不登校の子供にとって学校復帰を目指すのが良いのか、それとも多様な選択を用意すべきなのか、という問題は非常に悩ましい問題です。立場によって出される答えもさまざまにならざるを得ず、戸惑う中で親は我が子にどう寄り添うことができるでしょうか?

不登校に対する支援の在り方は子どもの主体性を尊重

不登校と言うのはあくまでも病気や経済的理由を除く様々な事情から、学校に30日以上行けていないという現象の総称です。その原因や背景は一人一人異なり、私のように現場で彼らを支援する立場からは、その背景の理解に基づいて解決策・改善策を考えます。

その結果、学校に復帰を選択するか別の道を選択するかは、彼らの主体性に基づいた判断を尊重することが多く、その結果学校復帰を含む多様なあり方・生き方を前提としています。

学校復帰を目指すのはその後の社会参加を見据えたときの考え方

しかし一方で社会の中で生活を営み、経済的にも自立していくという現実を考えた時、やはりそれなりの学歴がある方が就職や社会参加にも有利であることは間違いないでしょう。そう考える立場からは、学校復帰を第一に目指すのは当然だと言えます。

また多くの同級生が一般的な学校生活を送っている中で自分だけが行けないという孤独と不安から、本人自身も「できることならば行きたい」と言う気持ちを内心抱えていることは間違いありません。それを考えれば学校に行けるようにさえなれば問題は解決したという見方も決して間違いではないでしょう。

不登校に対する考え方は社会的評価と自己充足感の2つの軸がある

この問題を考える時、社会的立場や学歴などの「社会的評価(社会の中での自分)」を重んじる軸と自分らしさを大切にする「自己充足感(自分らしさやしあわせ)」を重んじる二つの価値の対立軸を考えざるを得ません。この二つの対立軸は撚(よ)り合わさった糸のように、時に応じて代わる代わる表面に現われては心を迷わします。

考えてみれば生きるということは、「社会的評価―自己充足感」のみならず「建前―本音」「義務―自由」などのさまざまな対立軸の中で自分をどこに位置づければ「納得」できるか、という座標を確認し続ける過程だとも言えます。

そこに絶対的な答えはなく、一人一人が悩み試行錯誤を繰り返しながら納得できる生き方を探し続ける営みこそ、人生なのでしょう。不登校とは「どう生きるべきか」という自分の納得する座標を見つけられず、立ちすくんでいる姿だと言うこともできます。

実はその課題は、本来ならば社会的な立場を確立した上で、ふと「自分の人生はこれでよいのだろうか」と振り返らざるを得なくなる中年期の課題でもあり、不登校の彼らの親の年代が向き合うべき課題と通じるところがあると思えてなりません。そういう大きな課題をまだ学齢期の彼らが胸に抱えた時、立ちすくんでしまうのも無理はないでしょう。

まず親が自分の生き方を自問自答してみることが大切

では立ちすくむ我が子に親はどう寄り添えばよいのでしょうか。私はまず親が自分の生き方について自問自答して、自分なりの納得できる答えを探すことが必要であると思っています。親自身が自分の問題として悩み苦しむ体験をすることで、我が子の苦しむ気持ちを理解することができ、人生の先輩として同じ課題に揺れ動く我が子の安心の基盤となるからです。

卑近な例ですが、昔のマンガの登場人物に、迷うことなく「これでいいのだ!」と断言する口癖のパパがいました。彼の存在によって周囲の家族は根拠もなくなぜか不思議と安心感に包まれるのです。

そこまでではなくても親が「私はこう生きたい」と納得できる自分の生きざまを探し続ける姿をモデルとして示すことで、子供の孤立感は和らぐかもしれません。そしてその上で「そういう自分の子であるからこそ、我が子にも必ず問題を解決する力があるはずだ」と信じ続けることが大切ではないかと思っています。

(岸井 謙児/臨床心理士・スクールカウンセラー)

不登校の我が子に親ができることとは?子どもの力を信じて