「運を開く」ために必要な考え方とは何か。バラエティプロデューサーの角田陽一郎さんは、初代総理大臣・伊藤博文を例に引いて、「ひとつの考えに固執せず、風見鶏のように対応を変えるスタンスこそがいい結果を招く」と分析します。「“唯一”を求めないほうが、運が開ける」と説く理由とは――。(第5回、全5回)

※本稿は、角田陽一郎『運の技術 AI時代を生きる僕たちに必要なたった1つの武器』(あさ出版)の一部を再編集したものです。

■伊藤博文に見る開運のヒント

いよいよこの連載も最終回です。ここまで、いろんな芸能人の方々の運のつかみ方をご紹介してきました。その最後を飾るのが、伊藤博文です。

「えっ、なんで?」「最後に奇をてらった?」

いえいえ、そういうわけではありません。伊藤博文がなぜ総理大臣になれたのか。そこには、情報革命後の現代であるからこそ参考にしたい開運のヒントが隠されているからです。

説明するまでもありませんが、伊藤博文は、松下村塾の門下生で、幕末期の倒幕運動に参加。明治維新後も着々と力を蓄え、日本の初代内閣総理大臣となった立志伝中の人物です。ちなみに私が知る限り、日本では「貧しい境遇から国のトップにまでのぼりつめた」人が3人しかいないと言われています。豊臣秀吉、伊藤博文、そして田中角栄です。

■ヒーロー性に欠ける人物像

皆さんは意外に思われるかもしれませんが、伊藤博文を主人公にした大河小説というものはほとんどありません。脇役としては頻繁に登場しますが、主人公として壮大な物語は描かれない。これだけの有名人で、これだけ功績を挙げているのに、なぜでしょうか。

不思議に思っていたら、僕の尊敬する司馬遼太郎が、インタビューでこんなことを言っていました。

「小説の主人公は夢や大志や希望を持っていないとおもしろくないが、伊藤博文には、それがない」

たしかにそうです。博文は風見鶏というかカメレオンというか、こっちの陣営が有利だと思ったらこっちにつき、あっちの人に寄れば得だと思ったらあっちの人につく。朝令暮改で一貫したポリシーがない。

しかも遊郭好きときている。誰もが憧れるヒーロー性に乏しい。主人公になりえなくて当然です。だったら、なおさらトップを取れた理由がわからないと思われるでしょうか。いや、だからこそ初代総理大臣になれたのです。

■風見鶏であるからこそ総理大臣に

博文は特定のイデオロギーや信条で動いていたのではなく、「この日本を滅ぼさないように」というただひとつの目的のために動いていました。もしある特定のイデオロギー――たとえば「尊皇攘夷」――に染まり、その思想に凝り固まってしまえば、国の状況が変化して本当は開国したほうがいいとなっても、頑なに拒否するでしょう。人間はイデオロギーに凝り固まると、融通が利かなくなるのです。

であれば、風見鶏のように世の中の風向きにしたがって、都度都度判断すればいい。大目的である「日本を滅ぼさない」ためには、たかだか人間が空想的に作ったひとつの考え(イデオロギー)などに固執しないほうがいいわけです。

そういうスタンスだったゆえに、彼は一国を引っ張る内閣総理大臣になれました。しかも総理大臣は初代、第5代、第7代、第10代と4回も務め、ほかにも初代枢密院議長、初代貴族院議長、初代韓国統監を歴任しています。

イデオロギーに固執しない。新しい考えを排除しない。昨日までの自分に縛られない。状況に応じていかようにも対応できる博文のスタンスを、僕は「渦」だととらえています。

■来るもの拒まず、去るもの追わず

「渦」には大きく2つの特徴があります。

まず、渦というのは実体がありません。渦とは水が螺旋的に流れ込んでいる「状態」であって、ある形をもった「形態」ではないのです。

そして、渦には「常に」水が流れ込んでおり、「常に」水が流れ出ています。この動きが止まることはありません。来るもの拒まず、去るもの追わず。外界に対して常にオープンです。どんなタイミングで何が入ってくるのも、どんなタイミングで何が出ていくのも自由。

何かを後生大事に「占有」していたり、特権的な何かに「執着」していたりする人に運は向いてきません。自分自身に実体はなく、自分の周囲にいろいろな人が集まって、自分自身にいろいろな作用を施し、自分からいろいろなものを生み出す。

そういう「システムを構築」することが、すなわち開運だと僕は考えています。

■世の中を変えた3つの革命

これまで世界は3つの革命を経験してきました。それは「農業革命」「産業革命」、そして「情報革命」です。

「農業革命」は「天動説」的世界観。王様というひとりの「自分」を中心に世界が回っている状態です。

「産業革命」は「地動説」的世界観。あるひとりではなく、「社会」や「組織」というものが回る。どれだけ効率よく回すことができるかが勝負であり、「エクセル的な思考」のなかで完璧に生きることが求められます。

「情報革命」がもたらしたのは、いわば「旋動説」とでも呼ぶべき世界観。旋動の「旋」は螺旋の「旋」。つまり渦巻き的世界観です。自分という中心固定点があるわけでも、社会や組織が中心になって回っているわけでもない。主も従もなく、皆がそれぞれに動いている、回り続けているイメージです。

■エクセル的思考は「ブレ」がない

エクセルは表計算ソフトなので、インプットに対するアウトプットが必ずあります。ある値を入力すれば、ある関数にもとづいて計算され、ある決まった値が「たったひとつだけ」出力される。それは唯一の「正解」であり、ほかの可能性は完全に排除されています。入力に対する出力は厳密に1対1であり、そこに「遊び」やアバウトさは皆無です。

また、エクセル的思考は想定外のインプットを許しません。具体的に言えば、あらかじめ害毒になりそうだと判断したものは入れないのが、エクセル的思考なのです。

これだとたしかにリスクは避けられますが、情報革命以降の「価値観の突然変化」時には、「インプット時には無駄と思われていたが、後になって価値が出たもの」の取りこぼしが生じます。下ブレはしませんが、上ブレもないのです。

しかし「渦」は違います。いつインプットしてもいいし、いつアウトプットしてもいい。インプットとアウトプットに厳密な相関関係がなくても構いませんし、タイムラグがあっても構わない。1のインプットに対して10のアウトプットでもいいし、100のインプットに対して1のアウトプットでもいい。だからこそ渦巻き思考は自由だし、不測の事態にも対応できます。これが、情報革命の起きた現在に求められる思考なのです。

渦巻きは「来るものを拒まず」ですから、インプットに害毒が混じっていようが無価値に見えようが、広い心で構わず取り込みます。

また、渦は常に対流しているので、しばらく泳がせた後に明らかな害毒だと判明したら、その時に排出すればいい。泳がせている間に意外と役に立つと感じたら、そのまま滞留させて活用できるチャンスに生かせばいい。エクセルにはできない芸当です。

繰り返しになりますが、渦は「形態」ではなく「状態」。ある形態に固執するのではなく、来るもの拒まず、去るもの追わず。フレキシブルで、オープン。

渦に巻かれるようにして生きる。それはまさに、博文のような生き方を言うのだと思います。

■人生を「バラエティ番組」のように作る

ものごとをエクセル的に決め込んでしまうと、予想外の事態に対応できず、突発的な計画変更を受け入れることができなくなります。

「いい大学を出て、いい会社に入って、何歳までに結婚して、子どもを2人作って……」などという綿密な計画を立てたところで、もし少しでも達成できなかったとしたら、その瞬間、一気に落胆してしまいます。

そして、自分の人生が不完全なものだったという失望を、一生引きずることになるでしょう。

そうではなく、いつ終わるかわからない人生を、毎日毎日精一杯生きる。そういうスタンスの人にこそ、運はやってくるのです。

僕は長らくバラエティ番組を作ってきました。バラエティ番組は、「来週何やろう」「今度の番組何やろう」と、そんなに計画を立てずに、その日、その日でいろいろ情報を収集し、企画を立て、作っています。

この連載でも「連絡は早めに、決定は遅めに」の開運テクニックを紹介しましたが、僕自身、ギリギリまで物事を決めません。そのほうが確実にいい結果が待っているからです。

「次のキャスティング、まだ決まってないのかよ!」
「明日のロケ準備できてんの?」

そんな怒号が飛び交う現場でこそ、ワクワクするおもしろいものが日々生まれるのです。

来るべきAI時代を生きる僕らに必要なこと。それは、「渦巻き思考」という開運OSと「バラエティ番組を作るごとく人生をとらえる」スタンスを武器とし、自ら運を開いていくことなのではないでしょうか。

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角田陽一郎(かくた・よういちろう)
バラエティプロデューサー
1970年、千葉県生まれ。東京大学文学部西洋史学科卒業。1994年、TBSテレビ入社。『さんまのスーパーからくりTV』『中居正広の金曜日のスマたちへ』『オトナの!』などの番組を担当。2016年にTBSテレビを退社し、独立。著書に『13の未来地図 フレームなき時代の羅針盤』(ぴあ)、『「好きなことだけやって生きていく」という提案』(アスコム)などがある。

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写真=iStock.com/ipopba