©押見修造/太田出版 ©2017「志ちゃんは自分の名前が言えない」製作委員会

7月14日より、映画『志ちゃんは自分の名前が言えない』が開されます。

本作は「惡の華」や「ぼくは麻理のなか」などで知られる押見修造氏のマンガ原作としており、描かれているのは高校生になったばかりの少女たちの青春模様。それも、ただ楽しいだけではない、辛く苦しい日常が描かれながらも、彼らを救済するような優しさも同時に感じられる物語になっていました。

演は『幼な子われらに生まれ』の南沙良と『三度殺人』の珠、脚本は『百円』で日本アカデミー賞で最優秀脚本賞を受賞した足立紳。監督を務めた湯浅章は本作で長編商業映画デビューとなりますが、ドラマワカコ酒」や乃木坂46ミュージックビデオなどを手がけており、各界から高い評価を得ています。

のあるキャストスタッフが手がけた本作は、青春映画としてはもちろん、音楽映画としても、マンガ実写映画化作品としても、「これ以上のものは望めないのではないか」と思えるほどの完成度を誇り、画の一つひとつが瑞々しいきを放っていました。

ここでは、湯浅監督へのインタビューをお届けします。読めば“なぜ劇中の主人公たちと同じ10代の俳優を選んだのか”、“なぜここまでの演出ができたのか”かがわかりますよ。

1:“荒削り”な演出がハマった理由とは? 俳優たちの実年齢も重要だった!

──監督ご自身が、本作について「(南沙良、珠、萩原利久の)3人が体当たりで演じてくれたおかげで、今まで観たことのない荒削りで繊細で強い作品になりました」とコメントされていました。その“荒削りで繊細で強い作品”になったと感じた根拠はどこにあるのでしょうか。

若い俳優である彼らが悩みながら演じている姿こそが、それぞれのキャラクターシンクロしているということですね。そのドキュメンタリーとも言える演出の仕方が荒削りと言えば荒削りかもしれませんが、結果的にそれがうまくハマったかなと。こちらで導いてあげることもあったのですが、あえて導をせずに悩ませたりして、ある意味では演技ではない、本当に悩んでいる姿になっていたりもするんです。

 
──南沙良さんと珠さんの演技がとても自然で、2人が仲良くなっていく過程もとてもリアルでした。

満場一致で演が決まった田さんと、後から共に演に決定した南さんとの関係性がどのようになってから現場入りするかというのは、実験的なところがありました。2人が仲良くなっていなかったら、それを生かす演出もあるかなと考えていたんですけど、予想以上に2人がめちゃくちゃ仲良くなっちゃっていたので「ちょっと離れて」と調整したところもありましたね(笑)。でも、仲良くなったからこそ彼女たちはリラックスして役に入り込めて、かつ役に摯に向き合えたんだとも思います

 
──2人が船の上でじゃれ合うシーンは、演じている実際の南さんと田さんが本当に親しくなっているんだろうなあと想像できました。

あそこ全に“素”でしたね(笑)

 
──田さんが演じる加代のクールな可さというか、ツンツンした態度も実にハマっていましたね。

初めに田さんに会った時すぐに「あ、加代だ」と感じていましたね。監督としては、単に冷たく接するだけでなく「そこは母親的な接し方をして」とか「ここはちょっと年下っぽくなるんだよ」などといった演技導をしていました。

 
──萩原利久さんの演じる“ウザキャラ”も素らしかったです。脚本家足立紳さんの手で、原作から大きくキャラクターが膨らんだとお聞きしましたが、監督の印はいかがでしたか。

足立さんはダメ人間を描くのがすごく上手いんですよね。その足立さんの個性がはっきりと表れたキャラクターを、2人の主人公に対する異分子的な存在として萩原君は実に上手く演じてくれました。観ている側にイラつきを感じさせつつも、一方で、彼なりに必死に生きようとする姿は生身の人間が演じることでより親身に感じられるようになったと思います。

 
──撮影当時に南さんと田さんは14歳でした。田坂プロデューサーの作品では『ミスミソウ』もそうなのですが、俳優の実年齢とキャラクターシンクロしていることが大きな魅になっている作品だと思いました。

彼女たちは“完成されてない”からこそ面い演技をされるんだと思います。は連続ドラマ監督もしていて、キャリアの長い俳優さんと仕事をすることも多いのですが、やはり今回の映画とは感覚が違いました。例えて言うなら、ドラマプロ野球監督で、映画では高校野球監督みたいな感じだったかもしれません。今回は一言の演出だけで彼らの演じ方がガラッと変わったりして、の想像以上のものが出来上がったりもするので、とても楽しかったです。

©押見修造/太田出版 ©2017「志ちゃんは自分の名前が言えない」製作委員会

2:原作と舞台が変わっていた! “逆光”の演出の意図とは?

──原作は山間部の田舎が舞台でしたが、映画静岡沼津で撮影されています。舞台を辺の町に変更した意図を教えてください。

原作のように山々に囲まれた狭い田舎社会を描くという選択肢ももちろんあったのですが、舞台を開放感のある、漁港近くの場所にすることで、“美しい色であるのに、その中にぽつんといる登場人物の心は暗い”というコントラストを描く方向性もあると考えたんです。その美しい色の中で主人公の2人が仲良くなるということが、周りへの視野が広がる、世界美しいと感じられることにもつながると思います。

 
──監督が手がけた「ワカコ酒」や乃木坂46ミュージックビデオを観てみると、逆光などのの演出に特徴がありますよね。本作でもカラオケに入る前のシーン演奏シーンでそれと似た演出を感じました。監督はこれらの演出で何かこだわりはあるのでしょうか。

ミュージックビデオではわざと量を多くして撮っていたりするんですよ。本作の演奏シーンでは晴れ晴れとした気で自然逆光の演出になったのですが、カラオケに入る前のシーンでは志が泣いてしまうこととのコントラストをつけたかったため、あえて逆光の画にしています。登場人物の心は沈んでいるのに、画はキラキラしているというのは普通はやらないことだとは思うんですが、そこはあえて挑戦していますね。

3:“吃音だけを描いた映画にはしたくない”理由とは?

──吃音の描写は、吃音がある方々にお話を聞き、参考にされたということですが、そこで何か気づかれたことはありますか。

幅広い世代の方々に、たくさんお話を聞くことができました。大学生くらいになると自分の中で吃音との向き合い方がわかってくる方もいて、自分の中では解決できているということもあるようでしたが、中学生高校生はまだ悩んでいるっ最中というように感じました。中には自分の名前を言うだけで2030分かかってしまう方もいたりもして、やはり接してみないとわからないことがたくさんありました。自分を表現できる方もいれば、自分の抱えている問題をかに相談できないという方もいらっしゃる。そもそも、こういう場にも来られない方もいたり、親に相談できていない方もたくさんいるんだろうとも想像しました。そのように吃音で悩んでいる方たちが観た時に、どのように感じられる映画になるかということには、かなり気を使いました。また、吃音だけを描いた映画にはしたくない、10代のが観ても共感できる内容にしたいと考えていました。

 
──原作者の押見修造さんも「“吃音マンガ”にしたくはない、にでも当てはまる物語にしたい」とおっしゃっていましたね。この映画も“吃音”や“どもり”といった言葉を使っておらず、その押見さんの意思をしっかり受け継いでいると感じました。

そうですね。物語の始まりに吃音があったということだけで、“吃音だから”だけではない、人との接し方といった普遍的な問題を描いています。それは脚本の段階から気をつけていたことです。

4:映画化にあたっての具体的な工夫とは? “時間”の描き方に注目!

※以下からは劇中のシーンに少しだけ触れています。核心的なネタバレはありませんが、予備知識なく観たいという方はご注意ください。

──“志目覚まし時計を止める”という、原作とは異なるファーストシーンから感動しました。

時計は“ここから(映画が)始まる”という徴です。「もうすぐ覚ましが鳴るのがわかっている」「緊して寝られなかったんだろうな」ことがわかる止め方になっていますよね。ファーストシーンは特に大事だと思っていたので、ここはこだわりました。最初の脚本から少し形を変えたので、これはアイデアと言えるかもしれません。

 
──志が上手く自己紹介ができずに孤立してしまうまで、“カウントダウン”のように生徒一人一人の自己紹介を時間をかけて描写していたのも印深かったです。

「こういう映画なんだ」ということを初めに示しておきたかったんです。マンガとは違って映画には“時間”というものがありますから、そこは省略したくはありませんでした。

 
──おっしゃるとおり、映画内の時間がとても有効的に生かされていると感じました。終盤の“バス停で待ち続ける”というシーンも、原作にはないオリジナルの描写ですよね。

ここも時間で、2人の葛を描きたかったんです。中盤でも2人は演奏に行くためにバスに乗っているので、その対としても終盤はバス停に2人がいるというのが良いと考えました。バスは2人の幸せだったり、未来だったり、人生徴と言えますね。

 
──志文字を書くシーン原作では公園だったのですが、砂に変更されていましたね。

現実だと公園の地面に文字を書いてもなかなか読めないと思うので、砂のほうが自然ですよね。また、原作では志はけっこうな長文を書いていたんですけど、映画では間が持たないということもあり、シンプルな文言になるように調整しました。

 
──原作と全く違うラストシーンも素らしかったです。

そう簡単に人生は上手くいかないけど、この後も人生は続いていく……そんなに“その後”を想像させるようなラストにしたかったんです。全てではないですが多くのシーンを“順撮り”にして、最後に体育館のシーンが撮れたということ、そのクライマックスを見据えて撮影できていたということも、作品に大きく貢献していたと思います。

 
──大人になったからこそ気づかされたり、感動できることも多い作品であると感じました。

でもかつては10代でしたからね。この映画で描かれた“初めての出来事”に、志たちがもがき苦しみ、葛しながら必死に生きようとする姿は、大人になってから振り返って観てみると、何かしらの刺を受けると思います。あんなに必死になっていたことを、大人になってどう感じるのかという楽しみ方もあると思います。大人がこの映画を見て何も思わないということは、絶対にないでしょうね。もちろん、志たちと同年代の10代の方にも観て欲しいです。

まとめ

本作は吃音で悩む女の子主人公としながらも、その葛や成長は10代を経験した人、また青春中にいる人、すべての人が共感できる物語になっています。映画ならではの時間の使い方や、キャラクターの実年齢に近い俳優が演じたことなどにより、その魅がさらに際立っていることは疑いようもありません。監督ご自身は“荒削り”ともおっしゃっていましたが、その俳優たちの演技、そして映画作品としての出来は璧と言っても過言ではないでしょう。

『志ちゃんは自分の名前が言えない』は、新宿武蔵野館で7月14日より開、全の劇場で順次ロードショーとなります。幅広い世代の方に観て欲しいです。

 
(取材・文:ヒナタカ

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