前代未聞の“フェイクニュース”である。

 ウクライナ治安当局は5月29日、反プーチンのロシア人ジャーナリストで、亡命中のアルカディ・バブチェンコ氏がキエフで暗殺されたと発表した。だがその翌日、一転して「発表は偽装であり、実際の暗殺を阻止するおとり捜査だった」と訂正した。

 自宅アパートで3発の銃弾を受け、血まみれで横たわる写真が世界に配信された同氏は記者会見に現れ、「1カ月前に作戦に加わった。3つの穴が開いたTシャツを渡され、本物のブタの血を使って死人に扮した」などと釈明した。

 ウクライナ治安当局によると、ロシア情報機関のエージェントであるボリス・ゲルマンという人物がバブチェンコ氏殺害を3万ドル(約330万円)で殺し屋に依頼したとの情報をキャッチした。このため、暗殺の偽情報を流し、ゲルマンとロシア機関の直後の交信を記録し、証拠を掌握したという。ウクライナ側はゲルマンを拘束し、ロシアによる計47人の暗殺対象リストを入手したとしている。

 ポロシェンコ大統領は、近年反露派記者らの殺害が続き、迷宮入りしていることから、強引な捜査が必要だったと理解を求めた。しかし、訂正報道を強いられた記者からは「法執行機関の信頼性を疑わせる」(キエフ紙)などと評判が良くない。国際ジャーナリスト組織「国境なき記者団」は、この作戦を「哀れな茶番だ」と酷評した。

 ロシア外務省は「ウクライナ指導部の反露ヒステリーが常軌を逸していることを示した」と攻撃。3月に英国で起きた露元スパイの暗殺未遂事件についても、「ロシア犯行説は同様にフェイクニュースだ」と宣伝に利用している。

 唐突な偽装事件には謎の部分が多いが、ロシア・ウクライナ間の神経戦の高まりを示した。ロシアは5月、併合したクリミアとロシアを結ぶ大橋を完成させ、実効支配を強化した。ウクライナ軍は米国から提供された対戦車ミサイルを配備し、東部の親露派支配地区で使用準備に入っている。

 来年の大統領選に向け、支持率の低いポロシェンコ大統領が賭けに出たとの見方もある。4年になるウクライナ東部の内戦が、これを機に激化する恐れもあろう。

(名越 健郎)

“生きていた”バブチェンコ氏 ©共同通信社