「それは唐突に訪れました」

1985年3月下旬。銀座松坂屋で「コロコロまんがまつり」という催し物がおこなわれた。のちに「次世代ワールドビーフェア」と称されることになるイベントの原だ。

小学館コロコロコミック』で連載をもつ漫画家サイン会や、原画の展示をメインとするものだったが、子供たちのあいだでファミコン人気が高まってきていることを受け、ゲームステージやってみたらどうか? との提案が、編集部からゲームメーカーであるハドソンへ持ち込まれた。

ハドソン企画宣伝部に勤めていた高橋利幸は、上から「高橋、1時間もらったから!」と言われた。何をすればいいのだろう。予算はない。モニターだけは用意してくれるという。ならば、ファミコンがあればなんとかなるだろう。

当時、ハドソンが売り出していたゲームソフトは『チャンピオンシップロードランナー』だった。ステージではこれを宣伝することになる。後日、『コロコロコミック』に予告記事が載った。そこには「ファミコン名人来たる!」とあった。

ステージでは、ハドソンの宣伝部員である高橋デモプレイをしてみせなければならない。ステージ1はうまくいった。しかし、ステージ10まできたところで3回連続の失敗。4回でかろうじて成功した。会場からは拍手と歓が沸いた。

ステージ10以降は、遊びたいステージセレクトするためにパスワードが必要になる。パスワードは暗記しているが、これを入する様子を観客には見せたくなかった。そこで高橋は、コントローラーを後ろ手で隠してパスワードを入した。その間、会場がどよめいた。

「今、振り返ると、そういうことだったのだと思います」

16連射というわかりやすい必殺技高橋名人を生んだと思われがちだが、それ以前に、こうしたトリッキープレイ自然にこなしてしまうのが彼の魅でもあった。イベント終了後には、200人をえるサイン行列ができた。高橋利幸高橋名人になった間だ。

高橋名人りおろした、自身の半世紀
いきなり始まったサイン会だが、ただのサラリーマンサインなどあるはずもない。仕方なく、最初の50人くらいは漢字で本名の「高橋利幸」と書いていたが、画数が多いため、途中から「Toshiyuki Takahashi」に変えた。やがてそれを「T.Takahashi」にして、さらなる節約を図った。

その後、高橋名人は全キャラバン日本中をまわるうち、子供たちの人気者になっていく。ファミコンブームと共に知名度が大きくなり、写真週刊誌が取材に来た。たびたび雑誌にも登場し、テレビレギュラーが増え、映画まで作られるほどだった。

このたびポプラ新書から発売された『高橋名人のゲーム35年史』は、高橋名人自らがりおろした、ゲーム名人としての自身の半世紀である。

これまでにも、名人の半生を描いた漫画版の『高橋名人物語』などはあった。しかし、セミを捕るのに野グソをちぎって投げ、1時間に150匹も捕ったというエピソードてんこ盛りで、本人の実像が記録されているとは言い難いものだった。

その点で、『高橋名人ゲーム35年史』は、初めて高橋名人の本当の姿に迫ったものだと言ってもよいだろう。

長いこと、名人は「ナスが弱点」だとされてきた。ハドソンに入社する前、札幌果店で働いていたにもかかわらず、ナスが大の苦手。そのギャップが親近感を抱かせてくれた。ファミコンソフト高橋名人の冒険』では、アイテムの「ナス」が名人の体ゲージすごい勢いで減らしてくるほどだ。

だが、本書では「別に嫌いな物はないけどなあ」と言う。しいて挙げれば、ナスを握ったときに「キュッ」と鳴る音が苦手だというくらい。だから食べる分にはなんの問題ない。もちろん体が減ることもない。そうした事実が次々に出てくるので、子供の頃に名人の活躍や伝説に夢中になった人たちほど、この本は楽しめるに違いない。

本書の後半では、名人自身がこれまでに触れてきたゲーム機ゲームソフトについてっているが、実はここがいちばん読み応えがあるところだと筆者は思っている。各種ハードの性差や、時代ごとのヒット作の魅分析などは、作り手ので見てきた正確さと、ユーザーとしての情とがうまくミックスされた、とてもゲームに満ちた文章だ。

ハドソン家庭用ゲーム事業から撤退したのを機に、名人ハドソンを退社した。現在は、メーカーの垣根をえてなお「高橋名人」として、幅広くゲームエンターテインメントの普及に尽している。

もしも高橋名人35年間ずーっと連射していたら。1秒間に16発を35年間。すなわち11億とんで376万連射! ぼくはが折れるまで、これからも高橋名人を応援していきたい。
(とみさわ昭仁