高校生の頃から日の丸を背負って世界で活躍してきた立石さん。五輪選手になろうと決めたのは、2004年アテネ五輪北島康介選手の金メダルを見てのことだったそう。そんな立石さんはどんな高校生活を送り、どんな努を重ねてトップアスリートになったのでしょうか。

朝から晩まで水泳に没頭した高校時代、一番の思い出は高2のインターハイ

――高校生の頃、どのような生徒でしたか?

所属クラブで1時間ほど練をして学校へ行き、放課後まで泳ぐという水泳漬けの毎日でした。高校生のときは体がまだできておらず、筋トレをしていなかったので、他の選手と差をつけるために泳ぐ距離はかなり長かったと思います。
日本代表の合宿などで学校を長期で休むこともあったので、学校生活はレポートや課題を提出して乗り切りました。勉強は生きて行く上で必要なことであり、水泳は自分で選んだ生き方。どちらもベストを尽くすのが当たり前だと思って取り組んでいました。


インターハイでの思い出はありますか?

高校2年生のときに総合優勝した大阪でのインターハイは、忘れられない思い出です。当時のらの学校は個人種で優勝する選手がたくさんいてチーム内での競争もしかったので、あの個性を束ねて結果を出せたのは、やっぱり顧問の先生が素らしかったんだと思います。
その2年生のインターハイ200メートル泳ぎ決勝で、生まれて初めて“緊”を自覚した出来事がありました。周りから「優勝して当然」というで見られ、大きなプレッシャーがかかっていたレースだったんですが、入場レーンに並んだときに、ジャージの下に水着を履いていないことに気づきました(笑)。動揺を悟られないよう、静をよそおって控室に戻って着替え、また何事もなかったようにレーンに並びました。からウォーミングアップの内容やレースの組み立てのことばかり考えていて、水着の準備が抜け落ちてしまったようです(笑)。でも逆にそれで「、緊しているんだな」と冷静になれました。あんなに緊したのは人生でその一度きりです。

知識をつけ、自分の頭で考えることがアスリートには必須

高校時代に勝つために努していたことはありますか?

は小さい頃から自分のやりたいことや得意なことを理解していました。また、合理的で駄なことは一切したくないという性格なので、高校生になってからはその日の調子に応じてベスト練習内容を考え、コーチに意見を伝えていました。言われたことを100%やるだけでなく、どうしたら速く泳げるかを自分の頭で考えて追求することが大切です。
またアスリートに怪はつきものですが、トレーニング方法も医療も進化しているので、他人任せにせず知識をつけておくことが必要です。親身に相談できる人を持つことも大切。高校時代から、「調整の仕方」「筋肉へのアプローチ」「怪のケア」と的別に3人の先生にお世話になっていました。自分の体を任せられる信頼できるプロフェッショナルを見つけておくと心強いです。


高校時代の経験はその後の競技人生にどんな影を与えたと思いますか?

幼い頃から水泳を続けて、やめなかったからこそ高校で一気に結果を出せたし、高校で一生懸命頑ったからこそ日本代表にもなれました。その結果、環境に恵まれ、自分が満足するまで水泳を続けることができました。
水泳選手はケガもありますし、スポンサー獲得も簡単ではありませんから、大学卒業後の進路も考えて高校時代にしっかり努すれば、その経験は必ず生きると思いますよ。


高校生に向けてメッセージをお願いします。

大人になると損得なく付き合える友だちは少なくなります。高校大学は本当の仲間と出会える時代です。仲間とともに青春を全で駆け抜けてほしいですね。
練習も勉強もつらいことを続けるには、1日のスケジュールに組み込んで習慣化するのが一番の近。最初の1週間を強引にでも続けるのがコツです。
また、強い選手の背中を追うことで大きく成長できることもあります。中学3年生のとき、アテネ五輪での北島康介さんの泳ぎを見て五輪に出ようと決心しましたが、それから康介さんと一緒に練習したり試合に出られたりしたのは、夢のような時間でした。細な動作でも真似をして、自分に合うものは取り入れようと、いつもで追っていました。世界記録って面くて、身近なかが出すと「あの人が出したならも」とその周辺で次々と出やすくなるものです。そうした刺を受けながら、みなさんも自分の成長につなげてほしいと思います。


高校時代は100%で駆け抜けた」と、清々しい表情でインターハイの思い出をってくれた立石さん。インターハイでの“水着履き忘れ事件”は、トップレベルの選手でも緊するのだな……と励まされるエピソードでしたね。「自分で考えることが大切」ということを何度も伝えてくれました。


profileロンドン五輪 泳ぎ日本代表 立石
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