パリでサインを求めるフランス人記者の手が震えていた。その震える手から本を受け取ってペンを走らせていたのが、日本を代表するSF漫画家・松本零士さんだ。今年6月、パリ日本文化会館にてフランスJET(語学指導等を行う外国青年招致事業)30周年記念イベントで松本さんの講演会が開かれた。それに先立つ個別取材時に起きたその光景は、この記者にとって松本さんの存在がいかに大きいかということを物語っていた。

フランスで松本さんは、2012年にフランス芸術文化勲章シュバリエを受けている。今回の講演会も予約開始当日に満席となる人気ぶりだった。その松本さんに、松本さん自身とフランスとの関係についてうかがった


無意識のうちに影響を与えているフランス
――フランスでは日本に関心を持つ人の割合が多く、松本さんの代表作『キャプテン・ハーロック(仏題:キャピテーヌ・アルバトール)』などの認知度も高いです。一方で松本さん自身も、漫画家になる前の幼少の頃からフランスとは浅からぬ縁を感じていたそうですね。

私の父はかつて陸軍のパイロットでした。戦前に陸軍士官学校を出た後、埼玉県の入間にフランスから来ていた飛行教導隊と一緒に、フランス製の飛行機に乗るなどしてパイロットになりました。そのため幼少の頃に父親からフランスの話は聞いていました。

フランス芸術は子どもの頃からの憧れでもありました。特にフランス映画が大好きで、特にジュリアン・デュヴィヴィエ監督『わが青春のマリアンヌ』にとても影響を受けています。主演女優マリアンヌ・ホルトの美しさ、舞台であるオーストリア・ウィーンのハイリゲンシュタットの風景。本当にきれいなんです。

――『銀河鉄道999』のヒロイン・メーテルなど松本さんが描く女性も、見た目は日本的というよりは西洋の女性を意識していますよね。

少年時代から、西洋的なものを無意識のうちに描いていたんです。ダゲレオタイプという昔の銀盤写真が家から出てきたんですが、先ほど述べたような父とフランスとの関係以外にも、祖父も幕末の時代にフランスやイギリスなどヨーロッパと接点があったようです。だから私もフランスに来ると懐かしい気持ちになります。不思議な気分です。


――フランスのバンド・デシネが松本さんに影響を与えたことはありますか?

そこはあまり気にしたことはないです。ただフランスについては、先ほど述べたように映画を始め、いろいろなものをたくさん見ていますから、無意識に影響は出ています。ファッションや歴史的なフランスの美術、音楽も好きで、本も絵も可能な限り持っています。

かつて王室向けに作られたタペストリーにゴブラン織りというものがあるのですが、そういうものも以前フランスで購入して、今は玄関に飾っています。漫画家だと伝えると安くしてもらえて、とても良い国だと思いました(笑)。

漫画を読みたいがために語学を勉強
――戦後に日本へ進駐したアメリカ軍が持っていた漫画を何度も読み返したとか。

当時、アメリカ軍の兵士は『スーパーマン』など、読んだ漫画を道端に捨てていったんです。それを集めて売る日本人がいました。当時の金額で5円とか10円ですね。汚れているのだと5円、きれいなものはないのかと聞くと、自分が座っている箱の下から出してきて10円で売るんです。それらをよく読んでいました。

以前、オークションなどで『スーパーマン』の初版本にかなり高額な値段が付いていて驚きました。家には当時の漫画が山ほどあるのですが、そういうのも埋もれていると思います。ただ、本の数が膨大なため、探して見つけることは一苦労ですが……。

――当時古本でアメリカの漫画を読んでみて、自分の中で驚きなどありましたか?

それより以前から『ミッキーマウス』や『ポパイ』などを知っていたので、特別な驚きはありませんでした。ただ、アメリカ軍が読んでいた漫画は当然すべて英語ですから、それを読むために英語の勉強をしました。辞書と格闘しつつ漫画を読んだんです。そのため英語だけは分かるようになりましたね。今は英語圏の国なら通訳なしでなんとかなります。


――フランスでも日本の漫画ファンが、作品を読みたいがために頑張って日本語を勉強しています。英語ができると英語圏での国でのファンや漫画関係者との距離も近くなりますね。

お互いにそうですよね(笑)。英語ができたことで、例えばハリウッドへ行った際には関係者とじかに話をして、映画撮影における秘密や面白い業界内の話を教えてもらえたこともありました。「広島や長崎をどう思うか?」といった戦争についての意見交換もしました。


戦争漫画を描いてきたが思想、宗教、民族感情は傷つけたくない
――日仏でファンの松本さんの作品に対する捉え方は変わりますか?

先祖代々からつながる意識と変化が双方にありますから、それは変わります。ただ喜怒哀楽という点は世界共通です。また私はあらゆる戦争漫画を描いてきましたけど、子供の頃から思想、宗教、民族感情といったことは意識としてはっきり自分の中にあって、誰も傷つけたくないと思ってきました。これは父から聞いた話が元になっているんです。

軍人だった父は、戦争で部下の4分の3を失いました。また戦争末期に、特攻隊として出撃するための隊員を選ばなければいけないということもあったそうです。その際に父は、結局選べず自分のところに丸を付けて出しました。そうしたら「隊長がいなくなってはダメだ」と言われ、若者のところに印をつけなくてはいけなかった。これが、とてもつらかったと言っていました。空で敵を撃墜するときにも、相手にも悲しむ子どもや家族がいると思うと撃てない。しかし戦争ですから、鬼になって撃たなければならなかった。戦争は残酷なものだということは常に聞いていました。

――松本さんのお話をうかがっていると、本当によくお父さまのお話がでてきます。

子どもの頃は、私も父と同じように空を飛びたいと思っていました。ただ、中学生の時に近眼になってしまって、それでパイロットはあきらめて、漫画を描く道に進みました。高校生の頃から新聞や雑誌などに漫画を描いており、そして漫画家になりました。


――今後の漫画家人生でやりたいことはありますか?

新しい映像技術を駆使した作品を作りたいと考えています。こういう時代ですから、地球上全域が自分の活動の場になるとうれしいです。私も受け入れますので、お互い国境なく楽しめる世界が来ると楽しいなと思います。
(加藤亨延)