ブッフォン、ネスタ、ガットゥーゾ、ロナウドの4人を軸に指名

 元イタリア代表MFアンドレア・ピルロ氏が、GKからFWまで各ポジションのベストプレーヤーを選出。自身にとっての最高の監督、小ネタのある監督の思い出も語った。

 2017年に現役を引退したピルロは、若き日にイタリア国内の地元ブレシアでデビューを果たし、その後名門インテルに加入。そこでは芽が出ずに期限付き移籍を繰り返したが、ACミランでは黄金期の中心メンバーとして活躍し、ユベントスでは中盤の“マエストロ”として君臨。現役生活の最後は、米MLS(メジャーリーグサッカー)のニューヨーク・シティで過ごしていた。

 そんなピルロはアメリカ誌「ヴァニティ・フェア」のインタビューに応じ、自身が選ぶ各ポジションのベストプレーヤーについて触れている。

「もし私のベストチームを組むなら、GKは(ジャンルイジ・)ブッフォンにいてもらうよ。最終ラインには(アレッサンドロ・)ネスタがいて、中盤には(ジェンナーロ・)ガットゥーゾだ。FWには“怪物”の方のロナウドを指名するよ」

 奇しくも、イタリア勢で“北の3強”と呼ばれるインテル、ミラン、ユベントスでチームメイトとしてプレーした選手から選出。しかし、「そのチームを率いる監督をどうするのか」という質問に対しては、ピルロは「特別な存在がたくさんいるね」と切り出した。


マッツォーネとアンチェロッティは「兄弟のような存在」

「まず、(カルロ・)マッツォーネが僕のポジションをトップ下から最終ラインの前に変えてくれた。そして、(カルロ・)アンチェロッティもそれを認めてくれた、ある意味では兄弟のような存在だ。彼らがいなければ、今の僕はないだろう。ただし、(アントニオ・)コンテは全ての監督を超える。選手としても最適な瞬間に彼から指導を受けたのだろう。ミランを離れてユーベに加入した時から、彼からは多くのことを学んだ」

 インテルからの期限付き移籍で戻った地元ブレシアを率いていたのがマッツォーネ監督だった。元イタリア代表FWロベルト・バッジョを擁したチームで、元日本代表MF中田英寿も指導した指揮官はピルロのポジションを一列下げた。これにより、ピルロは過度のプレッシャーに晒されることなくゲームメーク能力を開花させた。ユベントス戦でピルロの美しいパスから、バッジョがキックフェイントをしながらトラップしてGKをかわして決めたゴールは、今でもサッカー史に残るビューティフルゴールと記憶される。

 その後、アンチェロッティ監督にもミランでそのポジションを認められた。その時に支えたのが、ピルロの後方に構えたネスタと脇を固めたガットゥーゾだった。そして、コンテのユベントスでは完全な“ピルロ・システム”でタイトルを積み重ねた。


ホジソン監督は「僕のことをピルラと呼んできた」

 そうした名将たちの名前を挙げたが、唯一の笑い話にしたのがインテル時代のロイ・ホジソン監督だった。ピルロは「彼は僕のことを『ピルラ(イタリア語で間抜けな奴の意味)』と呼んできたんだ。まあ、わざとではなくイタリア語が上手くなかっただけだと思うけどね」と、ちょっとしたエピソードを語った。

 イタリアが生んだ稀代のプレーメーカーは、チームメイトとしてプレーした超一流レベルの選手たちと監督に囲まれたサッカー人生を、幸せな時間として振り返っていた。


(Football ZONE web編集部)

自身が選ぶ各ポジションのベストプレーヤーについて触れた(左から)ブッフォン、ネスタ、ガットゥーゾ、ロナウド【写真:Getty Images】