女優の黒柳徹子が自身のInstagramを更新。NYに留学していた38歳の頃の写真を公開し、反響を呼んでいる。

ニューヨークに、留学していたときに、住んでた私の部屋の写真。 大きいワンルームを、自分なりに仕切るスタジオという形式のアパート。 お芝居を勉強するために、ここに一年住んでいた。 私が座ってる場所は、ベッドと対角線になっているところにあって、このアームチェアのうしろは、大きい窓になっている。 カーテンの端が、ほんの少し左に見えるところを見ると、記憶は、確かだと思う。 お化粧をするときは、いつも、このアームチェアを鏡の方に向けるけど、たまにこんな風に向きを変えて、部屋全体が見えるようにして、考え事をしてたこともあった。 目の前には、暖炉もあった。 アメリカらしく、大きいアームチェアで、私が座ると、小さく見える。 でも、本当は、こんな風に静かに座って、ものを考えるという時間は、ほとんど無かった。 演劇学校には、毎日のように出かけたし、夜は夜でお招かれディナーで、急いで支度をしなくちゃならないし、引き込み線に入るつもりで仕事を、一年休んで将来を考えるのも悪いことではなかった。 女優の山岡久乃さんが「私なんかは、養わなきゃならない家族があって、そんなこと出来ないけど、あなたは身軽で出来るんだから、ゆっくりしてらっしゃい。」と言ってくださった。 沢村貞子さんは「いいね、休んどいで。でも、私は、2年は長いと思うよ、日本の芸能界は、待ってくれても1年だと思うよ!」と言った。 私は、居心地の良さに2年でもいいのかなぁ?と、心の中で思っていたけど、1年後にテレビ朝日から、突然電話があって、新しく始まる「ニュース・ショー」のメインの司会者になって欲しいという依頼だった。 それまで日本では、番組メインの司会者は、全て男性で女性は隣に立っている存在。 たまに「えぇ。」と言ったり、「ニコリ」と微笑んだり、というくらいだった。 そして、制服のように、みんなが、白いブラウスに紺のタイトスカートのようなものを、履いていた。 しかも、テレビを見ている女性に、反感を持たれ無いように、たいがい抜擢される女性は、主婦か、主婦の経験のある人に限られていた。 私は、そのどちらにも当てはまらなかったので、「ダメだと思う」とテレビ朝日の人に言った。 すると、電話の向こうのテレビ朝日の人は、「だからお願いしているんです」と!! 「世の中、変わってきているんです。あなたみたいに独身で、ニューヨークへ行ったりして、自分の世界を持っている人の感覚が必要なんです。あなたに好きにやってもらいたいと、僕達は考えているんです。」との電話だった!! 私は、考えた。 「あと一年、ここにいて楽しい暮らしをするのは確かに魅力的💕 でも、所詮仕事に戻るなら、新しい分野で仕事をしてみるのもいいかもしれない。」 1973年秋に、私は、日本に向けて飛び立った。 その時、別れが辛かった人も、居なくはなかった。 結婚も申し込まれたりもしていた。 でも、結局、私は仕事を選んだということになるのだろうか。 将来を考えて。 38歳の私です。

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 同投稿で黒柳は、大きなグリーンの椅子に体育座りをする38歳の頃の写真を公開。これは、女優業を休んでNYに留学していたときの写真のようで、「演劇学校には、毎日のように出かけたし、夜は夜でお招かれディナーで、急いで支度をしなくちゃならないし、引き込み線に入るつもりで仕事を、一年休んで将来を考えるのも悪いことではなかった。」と当時の生活を振り返った。


 さらに、「私は、居心地の良さに2年でもいいのかなぁ?と、心の中で思っていたけど、1年後にテレビ朝日から、突然電話があって、新しく始まる「ニュース・ショー」のメインの司会者になって欲しいという依頼だった。」と、新しい仕事が舞い込んだことで日本に戻ってくることを決意したというエピソードを披露。


 「1973年秋に、私は、日本に向けて飛び立った。その時、別れが辛かった人も、居なくはなかった。結婚も申し込まれたりもしていた。でも、結局、私は仕事を選んだということになるのだろうか。将来を考えて。38歳の私です。」と、恋愛についても悩んでいたことを明かした。


 そんな黒柳の投稿には、「映画のワンシーンみたいです」「可愛いっっ38歳に見えません」「38歳だけど、少女のようですね」と年齢を感じさせない写真へ絶賛の声や、「徹子さん、本当に素敵な人。魅力に溢れてます。」「なんだかじんわり涙が出てきました。」「今、見ても聞いてもかっこいい!」「タイミングを逃さない生き方カッコいいです」と生き方そのものに感動したというコメントが多数寄せられていた。