間違いなく、稀代の奇書だ。今年1月に出版された『エンドレスエイトの驚愕 ――ハルヒ@人間原理を考える』(春秋社)は、「エンドレスエイト」だけで400ページ以上を費やした哲学的論考。著者は東京大学人文社会系研究科の三浦俊彦教授である。

「エンドレスエイト(以下EE)」とは、TVアニメ『涼宮ハルヒの憂鬱』の第二期(2009年)で放映され、物議を醸した8話分「エンドレスエイトⅠ~Ⅷ」のこと。第12話~第19話に相当する。作品内時間がループしていることを表現するため、「同一脚本、完全別作画」でほぼ同じストーリーを8週にわたって放映した実験作だった。が、視聴者にはおおむね不評で、以降のハルヒ人気を萎えさせてしまったA級戦犯……というのがアニメ界隈では一致した見方だ。

【その他の画像はコチラ→http://tocana.jp/2018/04/post_16508_entry.html】

 ところが、三浦氏はそこに待ったをかけた。これまでに論理学の学術書や小説、エッセイなど多くの著作がある同氏の専門は「美学・分析哲学」。これらを駆使した学術的論考によって、駄作評価が定着している「エンドレスエイト」に新しい価値を見出すという、冗談だか本気だかわからない試みが本書なのだ。

 第1回の今回は執筆の動機を皮切りに、定説化しているEE(エンドレスエイト)の解釈における重大な“誤読”について聞いた。


■普通のアニメとしては「全然ダメ」“だが”…!

――なぜ2018年の今、しかも、よりにもよってEEについての本を書かれたのですか。

三浦俊彦教授(以下、三浦) そもそも、ポップカルチャーは旬を過ぎて論じると「なぜ今?」と言われますが、葛飾北斎や宮沢賢治をいつ論じても、そんなことは言われません。普遍的なものはいつ書いたっていいはずなんです。


――EEは普遍的な作品だと?

三浦 傑作たる『涼宮ハルヒの憂鬱』の一部であるEEは、失敗作かもしれないけど駄作であるはずはない。なんらかの形で価値を認めることができるはずだと思ったんです。ただ、僕はいわゆるアニメ評論の素養がないガチガチの分析哲学者ですから、ならばあえて場違いな分析哲学でやった方がEEのKYぶりにふさわしいのではないかと。それに、せっかく制作サイドがボケてるのに、ツッコまない手はないでしょう(笑)。本書は29冊目の著書ですが、自分から編集者に持ち込んだ企画はこれが初めてなんですよ。


――ただ、ファンの間では、「EEがなければ『ハルヒ』はゼロ年代を代表するアニメになれた」「アニメ第三期が企画されないのはEEでDVDの売り上げが落ちたせい」などと散々酷評されました。

三浦 もちろん普通のアニメ作品としては全然ダメです。たまに「表現」の微差が面白いと持ち上げる人もいますが、無理がある。実際、8回通して観るのは大変な苦痛を伴いますし。


――EEは放映中にリアルタイムで観ていたんですか。

三浦 いえ、噂で聞いていました。当時は女子大の文化芸術コースで教えていたので、オタクの学生がたくさん集まっていたんです。教員にもアニメ論をやっている人がいましたし。それで、まずは第一期(※1)をDVDでまとめ買いして観てみました。原作に忠実で作り方も丹念。同時代の他のアニメ作品と比べても抜群によくできている。特に声優の演技がいい(笑)。これは素晴らしいなと。

(※1)『涼宮ハルヒの憂鬱』は同名タイトルで2つのTVシリーズが制作されている。全14話の第一期(2006年)と、全28話の第二期(2009年)だ。ただし第二期のうち14話分は第一期全14話の放送順を恣意的に並び替えた事実上の“再放送”であり、完全新作は残りの14話分。その14話のうち8話が『エンドレスエイトⅠ』~『Ⅷ』で占められている。

 ところが続けて観た第二期のEEはさすがに萎えました。非常に味気なくて、砂を噛むような気分になりました。そのせいで視聴者離れが進んだのももっともだと思いましたし、翌年の映画『涼宮ハルヒの消失』(※2)の布石としてEEが機能するはずだったのに、あの演出で嫌気がさして大傑作の『消失』を観なかった人も結構いる。EEのせいで『ハルヒ』がオワコン化した感もあって、実にもったいない。

(※2)2010年公開の劇場版。原作屈指の人気エピソードを2時間44分の長尺で描く、ハルヒシリーズの集大成的作品。TVシリーズ第一期第9話および第二期最終話『サムデイ・イン・ザ・レイン』の直後に起こる「世界の改変」が綴られた。ファンの間で“俺の嫁”人気が異常に高い宇宙人・長門有希(ながと・ゆき)が物語の軸になっている。本格的なSF展開や巧みな構成、長門やキョン(主人公)の見せるウエットな感情描写が際立っており、映画的評価も高い。なお、当初このエピソードはファンの間で第二期に組み込まれると予想されていたため、「EEが8回も使ったせいで『消失』が第二期に入らなくなった」というロジックでEEへの恨みが倍増したという背景もある。


■長門は断じて“壊れて”いない!

――本書前半では「エンドレスエイトが犯した4つの誤謬(ごびゅう)」として、制作サイドがどんな間違いを犯したのかの指摘が痛快でした。このなかでも直感的に理解できるのが「芸術学的誤謬」だと思います。EEで長門が味わった地獄の苦しみ(※3)を、同じような話を8回視聴することによって視聴者に味わわせるというのはおかしい、と。

(※3)長門有希は、ハルヒたちと過ごす夏休みの後半、8月17日から31日までの15日間を、“記憶を保ったまま”15532回も繰り返す。

三浦 登場人物が感じている感情を鑑賞者にもリアルに味わわせるのは、芸術のやり方ではないんです。虚構的感情だから芸術体験になるわけで。子供をなくした登場人物の悲しみを理解するのに、鑑賞者も同じように子供をなくす必要はないでしょう。というか、そもそも「長門がEEで15532回もループを繰り返して苦痛を味わい、彼女にバグが生じて『消失』の世界改変が発生した」は、解釈として完全に間違いです。


――15532回のループによる「長門壊れた説」は、わりとファンの間では定説ですが……。

三浦 EEは長門が苦痛を味わって壊れたエピソードではなく、彼女が人間的感情に目覚めたポジティブなエピソードなんですよ、というのを本書の前半で論じています。本来はポジティブであることに制作サイドが気づいていれば、視聴者が退屈を感じるような演出ではなく、視聴者に「夏休みの多彩な楽しさ」を感じさせるものにできたはず。


――本書内で挙げられていた“俺の考えるEE”とも呼ぶべき「可能的エンドレスエイト」は、どれも「観たい!」と思わせるものでした。

三浦 脚本は同じでも回ごとに声優を変えるとかですね。これは今年1月から放映しているアニメ『ポプテピピック』に近い手法ですが、実際Twitter上でも「EEは『ポプテピピック』のやり方で良かったんじゃ?」という意見が見られました。あるいはモノローグを主人公のキョン視点ではなく、回ごとに変えるとか。長門一人称視点のEEだったら、みんな絶対観たいでしょ。


――なまじ作画を少しずつ全部変えたという微差が、手間をかけたわりにおもしろくないと。

三浦 作画が8回とも完全に使い回しだったら、それはそれでおもしろかったんですよ。まったく平坦で完全反復の音楽、ミニマルミュージックやドローンミュージックのように。これだったらむしろ聴けます。逆に、本書でも例として挙げたエリック・サティ(※4)の『ヴェクサシオン』みたいな、中途半端に平坦で中途半端に旋律のある曲が一番耐えがたい。

(※4)ちなみに『涼宮ハルヒの消失』にはエリック・サティの曲が劇伴に使用されているが、これは『ヴェクサシオン』のような反復音楽ではない。


――「可能的エンドレスエイト」のなかには、いっそ完全に同一の本編を15532回放送すればいいじゃないか、という過激な案も(笑)。

三浦 いや、これは皮肉でもなんでもないんです。実際に前衛音楽家のジョン・ケージが作曲した『Organ2/ASLSP(※「2」は上付き文字)』という曲は、639年かかる演奏が進行中ですから。そして、EEは原作だとループ回数が15498回なんですがアニメ版では15532回に増やされている。これによって総日数は8月17日から31日までの15日間×15532回=638年と110日となり、ほぼ639年に一致します。ちなみに15498+17+17=15532回にもうひとつ17回加えると、一日の誤差もなくぴったり639年! 僕はこれを発見して鳥肌が立ちました。明らかにジョン・ケージを意識しているじゃないですか。

 ところが原作でもアニメでも、キョンはモノローグでループ日数をなぜか1日少ない14日間で計算していて、EEの8話目では本来638年と110日のところ、「594年」と発言しています。原作者およびアニメ制作サイドはジョン・ケージとの呼応を見破られないよう、わざと隠してるのではないかなと。


――その意図は?

三浦 『ハルヒ』についているようなオタクは、作品とハイ・アート(高級芸術)との結びつきを嫌うだろう、と思われたのでは。むしろ制作サイドは、巧妙に隠したことを密かに誇りたいくらいではないでしょうか。


■本書は『ハルヒ』新作へのラブコール

――ところで、表紙の帯や本文に版権写真(公式の場面写真)が掲載されているのには驚きました。本書はEEを徹底的にディスり、製作委員会を糾弾すらしているのに(笑)。

三浦 逆に、この本に場面写真が使えたということは、『ハルヒ』の新作は当分ないってことなんだと思います。残念ながら。少なくとも第三期が現在進行形ではないのでしょうね。


――谷川流さんによる原作の最新刊『涼宮ハルヒの驚愕』も、2011年5月に刊行されたっきりです。

三浦 本書のタイトルを『エンドレスエイトの“驚愕”』としたのは、新作を催促する意味も込めているんですよ。『驚愕』はまだアニメ化されていないですし、それ以外にも原作ストックは結構ありますから。もちろん、メディアミックスありきでしかアニメ化企画が動かないのはわかっています。ですから本書が売れて「メディアミックスの考察部門」の尖兵として存在感を示し、「じゃあアニメ第三期を作りましょう!」となったらいいなと思うんですが、まあ無理かな(笑)。
(インタビュー・文:稲田豊史)


※『エンドレスエイトの驚愕: ハルヒ@人間原理を考える』(春秋社)/三浦俊彦教授

『エンドレスエイトの驚愕: ハルヒ@人間原理を考える』(春秋社)/三浦俊彦教授