まだまだ紹介しよう。歴史偉人たちの偉業とそれを支えた食生活を追えば、あらためて日本の食文化が優れていることがわかる。

 幼児の死亡率が高く、寿命が短かった戦国江戸時代。生活環境や医療が庶民とべて格段によかったと思われる徳将軍でも、均年齢は51歳と長くはなかった。70歳をえたのは開祖・家康享年75)と最後の将軍・慶喜(享年77)の2人だけである。家康は日頃から健康に気を遣い、の調合もみずから行うほどだったが、長寿のもとは、意外にも麦飯味噌にあった。

徳川家康豊臣秀吉織田信長下取り3人の出身地は現在中部地区です。麹を使わない大豆100%味噌、八丁味噌や三州味噌などの『味噌』圏。豆味噌にはアルギニンというアミノ酸が多く含まれている。豆味噌の常食が、ダイナミックな行動と生来の頭のよさを何倍にも飛躍させるうえで果たした役割は計り知れない」(永山氏)

 味噌飛鳥時代に中国から伝わり各地に根づいたが、同じく日本人と切っても切れないのが梅干しだ。

 今の梅干しの原形ができたのは平安時代と言われている。この梅干しのおかげで長生きしたのが室町時代の武将・北条早雲だ。享年88歳というから今の時代でも長寿に入る。その半生はに包まれているが、息子・氏綱が生まれた時が55歳。になったのが57歳なら、三浦半島の宿敵・三浦子を討ち相模全体を手中にしたのが死ぬ前年、87歳の時だという。90歳近くまで眼鋭く、心身ともに若々しかった理由は、彼が残した訓に見て取れる。「早起き」と「の信仰」、そして欠かさず食した「梅干し」にあった。

 料理教室も開くフードコンサルタント川田孝子氏が言う。

梅干しっぱさの正体はクエン酸。新陳代謝を促し、細胞の老化を防いでくれます」

 また、明治維新の初代総理で艶福家だった伊藤博文68歳で暗殺されているが、元気いっぱいの好色人生のもとになったのもやはり梅干しだった。

 長寿ばかりか性としての名をとどろかせたのはだ。巨根の持ちで絶倫の僧は、第46代孝謙天皇の寵を一身に集め、権の頂点にまで駆け上がった。彼のパワーはなんと焼き鳥だった。彼は野鳥を捕まえては羽をむしって焼き、を思いっ切り振りかけて食べていたというのだ。

「トリリンカリウムタンパク質が豊富で栄養価が高く、スタミナのもとになります」(川田氏)

 平安時代歌人六歌仙の一人、在原業平プレイボーイだったが、健康食はクルミだった。クルミは人類最古のナッツビタミンミネラル、そして特に亜鉛が豊富な食材。「クルミ」や「クルミ味噌」で業のような好色になれるかもしれない。

 同じく、俳人・小林一茶の晩年はセックスに明け暮れる“絶倫じじい”だった。彼の日記を読むと50歳を過ぎて〈‥‥8日五交、21日四交〉と連日3~5回のセックスを行い、32歳の「やを」を3度の妻に迎えた時、一茶64歳だった。セックス三昧を可にしたのは、ヤマノイモ。おなじみのとろろ御飯である。

 また「とんち和尚」として知られる「一休さん」こと一休宗純。戦火吹き荒れる応仁の乱の時代、僧でありながら、を飲み、を食い、女を抱き、放浪しながら、なんと88歳の寿を全うしている。

 そうした活を引き出していたのが大豆納豆だった。中国から伝わった糸を引かない「納豆」を作り、食していた。「大徳寺納豆」や「一休寺納豆」のもとになっている。

「高タンパクで栄養価抜群の大豆食品の中でも最高なのは納豆。発酵することで理想的な食品になった。納豆のネバネバがナットウキナーゼという酵素。納豆に含まれる20種類のアミノ酸が強壮・長寿のもとになっている」(永山氏)

 文明開化時代、「学問のすゝめ」を著した慶義塾の創始者・福沢諭吉健康食はだった。

 諭吉は「食啓」をしたでのパイオニア食が健康というのはこの諭吉以降だが、忠臣蔵大石内蔵助のスタミナ近江だったのだ。

 時は5代将軍・綱吉の時代。「生類憐みの令」がまかり通っていた時代。内蔵助は根でひそかに作られていた牛肉味噌漬けを好んで食し、これが討ち入りパワーを生んだのである。

 かくなる偉人たちは食の大切さを知っていた。

家康が季節外れの立をもらった時のエピソードが残っている。家康は食しなかったのだが、旬でもない時に理にこしらえたものは、外見ばかりでうまいものではないし、栄養価も効成分も少ないことをよく知っていた。日本人の食生活は年々劣化。これが健康を損ねる大本なのではないですか」(永山氏)

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