書籍『世界を変えた50人の女性科学者たち』が刊行された。

男性中心だったSTEM(科学、技術、工学、数学)の分野において、これまで歴史の陰に埋もれがちだった女性科学者たち。同書は彼女たちにスポットを当てた一冊だ。古今東西の50人の女性科学者を取り上げ、彼女たちの功績とその人生をイラストと文章で紹介している。

著者はアメリカのイラストレーター、レイチェル・イグノトフスキー。日本語版の翻訳は『GIRL IN A BAND キム・ゴードン自伝』『バッド・フェミニスト』などの訳書で知られる野中モモが担当している。CINRA.NETでは、同書の日本語版を編集した小野紗也香氏に取材を行なった。

夜を彩る星座を眺めるように、科学者を語る
本書の魅力の1つは、著者によるイラストだ。黒を基調にした紙面にそれぞれ黄色や緑、青、オレンジ、紫、ピンクで描かれた科学者や、研究に関連した事物をモチーフにした色鮮やかな模様は、まるで夜空の星々から生まれた神話や、異国のおとぎ話に耳を傾けるような気分にさせられる。ノスタルジックで、新鮮。大人も子どもも、性別を問わず胸踊らせることができるだろう。改めて、ターゲットにした年齢層や性別を伺ってみた。

<もともと原書は9~13歳をメインターゲットにしています。日本版も、具体的に将来について思いを巡らせる最初の時期であろう、小学校中学年から中学生の子どもたちにぜひ読んでもらいたいと思います。一方で、しだいに現実が見えてきて夢を追うことを諦めかけてしまう20~30代の方にとっても、力になる本ではないかと思います。内容の性質上、女性読者を意識して編集しましたが、性別にかかわらず、多くの人に読んでもらいたいです。>

■喜びというよりも、静かな怒り
日本語化するにあたって意識した点や苦労した点については、以下のような回答をいただいた。

<日本語はひらがな、カタカナ、漢字、ローマ字の多様な表記があり、ルビ(ふりがな)もつきます。したがって、読みやすいデザインのためには、英語以上に「行間」が必要になります。しかしイラストデータの作りの問題で、書籍サイズや絵の位置は変更できなかったので、どうしても日本語訳を圧縮せざるを得ませんでした。そこで翻訳者の野中モモさんには、一度全文を訳していただいた後、原書の魅力を損なうことなくスペースにおさめられる文章をわざわざ再構築していただいています。
イラストの周りにちりばめられているキャプションも、ルビ付きの日本語をカーブさせながら美しく見せるのは非常に困難なことで、デザイナーの堀口努さんには本当に頑張っていただきました。>

大変な苦労が窺えるが、編集にあたって抱いていた感情は、「喜びというよりも、静かな怒り」だったという。

<能力も意欲もある人たちが、性別や人種や民族や、それとはまったく無関係な理由で差別され、教育を妨げられたり、適正な報酬を得られなかったり、正しく評価されないことに非常に腹が立ち、「状況をくつがえしたい!」と反骨精神に火がつきました。こうした怒りのエネルギーが仕事のモチベーションになったのは初めてです。一方で、不遇に負けず自分の道を切り開こうと精一杯努力する女性科学者たちの生き方には、編集中から何度も励まされました。>

■パートナーへの愛と尊敬を感じさせるエピソードにほっこり
本書の特設サイトには個人向け遺伝子解析サービスを提供しているジーンクエストの高橋祥子と、女優の南沢奈央によるコメントが掲載中。ページ見本や編集者によるおすすめのエピソードが掲載されている。

中でも特におすすめのエピソードとしては、糖代謝の研究でアメリカ人女性として初めてノーベル生理学・医学賞を受賞したゲルティ・コリを挙げてもらった。

<女性科学者にまつわる逸話は苦労話が多いのですが、その中でもゲルティ・コリのエピソードはホッと一息つかせてくれます。ゲルティの夫カール・コリは、妻と一緒に研究できない仕事の口は断り、二人は理想的な環境をもとめてプラハからアメリカへ渡りました。二人は共同研究をすすめ、ついにグルコース⇔乳酸代謝の仕組み(コリ回路)を発見。仲良くノーベル賞を受賞しました。その後、ゲルティは病気で体が不自由になってしまいますが、カールは動けない彼女を抱きかかえて運んであげるなど献身的にサポートし、二人はずっと研究を続けたそうです。パートナーへの愛と尊敬が感じられ、ほっこりするエピソードです。>

■あの映画の主人公も登場。音楽や演劇との関わりも
本書には、2016年公開の伝記映画『ドリーム』の主人公キャサリン・ジョンソンも取り上げられている。昨年に日本公開もされた『ドリーム』は、NASAで活躍した3人の黒人女性を中心に描いた作品だ。そのほか、映画や音楽、演劇の分野と関わりを持った女性科学者も紹介している。

<まだまだ知られていない女性科学者ですが、ヒュパティアは映画『アレクサンドリア』の主人公ですし、ロザリンド・フランクリンの生涯は『PHOTOGRAPH51』(今年4月に日本初演)という演劇になっています。フィクションも含めれば、女性科学者はもっと多くの作品に登場しますが、事実は小説より奇なり。たとえば、ハリウッド女優でありながら発明家殿堂にも入っているヘディ・ラマーは、パーティである前衛音楽家と意気投合。何と自動ピアノの仕組みから発想して、誘導魚雷妨害電波を防ぐシステムの原型を考案したというから、フィクションよりよっぽどドラマティックです。>

■日本のSTEM教育に一石を投じる。大事なのは「ロールモデル」
本書は日本のSTEM教育に一石を投じるという点でも意義がある。教育を巡る日本の現状について伺うと、以下のようにお答えいただいた。

<STEMに限らず、すべての教育に言えることですが、大人がいかに子どもたちに偏見を持たせず、いかに選択肢を与えられるかが、子どもの可能性を伸ばすことに大きく関わっていると思います。以前に比べれば、日本にもSTEM分野で活躍する女性は増えたと思いますが、いっぽうで、いまだに男は理系、女は文系」というような何の根拠もない偏見がまかり通っているように思いますし、科学を子どもたちに「身近で当たり前なもの」に感じさせるSTEMおもちゃなども、まだそれほど普及していません。>

「おもちゃ」ということで言えば、たとえば「リカちゃん人形」や「バービー人形」は、かつて「算数が苦手」という設定があったという(堀越英美『女の子は本当にピンクが好きなのか』ele-king books刊)。女性が理数系を忌避しがちであるという傾向はステレオタイプの1つだが、ドールたちの「算数が苦手」というキャラクター付けは、それを象徴するエピソードと言えるだろう。

<子どもが何かを目指すために一番の原動力になるのは、目標となる人物の存在(ロールモデル)ですが、日本ではこれまで女性科学者の活躍があまり知られず、伝記本もほとんどありませんでした。
本書は子どもたち(とりわけ、女の子)に科学を身近なものに感じさせ、ロールモデルを紹介することができると思います。>

■絵本を読むように新しい世界へ。「隠されてきた姿」に光を当てる
最後に、本書の魅力を単刀直入に聞いてみた。

<これまで知られていなかった女性科学者の業績と人間的な魅力を、かたくるしい文章ではなく、おしゃれなイラストで紹介するというところが、本書の最大の魅力です。科学に興味がない人、彼女たちを知らなかった人も、絵本を読むような気持ちで、サイエンスの世界に自然と足を踏み入れることができます。この本を手に取って下さった方に、読む前と後とで確実に世の中の見方が変わった、新しい世界がひらけた、と感じていただけたら、これ以上の喜びはありません。>

上述した映画『ドリーム』の原題は、『Hidden Figures』という。歴史の陰に「隠されてきた姿」たち。それは劇中でスポットを浴びた3人の女性科学者を暗に指しているが、本書もまた、同じ意味での「Hidden Figures」に柔らかな光を当てる一冊である。しかし本来は、「女性科学者」といった括りが不要になるほど当たり前に、彼女たちの仕事ぶりは評価されるべきだった。きっとそんな未来を作り出すのが、本書を手にした私たちがなすべきことであり、子どもたちに与えられるべき社会のありようだろう。

なお原著者のレイチェル・イグノトフスキーは本書のほかにも、女性アスリートや地球の不思議さにまつわる本を発表している。今後の日本語訳について、こっそり教えていただいた。

<じつは、続編となる女性アスリートの本「WOMEN IN SPORTS」は、2019年春の刊行に向け、すでに日本版の編集が始まっています。スポーツの世界では、日本にもすでに世界レベルで活躍している選手が何人もいるので、どのように編集しようかアイディアを出し合っているところです。>

2019年は東京オリンピックの前年。話題を集める一冊になりそうだ。
『世界を変えた50人の女性科学者たち』(創元社)表紙