にあるフォントを見てどのフォントか当てることを第六感になぞらえた造語)がバラエティ番組で取り上げられるなど、プロフェッショナル以外のユーザーも増えています。こうした市場の変化について、西塚さんはどのように感じていますか?

まずひとつには、デジタル化が進んで、フォントをつくるということの楽しさが広まっているのだと感じます。この春から日本語タイポグラフィチームに入ったアシスタントの吉田大成も、学生時代からフォントを作って、日本語のかたちに興味を持っていたそうです。

また、「絶対フォント感」も、書体を当てたい!と思うということは、裏返せばそれだけたくさんのフォントがいま市場にあるということで、目利きをする楽しさがあるから、これだけの盛り上がりを見せているのだと思います。フォントを熱心に見てくださるファンがたくさんいらっしゃるのは、ただただありがたいことで、また面白い流れだなと感じています。

一方で、フォントを商品化している立場からすると、これだけフォントがあふれている昨今だからこそ、デザイナーや彼らに仕事を依頼する企業の方など、「フォントユーザー」となる方々にも、「目利き」をしていただけたらな、という思いもあります。フリーフォントも増えて選択肢は多様にありますが、選択理由が「無料だから」というだけではなくて、フォントの品質や製品とのデザイン的な合致度合いも見ていっていただけたらなと。

たとえば、源ノ角ゴシック・源ノ明朝は、同一のフォントで表現することがこれまで難しかった日中韓の言語を、統一したイメージで表現するために制作しました。特にWebサイトやゲームなど多言語での切り替えが必要なところで力を発揮すると思います。手掛けたフォントの意図がちゃんと伝わるよう、情報を発信しています。

――最後に、今後の貂明朝のアップデート予定について聞かせてください。

貂明朝では、”貂ちゃん”をカラーで表示できるSVG絵文字を準備していて、今現在、追加のカラー絵文字をつくっています。

和、かわいい、動物といった連想で、干支の絵文字を作っているところです。ラフをiPad上でAdobe Photoshop Sketchを使って描いて、それをもとに作っています。

果たしてお届けできるのが「イノシシ」の年か、「ネズミ」の年かはまだはっきりお伝えできないのですが、なるべく早くリリースできるようにしていきたいです!

――ありがとうございました。
(杉浦志保)

画像提供:マイナビニュース