今回は「褒める」というテーマで書いてほしいとの依頼を編集部から受けました。褒める……。確かに最近は講演会や取材先でも、

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「使える褒め言葉を教えてほしい」

「うちの会社は褒め合うカードを作りました!」

「褒められて人はホントにうれしいでしょうか?」

 といった具合に、褒めたい人、褒めている人、褒める効果を疑っている人など、時に堂々と、時にこっそりと打ち明けられる機会が増えてきました。

 本屋に行けば「褒める」とタイトルのついた本が「これでもか!」というくらい並び、アマゾンで検索をかけても「すごっ!」と驚くほどたくさんの本が引っ掛かります。

 ところが……、編集部によれば「日本企業ではまだまだ『称賛』が浸透していないのが現状だ」とか。なるほど。「そりゃそうだよね」と至極納得。

 え? なぜって??? それを解き明かそうというのが今回の魂胆です。

 ……というわけで、今回は「褒めるのがうまくいかないワケ」と、私の「褒める」に対する正直な意見を書くことにします。

●あの「パワハラ暴言」を擁護した人たち

 まずはこちらのお話から。これまで何人もの方たちがこんなことを言っていました。

 「昔は毎日がパワハラですよ。でもね、僕はその上司のことが嫌いじゃなかった。どちらかと言えば、好きだった。だって、部下の教育に熱が入るあまり、ついついキツイこと言ったり、足が出るなんてことは誰にだってあるでしょ?

 もちろんこんなご時世ですから、暴力はダメですよ。そうそう、絶対にダメ。でもね、愛のムチは時には必要だと思うんです。ところが最近は、なんだかんだと細かいことばかりで。ホント生きづらい世の中になりました。余裕がなくなったってことかね~」

 こうやって「愛のムチ」という便利な言葉で、昔の理不尽な上司部下関係を美化する意見を聞かされてきました。いまだにフィールドワークのインタビュー中や宴席などで耳にするので、「本音を言えば……」という方は想像以上に多いと思います。

 そして、彼らは「あれはアウトでしょ?」という暴言でさえ容認し、「暴言は言わせる方にも問題がある」と、今度は「部下の問題」にすり替えることを度々します。

 思い起こせば“あの時”もそうでした。

 昨年、連日連夜ワイドショーが取り上げた、「バカかお前は! 死ね! 生きている価値ないだろう」(by 豊田真由子前議員)発言です。

 どこをどう切り取っても、「アウト~~~っ!!」というこの暴言に対し、一部の人たちは「録音するのってどうよ?」と運転手(秘書)の行為を非難し、これが“運転手のミス”のあとのやりとりだったことが報じられると、「運転手がミスしたからでしょ? 指導とパワハラの境界線って難しいよね~」と顔をしかめました。

 細田博之自民党総務会長(当時)に至っては「高速道路の逆走が原因」とわざわざ説明し、豊田氏を擁護。河村建夫元官房長官が「あんな男の代議士なんかいっぱいいる。(豊田代議士を責めるのは)かわいそうだ」と述べた時も(発言は撤回)、「政治家では珍しいことではない」と、暴言を“擁護”する政治評論家もいました。

●「社員は全員、立派な社会人」

 いったいなぜ、彼らはこういった「暴言・暴行」に理解を示し、「心理的な抑圧」が人を成長させるなどとのたまうのでしょう?

 申し訳ないけど、私には全く理解不能なのです。だって、そういう方たちが懐かしむ昭和の時代にも、理不尽な扱いに悩み、誰に話すこともできず、ひたすら耐え、なかには耐えきれずに会社をひっそりと辞めていった人だっていたかもしれないわけです。

 そもそも社員は、会社に労働力は提供しても、人格を預けたわけじゃない。「上司と部下」「リーダーとフォロワー」という関係にあったとしても、誰もが例外なく労働者である以前に人間です。新人であれ、3年目の社員であれ、役職もないヒラの30代社員であれ、「社員は全員、立派な社会人」です。

 相手への「敬意」がない。そうです。愛のムチを肯定する人たちは自分の気持ちだけを優先し 、相手の「心」を忘れているのです。

 実は「社員は全員、立派な社会人」という言葉は、以前、日本を代表する財界人であり、大企業のトップを務めた方がおっしゃっていたことです。自分が今のポジションに上り詰められたのも、「社員は全員、立派な社会人」と言ってくれた上司がいたからだ、と。

 つまり、上司が「敬意を持って接すること」が部下のやる気と、「しっかりやろう」という当事者意識を喚起させたのです。

 新人の部下であれ、30代のベテラン部下であれ、彼らは「部下」であると同時に、1人の人間です。「1人の人間として、部下と接してみる」のは、想像以上に難しいことかもしれません。でも、人間には例外なく「認めてほしい」という気持ちがあります。

 敬意を持って接することは、「あなたを認めています」というメッセージと同意です。いかなる言葉を上司がかけようとも、その意味を決めるのは受け手の「部下」です。受け手は、送り手が「自分をどう思っているか?」ということを考えながら、相手の言葉の意味を決めます。

 「キミ、すごいじゃないか!」という褒め言葉でも、「この上司は僕のことをコマとしてしか見てない」と感じている部下は、「なんだよ。突然。なんかまた変な仕事、降ってくるんじゃないのか」などと警戒するでしょうし、「この上司は僕のことをばかにしてる」と感じている部下は、「また、バカにしやがって。これくらいいつもやってることだよ」と逆ギレするかもしれないのです。

●「心」を大事にすれば、部下は動く

 相手への敬意、部下への敬意――。

 この気持ちが「部下」を動かします。実は先の大企業のトップは、若い頃、かなりのイケイケで生意気だったと言います。でも、「口だけ番長」にならずに、自主的に動き、より真剣に取り組み、仕事を次々と成し遂げ、リーダーとして頭角を現したのも「一人の社会人」として真正面から向き合ってくれた上司がいたからです。

 そして誰もが、自分に敬意を払い、「一人の社会人」として向き合ってくれる上司に出会った時、「おかしなことはできない」と前に進む努力をすると思うのです。

 とはいえ、まだまだ経験も浅い、スキルの未熟な社会人初心者です。気持ちだけでうまく回るわけもなく、逆に気持ちだけが空回りしてしまうことだってあるでしょう。

 ここが「上司の出番」です!

 部下の教育は、上司自身が部下を「一人の社会人」として敬意を払うことから始まり、その先で手ほどきする。仕事に必要な情報、知っておくべきこと、やっておくべきことなどを部下に手ほどきする「インフォメーション上司」として、隣に立てばいいのです。

 そこに「愛のムチ」は必要ないし、「褒め言葉」も必要なし。

 きちんと部下がやっていれば、「やってるな! ちゃんと見てるぞ!」とメッセージを送り、部下が壁にぶつかっている時には、「おう、どうした?」と声をかけ、部下がやってくれた時には、「よし! いいぞ!」と認めればいい。

 相手の「心」をちょっとでもイメージすれば、自ずと「言葉」をかけたくなるのではないでしょうか。

 確かに褒められればうれしいかもしれません。褒められると「よし!」という気持ちになるかもしれません。

 でも、「教育のため」の褒め言葉なんて必要なし。少なくとも私は、そんな褒め言葉、いらない 。それより「私を認めてほしい」と願います。自分がやっていることをきちんと「見てほしい」と。そして、その「心」を潤す「言葉」が届いた時、それは自分にとって「最高の褒め言葉」になっていくのです。

【更新:2018年7月13日19時00分 諸事情により、内容を一部変更しました。】

(河合薫)

なぜ、褒めようとしてもうまくいかないのか