プロ野球のオールスターゲーム(マイナビオールスターゲーム2018)の第1戦が今夜、京セラドーム大阪で行なわれる。セ・リーグの先発には、ファン投票により中日ドラゴンズの松坂大輔が選ばれた。松坂のオールスター出場は西武ライオンズ在籍時の2006年以来9回目、4年前に米メジャーリーグから日本球界に復帰してからは初めて。「平成の怪物」と呼ばれた男が、平成最後の夏の球宴でマウンドに立つことになる。

横浜高校の春夏連覇から20年
思えば、松坂が「平成の怪物」と呼ばれるようになったのは高校時代のこと。いまからちょうど20年前、1998年には、横浜高校(東神奈川)のエースとして春のセンバツ大会(第70回)、夏の全国選手権大会(第80回)とチームの春夏連覇に大きく貢献した。夏の京都成章(京都)との決勝戦では、じつに59年ぶりの決勝戦ノーヒットノーランを達成して優勝を決めている。

エキレビ!でもおなじみのライター・オグマナオトの新刊『ざっくり甲子園 100年 100ネタ ニワカもマニアもおさえておきたい』(廣済堂出版)は、そんな名選手や名勝負、あるいはこぼれ話を通じて高校野球の一世紀にわたる歴史を振り返る一冊だ。

野球の本の世界では一時期、「あるある本」が流行った。これに対してこの本は、野球ファンに「あったあった」と往年の名試合などいろんなことを思い起こさせてくれる。たとえば、松坂大輔が大活躍した20年前の夏の第80回選手権では、「史上もっとも切ない幕切れ」と語り継がれる試合も生まれた(本書106ページ)。それは2回戦での宇部商(山口)と豊田大谷(愛知)の一戦。試合は宇部商の藤田修平と豊田大谷の上田晃広による熾烈な投手戦となり、2対2のまま迎えた延長15回裏、宇部商は無死満塁のピンチに追いこまれた。このとき、マウンドの藤田はこの日211球目を投げようと投球姿勢に入った次の瞬間、プレートに足をかけたまま、投球動作を途中でやめてしまう。主審はすかさずボークを宣告し、豊田大谷の三塁ランナーがホームインして、宇部商はまさかのサヨナラ負けを喫したのだった。

北海道勢初の優勝をスタンドで目撃した1年生が翌年エースに
『ざっくり甲子園 100年 100ネタ』はタイトルに「ざっくり」とあるとおり、すべてのトピックスが2ページ(1見開き)で簡潔につづられている。それでも一つひとつの内容は濃く、色々と発見がある。たとえば、松坂大輔にさかのぼること約25年前、1970年代前半に作新学院(栃木)のエースとして活躍した江川卓は、「怪物」と呼ばれた元祖である。その命名の由来が、文字どおり怪物のような実力だけでなく、《耳の大きな顔が漫画『怪物くん』の主人公に似ていることから》とは知らなかった(130ページ)。

各トピックスには内容がリンクしているものもあり、たどって読んでいくと物語が立体的に浮かび上がる。

本書の92ページでは、2004年夏、北海道勢で初めて甲子園で優勝した駒大苫小牧(南北海道)についてとりあげ、その瞬間をアルプススタンドで目撃した一人に当時同校の1年生だった田中将大がいたという話が出てくる。田中は翌05年の第77回センバツ大会で甲子園のマウンドを初体験、さらに同年夏の第87回選手権では、先発にリリーフにと大車輪の活躍を見せ、チームの連覇に貢献した。さらに次の年、2006年の第88回選手権では史上2校目の夏3連覇をめざし、決勝で早稲田実業(西東京)の「ハンカチ王子」こと斎藤佑樹と壮絶な投手戦を繰り広げることになる。引き分け再試合になったこの勝負については、28ページでくわしく書かれている。

応援にゾウが登場!?
試合や選手のエピソードだけでなく、高校野球にまつわるさまざまなこぼれ話も面白い。戦後まもない1951年の春の第23回センバツ大会では、地元・鳴尾(兵庫)が、応援を盛り上げるため、甲子園球場に隣接する遊園地「甲子園阪神パーク」から何と本物のゾウを借りてきたという話が残る(48ページ)。ゾウはレフト通路からグラウンドに入場させたというのだが、さすがに試合が始まる前に退場処分となり、当時の高野連副会長の佐伯達夫(のち会長)を激怒させたという。

佐伯達夫は、戦時中に中止されたセンバツ大会を終戦後復活させるため、否定的だったGHQに対し、GHQの通訳だった三宅悦子とともに必死の説得にあたった人物である(166ページ)。彼らの尽力により、1946年8月に復活していた全国選手権大会に続き、センバツも翌47年3月に再開された。46年夏の第28回選手権は、甲子園球場がGHQに接収されていたため西宮球場での代替開催となったが、47年の第19回センバツ大会は6年ぶりに甲子園での開催となった。なお、学制改革により、それまでの中等学校が新制高校へ移行したのはこの年である。

開会式にプラカードが登場した理由
旧制中学から新制高校への移行に合わせ、校名を変更する学校も多数出た。1949年夏の第31回選手権より、開会式の入場行進で出場校がプラカードで先導されるようになったのも、改称したばかりでまだなじみの薄い学校名を印象づけるためという目的があったようだ(90ページ)。このときから、プラカードを持つ先導役を、甲子園にほど近い市立西宮高校の女子生徒が務めるようになり、現在も続いている。プラカードガールになりたくて、同校に入学する生徒も多いとか。

プラカードガールの導入は、甲子園での女子参加の先駆けとなったが、記録員として女子マネージャーのベンチ入りが認められたのは、1996年の第78回選手権まで待たねばならなかった。本書116ページには、ベンチ入り第1号となった東筑(福岡)の女子マネージャーをめぐる“ちょっといい話”が紹介されているので、ぜひ読んでほしい。

女子の高校野球参加をめぐっては、2016年の第98回選手権で、ある学校の女子マネージャーが練習補助をしていたところ、大会関係者からグラウンドの外に出るよう注意されたというできごとも記憶に新しい。これは、記録員はベンチ入りできても、練習中や試合中にはグラウンドに立てないというルールによるものであったが、全国から非難が殺到し、翌春のセンバツ大会からは、ヘルメットをつけるなどの条件付きで練習補助ができるよう規則が改められた。

しかし、全国には男子に混じって練習に参加する女子選手もいるにもかかわらず、公式戦への出場はまだ認められていない。本書が指摘しているとおり、これは高校野球の「次の100年」に向けて議論すべきテーマの一つだろう。

戦争や災害を乗り越えて高校野球は続く
『ざっくり甲子園 100年 100ネタ』は、夏の選手権大会が今年100回目を迎えるのに合わせて刊行された。選手権が始まったのは103年前の1915年なのに回数が合わないのは、太平洋戦争中の4年間は開催が中止されたためである。センバツ大会も1924年から始まったものの、やはり戦中から戦後にかけて5年間中止されている。

それでも高校野球が復活したのは先述の佐伯達夫のような人たちが、多くの人々の望みを受けて尽力したおかげだ。戦後も、1995年に阪神・淡路大震災、2011年に東日本大震災が起きた際、一時はセンバツ大会の中止が取り沙汰されながら、議論の末に復旧・復興のスローガンを掲げて開催された。そして先日の平成30年7月豪雨で大きな被害の出た西日本の各地でも、地方大会が日程や会場を変更しながら、8月の本大会に向けて今週以降あいついで開幕している。高校野球は、日本人にとって単なるスポーツ大会の域を超えて、精神的な支えともいうべき存在なのかもしれない。
(近藤正高)
オグマナオト『ざっくり甲子園 100年 100ネタ ニワカもマニアもおさえておきたい』(廣済堂出版)。帯には高校野球マニアとしても知られるアンジャッシュ・渡部建がメッセージを寄せている