高校サッカー強豪校が挑む「新しい部活の形」 熱血指導の限界と選手主体の可能性

 佐藤実(まこと)は、まだ部活が根性主義に染まり切っていた24年前に堀越高校を卒業した。上意下達が徹底され、監督が水を飲むのを禁じれば、従うしかない時代だった。

「良い選手が集まり、みんなで話し合うと面白い発見があり、自分たちでサッカーを作っていける感触があった。でも、そういうわけにはいかず、不完全燃焼のままもやもやした気分で卒業しました」

 やがて指導者として母校に戻るが、当初は「与えていくことが強化には最適」だと信じて、従来通りのトップダウンで熱血指導に徹した。しかし上から熱を注ぎ込んでも結果は伴わず、選手たちからも達成感が伝わってこない。これでいいのか、と思い悩んでいる時に、ボトムアップ方式でインターハイを制した広島観音高校の記事を目にした。自主自立をテーマに掲げる同校監督の畑喜美夫は、涼しい顔で語っていた。

「僕がコーヒーを飲んでいる間に、選手たちが優勝してしまいました」

 佐藤が行動に移るのは早かった。

「選手たちの自主性を伸ばして結果も乗せてくる。まるでいいとこ取りじゃないか」

 早速畑と連絡を取り広島へ向かう。3泊4日、畑の新しい赴任先の安芸南高校と、原点となる大河FCの練習を見学し、この濃密な経験が転機となった。畑は自発的にトレーニングに取り組む選手たちに柔らかな視線を送り、大河FCでは畑の師に当たる浜本敏勝が子供と同じ目線で楽しげに指導をしていた。

「サッカーを始めた頃は、お兄ちゃんコーチが一緒にボールを蹴ってくれて本当に楽しい。その感覚のままの部活なら、自発的にもっと上達したいと意欲的に取り組むはずです。逆に監督や先輩が怖くてやめられない。そんなふうにサッカーが義務になったら、惰性になってしまいます」

元イラン代表監督の姿を見て気づかされた「本当の選手育成」

 佐藤は長野パルセイロでコーチを務めていた頃のことを思い浮かべた。

「監督はブラジル人のバドゥさん。1998年にジョホールバルで日本とワールドカップ予選を戦ったイラン代表監督ですが、まったく高圧的なところがなく、まだアマチュアだった選手たちを心からリスペクトしていました。指導者のアプローチの仕方で、これだけ選手たちの姿勢が変わる。高校サッカーでも、こういう人間関係を築けないか。それが本当の選手育成ではないのか、と考えました」

 それを契機に、堀越高校サッカー部はボトムアップ方式へとシフトチェンジしていく。

「もちろん今日からいきなり違う人になるわけではなく、徐々に変わっていったわけですが、見切り発車で試行錯誤の連続。外発的と内発的な動機づけのバランスは、いつも揺れ動いていました」

 特に生まれ変わった部活で、ボトムアップ方式の牽引車を託された当時の主将には、想像を絶する重圧がかかった。

「相当に辛かったと思います。やることの幅が一気に広がり、当然キャパシティ・オーバーになる。でも彼が翌年の主将になる2年生や、2年後に主将を務める1年生もメンバーに組み込み、試合にも使いながら様々なことを教えていった。当然同じ3年生が試合に出られないのはおかしい、という声も出て軋轢も生じましたが、次につなげるために、と言い切って進めてくれました。口数は多くないけれど、芯が凄く強い子でした」

 こうしてボトムアップ方式へと舵を切って3年目に、堀越は全国高校サッカー選手権東京都予選の決勝へ進出する。佐藤が高校1年生だった1992年以来、22年ぶりの快挙だった。(文中敬称略)

(第2回に続く)(加部 究 / Kiwamu Kabe)

加部 究
1958年生まれ。大学卒業後、スポーツ新聞社に勤めるが86年メキシコW杯を観戦するために3年で退社。その後フリーランスのスポーツライターに転身し、W杯は7回現地取材した。育成年代にも造詣が深く、多くの指導者と親交が深い。指導者、選手ら約150人にロングインタビューを実施。長男は元Jリーガーの加部未蘭。最近東京五輪からプラチナ世代まで約半世紀の歴史群像劇49編を収めた『日本サッカー戦記~青銅の時代から新世紀へ』(カンゼン)を上梓。『サッカー通訳戦記』『それでも「美談」になる高校サッカーの非常識』(ともにカンゼン)、『大和魂のモダンサッカー』『サッカー移民』(ともに双葉社)、『祝祭』(小学館文庫)など著書多数。

佐藤実監督【写真:加部究】