人気爆発中の八咫烏シリーズhttp://books.bunshun.jp/sp/karasu)が累計100万部を突破、新刊『烏百花 蛍の章 八咫烏外伝』も忽ち増刷、勢いの止まらない阿部智里さん。史上最年少の20歳で松本清張賞を受賞し、今年でデビュー6年目の阿部さんは、物心ついたときから「作家になる」と決めており、その夢に向けて大きな一歩を踏み出したのは、わずか16歳の高校生のときでした。

 4月25日、母校・群馬県立前橋女子高校の開校記念式典で、阿部さんは「夢を仕事にするということ」というテーマで講演。阿部さんのまっすぐな言葉は高校生たちに強烈な印象を残しました。夢に向かってもがいている人にも、夢が見つからなくて焦っている人にも、阿部さんからのメッセージをお届けするべく、ここに採録します。

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 ただいまご紹介にあずかりました阿部智里です。ここに座りながらだと、みなさんとあまりに距離が遠いので、ちょっと近付きながらお話をさせていただきたいと思います(椅子から立ち上がり、ステージの中央へ)。

 ひとつ、最初にお願いがあります。人間にとって、あるものに価値があるかどうかというのは、その人次第です。この写真を見てください。何もない道ですよね。でも、見方を変えてみたら、もしかしたらこの道は歴史的な街道かもしれない。右手にある木がすごく珍しい木かもしれない。夜になったらここはものすごい星空に変わるかもしれない。見る人がどの分野に興味や関心があるかによって、この一枚の写真の価値もまったく変わってくるわけです。

つまらなかったら寝てください

 そして今日の私の話というのも同じで、「ものすごく面白い」って思う方もいれば、「いや全然つまらない」と思う方もいると思うんです。ですから、もしつまんないなと思ったら寝ていていいです。そして先生方はそういった人がいたとしても、この時間だけはどうか見逃してください。

 というのも、高校生のときに非常に悔しかった思い出があって、とある講演会にいらした小説家の方が、「近頃の小説家志望の若いやつは……」と一方的に決めつけて話をされて、「コノヤロー」って思ったんですね(笑)。それと同じことをしたくないんです。

 みなさん、私とあなたたちとの間には何の差もありません。同じ人間同士として今日はお話させていただきたいと思います。ですから、今、足を揃えてきちっとされていますけれども、のんべんだらりと姿勢を崩してしまって結構です。楽しく行きましょう(会場笑)。

人生最初の大きな分かれ道

 今日の題目は「夢を仕事にするということ」。先にネタばらしをしてしまいますと、私は小さい頃からプロの作家になりたいと思っていました。それと同時に、たいへんな問題児で母親や幼稚園の先生たちを困らせてばかりいました。それはどういうことかというと、「ねぇねぇ、あそこに、風の妖精が飛んでるよ」とか普通に言っていたんですね(笑)。虹を食べたとか、雨が降ってきたときに、大きなきのこを見つけてそれを傘にして帰ってきたとか。

 でも、そこで私の父と母は「そう、そうだったんだね」と一切否定をしなかった。私はそれが一番最初の大きな人生の分かれ道だったと思っているんです。そこで「そんな嘘ばっかりついて」と怒られずに、面白がって聞いてくれたことで、自分が想像しているものを言葉にすると、周囲が面白がってくれるというのが原体験としてありました。赤城山の中腹にある幼稚園にバスで通っていたので、片道30分かかるバスの中でも、自分の考えたお話を友だちや先生の前でずっとしていたんです。

作家になるのではなくて、生まれた時から作家だった

 小学校にあがり、文字を知り、私はやがて小説を書くようになりました。そして、あの有名なハリー・ポッターシリーズが、私の人生を2番目に変えたものでした。『ハリー・ポッターと賢者の石』を読んだ時に、あまりに私が夢中になっているのを見て、母が「そんなに本が好きなんだったら、作家になればいいじゃない」って言ったんですね。その時初めて、自分がいつも楽しんでやっていることが仕事になるんだということを知ったんです。

 生意気と言われるかもしれませんが、私は自分のことを、生まれながらにしての作家だと思っています。作家になるというのではなくて、私は生まれた時から作家だったのだと思います。自分がこれまで楽しんでいたことが作家という職業になるんだ、と6歳か7歳の頃に知り、それ以来プロの作家になるということを自分の人生の目標にして生きてきました。その気持ちがブレたことは、1回もありません。

 しかし、そこで問題が起きます。どうやったらプロの作家になれるのか? これが私の6歳から15歳ぐらいまでの10年間、非常に難しい問題になりました。

 作家になりたいと思っても、実際に活躍しているのはごく一部の人たちで、非常に狭き門です。新人賞を取ってデビューする人は、今1年間に100人以上いると言われていますが、その中で5年後に生き残っている人はほとんどいません。その最初の100人に入るまでにも、数えきれないほど多くの人たちが落選しています。

初めて応募した自信作が一次選考にも通らなかった

 でも、私は、すごい身の程知らずなんですが、小学生のときに、自分にもハリー・ポッターのようなものがすぐに書けると思っていたんです(笑)。なんなら小学生のうちに作家デビューしてやろうかと思っていたくらいでした。ところがまぁ、実際に書いてみると、全然思うように書けないんですね。あれっ? おかしいな、と思いながらも書き続けて、ようやく自分の納得のいくものを書きあげたのは、中学3年生の時でした。それが初めて新人賞に応募した『麒麟児』という作品です。これをある出版社のライトノベルの賞に応募したんですね。

 結果はどうだったか。1次選考すら通りませんでした。その時に初めて、自分が思っていたよりもこの世界は難しいのかもしれない、ということを知りました。

 こうして言葉にすると、ほんの数十秒で経過を説明できちゃいましたが、小学校1、2年生のころから作家になりたいという思い続け、中学3年生になるまで10年間ずっと小説を書き続け、ようやく自分の中で過去最高のものが書きあがった。これならいけるだろうと思って満を持して応募したものが、1次選考にも引っかからなかった。そこでようやく目が覚めました。

高校時代のショックな出来事

 その後、私はこの前女(前橋女子高校)に入学します。自分の書くものは果たして世の中に出して通用するものなんだろうか?という悩みの中にいた私に、更にショックなことが起きます。とある詩のコンクールで佳作に入っていた作品が、金子みすゞの詩のパクリだったのです。あんな有名な詩人の作品が、アマチュアの人が応募するコンクールで佳作にしかならないということもショックだったし、当時中高生だった私ですら盗用だとすぐにわかった詩を、選考委員が誰一人気づかなかったということもショックでした。それまでは、いいものを書けば評価されると思っていたけれども、その信頼が揺らいでしまった。私、いったいどうしたらプロの作家になれるんだろう? その頃は五里霧中でした、ほんとうに。

10年前の今日、人生が変わった

 それで、実は10年前の今日(4月25日)、まさにこの日が、私にとって人生が変わった日だったんです。今日は開校記念日の講演会に呼んでいただいたわけですが、10年前にここで話をされたのが、文藝春秋という出版社の編集者で、前女の卒業生だったんですね。ご存じない方のために説明しますと、文藝春秋というのは、芥川賞や直木賞などの文学賞を主催している日本文学振興会の母体の老舗出版社なんです。その方が話し終わって、校長室に行ってしまったときに、ああ、行ってしまう、もっと話を聞きたいと思いました。その時に背中を押してくれたのが、友人たちでした。

 当時から私はずっと「プロになりたい、プロの作家になりたい」と言い続けていたので、部活や掃除や帰りの会などが山ほどあったのに、「いいから、いいから。うまくやっておくからお前行ってきな」って言ってくれて、ありていに言うとぜんぶサボりました(笑)。でも、サボってよかったです。今でも、校長室のドアの形をよく覚えています。なかなか中に入れないでドキドキしているときに、中からドアが開いて、その方の旦那さんが出てきて「あれっ君どうしたの? 何か話聞きたいの? だったら入りなよ」って言ってくれて、私は校長室に入りました。

16歳のときの決心

 校長室では、私がいかに作家になりたいか、どんな本が書けるのかという思いの丈をぶつけたのですが、もう何時間も校長室で話をしていたので、下校時間になってしまったんですね。そしたら、その方が「じゃあ、もう少し話を聞いてみたいからご飯に行きましょう」とご飯に連れていってくれて、夜になるまで話を聞いてくれたんです。そして、最終的に言ってくれたのが、「阿部さん、もしあなたが本気でプロになりたいのなら、松本清張賞に応募してみたらどうでしょう」という言葉でした。16歳、高校2年生になったばかりのときのことです。

 そうして一大決心し、当時持てる力の全てを注ぎ込んで書き上げたのが、一昨年刊行した『玉依姫(たまよりひめ)』(2018年5月10日文春文庫より文庫版発売)の原型となる作品でした。

 そして今度は応募総数500人くらいの中で、最後の8人にまで残りました。ただ、これは私の経歴が異色だったことも大きかったと思います。当時の清張賞作品は時代物や歴史小説、ミステリーが多くて、年齢層が非常に高かったんですね。そこに珍しく女子高校生が応募してきたというので興味を持ってもらえたと思うんです。

あのとき、落としてもらって感謝している

 私を最終候補に残すかどうかというときに、「これだったら、編集のときに手を入れれば刊行できるから、制服姿で今デビューさせた方が話題性が強いんじゃないの?」という意見もあったそうなんです。でも、文藝春秋はそれをしなかった。「ここでデビューさせるのは本人のためにならない」と判断して、私を落としました。実は、ここが私のとても感謝していることなのです。

 私がそう思えたのには、もう一つ理由があります。当時、文藝春秋の編集さんが「一回東京に来てね」と呼んでくださって、また学校をサボって(笑)早退して、前橋駅から高崎駅に行き、高崎駅から湘南新宿ラインで東京の池袋まで行ったんです。そこから更に有楽町線の地下鉄に乗り換えて、当時の私としてはすごい大冒険をして、文藝春秋に辿り着きました。文藝春秋の1階には大きなサロンがあって、そこで作家さんや記者の方が色々な打ち合わせやインタビューをしているんですね。

 そこに初めて一人で足を踏み入れて、緊張でガチガチな私に、今は退職された超ベテランの庄野さんという編集者の方が、「君は本気で作家になりたいの?」って聞いてくれました。「はい。それしか考えていません。でもどうしたら作家になれるのかわからないんです」と自分の正直な思いを伝えたのですが、庄野さんは「ふーん」と私の話を聞いていて、「君さ、なんでそんなに焦ってるの?」って言ったのです。

「焦る必要は何もないよ」

 私はびっくりして、「だってそりゃ焦りますよ! 世の中にはプロになりたい人がいっぱいいて、実力がある人もいっぱいいるのに、プロになれるのはほんの一握りなんですから」って一生懸命自分の気持ちを訴えました。そしたら、庄野さんは「焦る必要は何もないよ」と。「君は凄い実力がありながらデビューできない人を実際に知っているの? そう思い込んでるだけじゃないの? 我々は面白い話を書く作家や才能をいつも探してるんだ。君が真実面白い話を書いたら、我々は常に君をデビューさせる準備がある。だから何の心配もしないで、まずは実力をつけることを考えなさい」って言ってくれたんです。私はもう目から鱗がポロッと落ちた感じで、あぁ焦る必要はないんだと思ったのを覚えています。

 それで、受験勉強を経て大学(早稲田大学文化構想学部)に進学し、再び松本清張賞に応募した作品が、『烏に単は似合わない』という私のデビュー作になります(史上最年少の20歳で受賞)。ですから、今日、私は卒業以来、初めて母校に戻ってきたのですが、あの10年前の今日、文藝春秋の編集さんに巡り合わなかったら、私はこの場所に立っていないと今もしみじみ感じています。しかも、『烏に単は似合わない』の受賞が決まった松本清張賞の選考会は6年前の昨日のことでした。

私の夢見た「伊佐坂ライフ」は……

 6年前の今日、つまりは受賞が決まった翌日のことです。また文藝春秋に呼ばれて、写真なんかも撮られたりして、急に注目されて、「おお、なんだか作家っぽいな」ってミーハーに思っていました。そこに新しい編集さんがやってきて、「阿部さん、デビューして早々こういう風に言うのはなんなんですけれども、就職はどう考えていますか」って聞かれちゃったんです。

 これ、どういうことかわかりますか? それまで私の考えていた作家というのは……みなさん『サザエさん』って観たことありますか? サザエさんの家の隣にフネさんの女学校時代の同級生が住んでいて、その旦那さんが伊佐坂先生という作家さんなんですね。あれがみなさんの想像するところの作家さん像ではないでしょうか。家でのんびりしながら書いた原稿を出版社に勤めるノリスケさんが取りに来てくれる。あれって実は専業作家さんなんですね。専業作家というのは、小説を書くだけで食べていける人たちです。先ほども言ったように華々しく新人賞を取ってデビューした中でも5年後に生き残っているのはごくわずかという中で、専業作家になれるのは一握りの上澄みの人たちだけです。

 その時の私はまだふわふわしてたので、これで私も作家の仲間入りが出来たんだって思っていたのですが、それを聞いたとある編集さんが鼻で笑って、「賞を獲ったからといって、プロの作家になれたというわけじゃないからね」「阿部さん、このままだとご飯が食べていけないから、とりあえず就職した方がいいと思うよ」とバッサリ……。いったい私の夢見た伊佐坂ライフは何だったんだって思いました(会場笑)。

「これが現実か」って思いました。いろいろな巡り合わせがあって、「作家になる」という夢が叶ったというところまでは、自分でもシンデレラストーリーだったと思うんですが、その後に私を待っていたのは、悲しい現実でした。

酷評されたデビュー作

 しかも、当時、私の作品は酷評されました。「こんなの売れるわけがない」とも言われました。とある業界の人には、「なんで阿部に賞をやってしまったのか。若くて話題性があるということのほかに受賞理由がない」と言われてしまいました。さらに、「これは新人賞を目指す全ての人にとって最悪の見本だ」とまで言われました。悲しいですね。自分が人生をかけて書いたものをそこまで酷評されるのは。

 でも、そう言われた時に、ショックではありましたけれども、そういう風に言われて当然だろうと思う自分もいたのです。だって仕方ないです、自分の実力がないのだから。

 そして、私はその後自分がどうすればいいかもわかっていました。ちゃんと売れるもの、評価されるものを書く。もうあとは書くだけしかやることがありません。そして、私は書いて、書いて、書き続けました。

みなさんに伝えたいことがあります

 現在、それから6年が経ち、ほぼ生き残りがいないと言われるラインを突破し、なんとか私は今、ここに立っています。そこで私がみなさんに言いたいことがあります。

「夢を仕事にする」というのはどういうことでしょうか? 私の夢見ていた「伊佐坂ライフ」の現実は、思っていたのとはだいぶ違うこともたくさんありました。辛いことも、叩かれてへこんだこともあります。でも、それ以上に自分のやりたいこと、夢だったことを仕事にできるというのは、本当に楽しい事です。幸せなことです。

 私は編集さんたちにも家族にも恵まれて、運が良かったから、早い段階でデビューすることが出来ました。でも、運だけではここまで来られなかったと思います。結局のところ、夢は願い続ければ叶うということでもなく、夢を叶えるために行動した人間が、夢を叶えるんだろうと、私は思っています。

 きっと、ここにいるみなさんにもやりたいことがいろいろあって、それはもしかしたら困難な道かもしれなくて、自分の夢を人に明かしたときに、「いやそれは大変だよ」「現実はそんなに簡単にはいかないんだよ」って言う人は、たぶん周りにいっぱいいると思うんです。

夢を仕事にすることは本当に楽しい。辛いことさえ、楽しい

 もし、そうみなさんに言う人がいるのならば、私はみなさんに伝えたい。夢を叶えて自分の仕事にするということは、本当に楽しいことです。辛いことさえ楽しくなります。

 もちろん仕事をするということは、実務的なことも絡んできますし、責任も伴いますし、大変なこと、叩かれること、うまくいかないことがいっぱいあります。でも、そんな苦しさですら楽しくなるということが現実に存在するんだということを、今日はみなさんにお話ししたくてここにきました。それが今日、私がみなさんに伝えたかったことです。

 では、質問があったら、遠慮せずに、「収入はいくらですか?」でもいいので、何でも聞いてください(笑)。

◆高校生たちから“先輩”阿部智里さんへの質問

──小説家になるために、小説を書くこと以外で特に勉強したことはありますか。

阿部 ぶっちゃけ、私は自分の人生の選択肢を、すべて小説を書くのにどうしたら有利かということを基準に選んできました。私が所属しているのは早稲田大学の文化構想学部というところなのですが、そこには作家養成コースもあるんです。でも、私は作家養成コースではなくて、多元文化論系という、どちらかというと歴史重視のところを選びました。なぜかというと、作家になるための勉強というのは、書く方法を勉強する方法と、書きたいテーマを勉強する方法、2つあると思うのですが、今は、テーマやモチーフを深く勉強したいと考えたからです。具体的には、神話や『古事記』『日本書紀』の勉強ですね。日本の伝統文化という授業もあって、そこでは平安装束、いわゆる十二単を実際に着る機会もありました。

──高校時代に小説を書かれたそうですが、部活と小説と勉強と、バランスはどうやって取っていましたか。

阿部 大変いい質問をしていただきました。私の中では小説>越えられない壁>部活>勉強でした(笑)。ここで暴露しちゃいますけど、私はみなさんよりもはるかに成績悪かったと思います。どれだけひどかったかというと、私が大学に受かったことを知った瞬間に、先生が「うっそマジで」って叫んだくらいです(会場笑)。いやぁ、世の中何が起こるかわからないもんですよ。私は模試で「志望校を考え直した方がよい」というD判定以下のやつ。あれしかとったことがありませんでしたから。だから、諦めずにギリギリまで頑張ってください(笑)。ちなみに、私は中学時代は柔道部だったんですが(会場ざわめく)、それも格闘技やアクションを小説で書いてみたくて、自分でも実際に格闘技の経験がしたかったからでした。

──今年の2月に行われた阿部先生の前橋市内の講演会でもお話を聞かせていただいて、今日こうして、もう一度先生とお会いできて、本当にうれしいです。あのとき、先生に握手していただいたおかげで好きな男子に告白できました(笑)。先生は1年に1冊新刊を出されていると思うんですが、どれぐらいの期間でどれぐらいの量を書かれるのか教えてください。

阿部 ありがとうございます。実は、私は今まで大学で勉強しながら小説を書いていたんですね。だから常にフルパワーで書けていたというわけではないんですが……1週間でどれだけ枚数が書けるかというのは、その時々によって全然違います。平均することができないぐらいバラバラです。たとえば、構想を練っている時間は、傍から見ると完全に何もしていない、遊び呆けている状態です。家の前に畑があるんですが、畑をぐるぐるぐるぐる回ったり(笑)。傍から見ると、あの人ちょっとやばい人なんじゃないかという感じなんですが、頭の中では猛烈に仕事をしているんです。それである時ふと、あっこのタイミングなら書けるな、という時がきたら、相当書けます。1日で原稿用紙70枚くらい書いたこともあったかな(会場「えーっ」と驚く)。でも、書けないときは、1週間ぐらい1枚も書けないということも普通にあります。

 あと、付け加えておきたいのは、書いたものをそのまま本にして世に出せるわけではなくて、ボツになったり、書き直したりということが待ち受けています。だから、みなさんが目にしている世の中の本の裏側には、その10倍ぐらいのボツになった原稿があると思っていいんじゃないかなと思います。

──今日のテーマは「夢を仕事にする」ですが、夢がない場合はどうしたらいいでしょうか(会場笑)。

阿部 夢探しに費やせばいいんじゃないでしょうか。私は明確にやりたいことがありましたが、もし小説という夢がなかったとしても、それなりに楽しく生きていたんじゃないかなという気はするんですよね。自分の精神の自由以上に大切なものはありませんから。自分が楽しく生きるにはどうしたらいいだろうと考え続けていれば、何か見えてくるんじゃないかという気がします(笑)。

──執筆中は登場人物と話をしているような気持ちで書いていると言う作家さんがいますが、阿部先生は執筆中にそういうことはありますか。

阿部 よくありますね。私の場合は、頭の中に、精神の部屋っていう小部屋があって、そこに登場人物が進路相談に来たりします(笑)。先日も、突然、あるキャラクターが職員室に入るみたいに「コンコン、失礼します」って入ってきて。「おう、お前どうした」って聞いたら、「なんか自分は悪役向いてないと思うので、このまま辞めてもいいですかね」って言うわけです(笑)。「お前もうちょっと頑張れば、もう少し大きい舞台で活躍できるかもしれないんだよ」って一生懸命説得したんですけど、「無理っス」って言われて、そのままその子の進路が変わってしまったということがありました。

──先生は、幼少の頃からずっとプロの作家さんになりたいって思い続けて、その夢に向かってここまで歩まれてきたわけですが、嫌になったり、夢を諦めかけたことはないんですか。

阿部 全くないですね。これはたぶん夢の定義にもよると思うんですけれども。おそらく私はプロになれなかったとしても、死ぬまで小説は書いていたと思うんです。どんなことがあっても、ずっと書き続けるということを前提にしているので、「夢を諦める」ということ自体が起こらないと思います。

──ありがとうございます。元気が出ました(笑)。

──八咫烏シリーズのファンです。100万部を超える人気シリーズになった八咫烏シリーズを書こうと思ったきっかけや裏話が聞けたら嬉しいです。お願いします。

阿部 ありがとうございます。読んでない方もいらっしゃるので、ちょっと抽象化した言い方でお話しますね。実は八咫烏シリーズというのは、全て高校生のときに書いた『玉依姫』のスピンオフなんです。『玉依姫』というお話の中に、脇役で八咫烏というのが出てくるんですね。烏なんだけれども人間にもなれるというちょっと不思議な存在なんですが、この八咫烏というキャラクターが当時読んでくれた人、友だちや友だちのお母さんたちの間で異常にうけたんですよ。それで、もしかしたらこの八咫烏というキャラクター達を主人公にしたら、面白いものが作れるんじゃないかなと思って、それが今の八咫烏シリーズにつながっていきました。

 さらに言うと、私は平安時代のような舞台設定で、お姫様たちが1人の男性の愛を奪い合うようなものが書きたいなぁと思っていたのですが、勉強するにつれて、いや平安時代の設定でこれはできないと気がついて、お蔵入りしていたんですね。でも、いつもボツになったアイデアも必ずネタ帳に書いているんです。それで、八咫烏というキャラクターを使ったら、もしかしたらあの時ボツになった平安時代風の恋愛物語が書けるんじゃないかと思って、それをかたちにしたのが清張賞受賞作の『烏に単は似合わない』です。ですから、すべて『玉依姫』という、高校時代に書いた1作の話がずっと今につながっているんですね。

──生徒会代表です。今日お話を聞いて、先生の夢に対するゆるぎない信念の強さを思い知らされて、私は自分を恥じました。一応3年生なので、決めた進路はあったんですが、たいした努力もせず、模試の結果に一喜一憂しているばかりでした。今日を転機として私も真剣に進路実現に向けて頑張ろうと思います。また私にはもうひとつ夢がありまして……全然違う分野の夢だったので、諦めるしかないのかとずっと悩んでいました。今日先生の姿を見て、お話を聞いて、やっぱり私も最後まで夢を諦めないで叶えてみせようって思いました。今日お会いできて、本当によかったです。今日はありがとうございました(拍手)。

阿部智里(あべ・ちさと)
1991年群馬県生まれ。2012年早稲田大学文化構想学部在学中、史上最年少の二十歳で松本清張賞を受賞。14年早稲田大学大学院文学研究科に進学、修士課程修了。八咫烏シリーズ第1部(『烏に単は似合わない』『烏は主を選ばない』『黄金の烏』『空棺の烏』『玉依姫』『弥栄の烏』)6冊と『八咫烏外伝 烏百花 蛍の章』で累計100万部を超えた。

八咫烏シリーズ特設サイト
http://books.bunshun.jp/sp/karasu
八咫烏シリーズ公式twitter
https://twitter.com/yatagarasu_abc
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(「文春オンライン」編集部)

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